糸井 | 奈良さんの家は、 なんで丘の上に建ってたんだろうね。 親がそういう趣味だったのかな。 |
奈良 | まぁ、土地が安かったんじゃないのかなぁ。 |
糸井 | そこに、たまたま建って、たまたま住んでた。 |
奈良 | そう、ぼくが生まれて、 ちょっと生活が楽になったのかなんかわかんないけど、 ローン組んで家を建てたんじゃないのかなぁ。 でも、小学校出て、中学校に通うころには、 もうまわりじゅう家だらけ。 こんな田舎でも道路が舗装されちゃって、 メダカがいたような小川が コンクリートのU字溝に変わっていったりとか。 で、その中で、なにが失われて、 なにが失われてないかっていうことを、 ぼくはやっぱり中学生なりに感じてて。 それはつまり、新しくなっていくこと、 きれいになっていくことっていうのが 必ずしもいいことじゃない。 |
糸井 | うん。 |
奈良 | それでひとつ覚えているのは、 いつか停電になったときのことなんです。 ひとつのろうそくの前で、母親と一緒に、 テレビやラジオのない時間を過ごした。 ほんの2、3時間だったと思うんだけど、 そこで語った話とか、 なんか、その重要さみたいなのが、 なんとなく、わかったっていうか、 豊かになっていくことが 決していいことではないんじゃないかって思った。 中学校の最初のころ。 |
糸井 | ずいぶん若いときに思ったんだね。 |
奈良 | でもね、中学校3年くらいからはね、 もうぜんぜんそういうことを思わなくなって(笑)。 |
糸井 | うん、逆に走りますよね。 |
奈良 | もう舗装されてなきゃだめだ、みたいな。 |
糸井 | ロケット乗りたい人になっちゃうわけだよね。 |
奈良 | 自転車なんてダサい、みたいな。 バイク乗んないと、とか。 |
糸井 | 当たり前だよな。 行動半径を広くしたくなりますからね。 |
奈良 | そう。青臭い文学書なんか読みたくなくて、 で、なんか宝島読んだりとか、 あ、昔の宝島ね。いまの宝島と違うんで。 |
糸井 | 植草甚一だよね。植草甚一、高平哲郎。 |
奈良 | そうそう。 |
糸井 | そのころって急に外国に目がいったりするでしょう? |
奈良 | うん。アメリカ志向になっていって、 音楽の方にどんどん傾倒していって。 |
糸井 | だけど、そのターニングポイントの直前のところで、 ろうそくの灯りの中で見た風景っていうのが、 記憶に残ってるってところがおもしろいよね。 |
奈良 | そう‥‥ちょうど、真夏の、 お盆辺りのときだったと思うんだよね。 それは覚えてる。 |
糸井 | そのときに、これは覚えてるだろうなって思った? |
奈良 | 思ってないです。 |
糸井 | じゃあ、残ってたんだね。 |
奈良 | うん。母親と二人しかいなくて、 なぜか、停電して、ろうそくを点けて、 そしたら母親がろうそくで思い出したのか、 戦争のときの空襲の話とかしだして‥‥。 なぜかそこで、これは儀式なんだなって思った。 昔の人の記憶っていうのを、自分が受け継ぐような儀式。 テレビのドキュメンタリーなんかでやってた、 アマゾンの奥地で続いてるような儀式に すごくよく似てるなって思ったんです。 真っ暗い中でろうそくを点けて、 歳とった人が昔の話を子孫に語り継いでゆくような。 それは、おもしろいなあと思った。 |
糸井 | よっぽど鮮烈な記憶だったんだね、きっと。 |
奈良 | うん。まあでも、その後、 どんどんバカになっていくんだけど、自分は。 |
糸井 | 往復運動なんだろうね。 両方を極端に移動することが必要なんですよ。 今日、ぼくは飛行機でここまで来たから、 とくにそういうことが大切に思える。 で、その移動の中で、予期せず両方が 混じっちゃうことがあるのがまたおもしろいところで。 |
奈良 | そうそう。 |
糸井 | その行ったり来たりの中にいるんだよね。 |
奈良 | うん。 ・・・・・「12 ひとり」へ続きます |