糸井 | 奈良さんの絵には、犬と少女がずっといて、 それがくり返し出てくるのに、 みんなが何回もそれを味わってるっていうことが、 おもしろいなぁと思うんですよ。 |
奈良 | たぶんみんな自己投影するんじゃないかな。 たとえば、どのお寺に行っても、 同じように仏像があるわけじゃないですか。 |
糸井 | そうですね。 |
奈良 | やっぱり自己投影とか 自分とその作品との世界に入っていくと やっぱり自分の内面に入っていくのと同じで、 奥深いところまで行けるんじゃないかな。 |
糸井 | うん、うん。 |
奈良 | そういう、鑑賞方法っていうのを みんな本当は知ってるわけですよね。 お寺とか神社に行ったことない人はいないだろうし、 賽銭を入れて手合わせて、神様や仏様と一対一で 話したことない人なんてほとんどいないわけで。 お寺や神殿、教会ってどの国にもあるしね。 そう考えるとね、美術っていうのも、 作品に接することで、どう自己と対話するか っていうことなんじゃないかと思う。 |
糸井 | そうか、あの少女たちは、 仏なんだっていうふうにも思えるね。 あんまりそういう理屈で考えたくはないけれど、 現代にある仏、それも、 ひとつひとつ、人がつくってる仏。 |
奈良 | ああ。 |
糸井 | そういえば、ぼくはこないだ「ほぼ日」に、 どういうわけか急に、円空のことを書いたんですよ。 円空っていう人は、伝説では 10万体とか14万体とか仏像を彫ったらしいんですよ。 現存してるだけで5000体あるんですよ。 いまの発想からすると、5000体っていう数は、 複製して大量に生産するものですよね。 でも円空はそれを全部手でつくってたわけです。 つまり、オリジナルを大量につくるっていう発想。 これからの時代に、 それはものすごくおもしろいなって思ったんですよね。 そんなことを思いながら、ここに来たら、 奈良さんがやってることって、ズバリ同じで。 |
奈良 | まあ、円空も、こう、 似たような物ばっかりつくってますからねぇ(笑)。 |
糸井 | で、円空も、すごい速度でつくったものと、 じっくり時間かけてつくったものの両方があるんです。 そのあたりも似てるよね。 |
奈良 | ああ、それは似てるかも知れない。 |
糸井 | 計算してみたらね、年間200体くらいずつ つくらないと間に合わないんです。 それって、ものすごい分量ですよね。 彫刻としてオリジナルを年間200個つくるんだから。 |
奈良 | たぶんそれは信仰の力だと思う。 |
糸井 | そういうことだよね。 |
奈良 | やっぱり、なにかそういう、 信じる力がないとできないですよ。 ただの食うための仕事だと そんなことはできないと思うんですよね。 だって、そんなにつくらなくても食えたりするわけだし。 托鉢して、お経をあげているだけでも 生きていくことはできたでしょうから、 それでも彫らずにいられなかったってことは、 何かその人以外の力が働いてたんじゃないかなあ。 |
糸井 | これはぼくの想像なんだけど、 「渡していく」っていうところに 彼はおもしろさを感じてたんじゃないかと思うんです。 |
奈良 | 渡していく。残していく。 |
糸井 | そう。残していく。 いずれ朽ちてもいいから、 できたものを置いていくっていう。 それはなんか、素敵だよね。 |
奈良 | うん。 |
糸井 | それが5000体も残ってるっていうんだよ。 ちょっと、この展覧会に近いと思うなぁ。 |
奈良 | そうですね。 ・・・・・「10 HOME」へ続きます |