糸井 | 奈良さんは「家」を描きますよね。 いつからそうだったのかなと思っていたら、 今日見たどこかの小屋に、はっきり証拠がありましたね。 「ぼくのいちばん古い絵」って見せてくれた絵に やっぱり家が描いてあった。 つまり、ずっと昔から描いてたんだね。 |
奈良 | 家はね、そうですね、昔から。 あの、自分のいちばん古い記憶たどっていくと、 丘の上に建つ平屋の一軒家になるんですよ。 そこに住んでたんです。 |
糸井 | それが、絵に出てくる家。 |
奈良 | あの、丘の上に建っていたから、全部が見えるんです。 小学校も中学校も自分ちから見えた。 それがいちばん古い記憶で、 それは保育園の年長組くらいのときの記憶なんだけど、 そこから日本の高度成長が始まって、 地方でもやっとその成長に追いついていって、 どんどん、どんどん、家が建っていって、 中学校入る頃には、 もう小学校も中学校も家から見えなかった。 自分ちのまわりも家に囲まれて。 |
糸井 | 自分じゃなくて、まわりが変わっていったんだ。 |
奈良 | そう。 子どものころは、家のまわりは本当に草だけで、 そこに動物がいたり、羊とかヤギがいたり。 屋根の上に登って、花火を見たり、 ずーっと遠くに流れてる川に架かってる 橋のらんかんの明かりが見えたり、 そういうのが自分の中にある最初の景色なんです。 つまり、部屋の中にある自分の世界だけじゃなくて、 外を見回した俯瞰的な空間。 それがいちばん最初の景色の記憶なんです。 それを逆に景色側から見ると、丘の上に建つ一軒の家。 そこが、自分の最初の自我みたいなものが芽生えた場所で、 自分の存在っていうのを初めて感じた場所。 自分はここにいるんだ。 丸い地球っていう星の、とにかく広ーいところの、 どこかの丘の上に家が一軒建っていて、 その屋根の上に自分はいて、いま、まわりを見てる。 そういうことを、まわりの側から認識した。 だから、丘の上にある家っていうのは、 自分っていうものを確認した最初の場所なんです。 その意識がすごく強くあって。 |
糸井 | 自分が一生つき合っていく モチーフに出会ったっていうことだよね。 思えばそれもひとつの運だね。 |
奈良 | そうそう。だから、ときどき 「絵を描き始めたきっかけは?」とかいう、 くだらない質問をされたりして頭にくるんだけど、 それがたとえば棟方志功みたいに、 「ゴッホの絵があったから」 とか言ったらかっこいいんだけど、 なんで絵を始めたのか、自分はまったくわかんない。 ただ、なぜ自分がそういう表現っていうものに対して、 興味を持ち始めたかって訊かれたら、 そのときに自分っていうものがいることを 確認したからだと思う。 でも、きっかけよりも続けてるってことのほうが大事だよね。 |
糸井 | おもしろいね。 その家じゃなかったら 思いにくかったかも知れないもんね。 |
奈良 | 本当にそうなんです。 団地に生まれてたら、ぜんぜん違う人になってただろうし、 東京のど真ん中に生まれてたら どうなってたかわかんないし。 |
糸井 | 自分のいる場所が、 内と外から見られる環境ってなかなかないですよね。 あの、女の子たちがふつうに画用紙に描く絵って、 おさげしてたり、リボンつけたりする女の子がいて、 空があって、太陽があって、花があって、犬がいて、 それから、「家」がありますよね。 あの家って観念じゃないですか。 |
奈良 | うんうん。 |
糸井 | でも、いまの話を聞いてると、 奈良さんの「家」は‥‥。 |
奈良 | そのまま。 |
糸井 | 具体物なんだね。 |
奈良 | そうそう。 ・・・・・「11 ろうそく」へ続きます |