The Apple in My Heart 奈良美智さんの中へ、ほんの少し。

09 円空

糸井 奈良さんの絵には、犬と少女がずっといて、
それがくり返し出てくるのに、
みんなが何回もそれを味わってるっていうことが、
おもしろいなぁと思うんですよ。

奈良 たぶんみんな自己投影するんじゃないかな。
たとえば、どのお寺に行っても、
同じように仏像があるわけじゃないですか。
糸井 そうですね。
奈良 やっぱり自己投影とか
自分とその作品との世界に入っていくと
やっぱり自分の内面に入っていくのと同じで、
奥深いところまで行けるんじゃないかな。
糸井 うん、うん。
奈良 そういう、鑑賞方法っていうのを
みんな本当は知ってるわけですよね。
お寺とか神社に行ったことない人はいないだろうし、
賽銭を入れて手合わせて、神様や仏様と一対一で
話したことない人なんてほとんどいないわけで。
お寺や神殿、教会ってどの国にもあるしね。
そう考えるとね、美術っていうのも、
作品に接することで、どう自己と対話するか
っていうことなんじゃないかと思う。

糸井 そうか、あの少女たちは、
仏なんだっていうふうにも思えるね。
あんまりそういう理屈で考えたくはないけれど、
現代にある仏、それも、
ひとつひとつ、人がつくってる仏。
奈良 ああ。
糸井 そういえば、ぼくはこないだ「ほぼ日」に、
どういうわけか急に、円空のことを書いたんですよ。
円空っていう人は、伝説では
10万体とか14万体とか仏像を彫ったらしいんですよ。
現存してるだけで5000体あるんですよ。
いまの発想からすると、5000体っていう数は、
複製して大量に生産するものですよね。
でも円空はそれを全部手でつくってたわけです。
つまり、オリジナルを大量につくるっていう発想。
これからの時代に、
それはものすごくおもしろいなって思ったんですよね。
そんなことを思いながら、ここに来たら、
奈良さんがやってることって、ズバリ同じで。
奈良 まあ、円空も、こう、
似たような物ばっかりつくってますからねぇ(笑)。
糸井 で、円空も、すごい速度でつくったものと、
じっくり時間かけてつくったものの両方があるんです。
そのあたりも似てるよね。
奈良 ああ、それは似てるかも知れない。
糸井 計算してみたらね、年間200体くらいずつ
つくらないと間に合わないんです。
それって、ものすごい分量ですよね。
彫刻としてオリジナルを年間200個つくるんだから。

奈良 たぶんそれは信仰の力だと思う。
糸井 そういうことだよね。
奈良 やっぱり、なにかそういう、
信じる力がないとできないですよ。
ただの食うための仕事だと
そんなことはできないと思うんですよね。
だって、そんなにつくらなくても食えたりするわけだし。
托鉢して、お経をあげているだけでも
生きていくことはできたでしょうから、
それでも彫らずにいられなかったってことは、
何かその人以外の力が働いてたんじゃないかなあ。
糸井 これはぼくの想像なんだけど、
「渡していく」っていうところに
彼はおもしろさを感じてたんじゃないかと思うんです。
奈良 渡していく。残していく。



糸井 そう。残していく。
いずれ朽ちてもいいから、
できたものを置いていくっていう。
それはなんか、素敵だよね。
奈良 うん。
糸井 それが5000体も残ってるっていうんだよ。
ちょっと、この展覧会に近いと思うなぁ。
奈良 そうですね。



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2006-10-13-FRI

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