The Apple in My Heart 奈良美智さんの中へ、ほんの少し。

12 ひとり

糸井 これから、だんだん秋になっていきますよね。
「A to Z」の展覧会が始まってから時間が経って、
まあ、これからもまだあるんだけど、
奈良さんの中では、なにか変化していますか。
奈良 これはどんな展覧会でも感じることなんだけど、
だいたい展示が終わって、オープニングを迎えたら、
あんまり興味がなくなっちゃうんですよ。
もう自分がつくることは他にはない。
だから本当にそこで運営してる人に
バトンタッチするみたいな感覚がすごくあって、
それが今回、とくに強いんです。
本当に親身になってやってくれる人に
バトンタッチするような感じで。
なのでね、心の変化までは客観的に見れないけど、
いま思っているのは、まあ、
エンディングパーティーで呑みまくって、
ぐじゃぐじゃになって、ゲロ吐きまくって、
ベッドに倒れこんで寝たい、みたいな。
そんな感じがありますね。

糸井 ははははは。
奈良 で、それとはまったく別に、
自分の世界、ひとりの世界に戻んなきゃいけないって
痛切に感じてて。
糸井 ああ、そうですか。
奈良 この煉瓦倉庫は大好きですけど、
いつまでも借りられるわけではないと思うし、
貸してくれるっていう好意に甘えてるのもよくないし。
ふるさとでみんなが助けてくれるっていうことに
すごく感謝はしてても、
でもやっぱり甘えてるような気もしてきていて。
だから、ここでやるのはこれで最後にしようと、
ぼくは思ってる。
みんなにそう告げて、
もう一回自分の中に戻っていこうって。
たぶんまたひとりになったときに、
こうやってみんなでつくり上げたことの経験が、
違う形で自分個人の作品の中に反映されるんじゃないか。
そんなふうに思ってて。

糸井 そんなに整理できて言えてるってことは、
もう、「ひとりになる」ことが
始まってるっていうことですね。
奈良 そうですね。
糸井 もう、ひとりの時間が多くなってるんだ。
奈良 そうですね。
糸井 しかし、健康な人ですね。
その行ったり来たりが、
静脈と動脈を行き交う血液みたいに、滞らないですね。
不良化してバイクに乗っても、
ちゃんとお母さんとのろうそくを覚えてる、みたいな。
奈良 (笑)
糸井 丈夫なんですかね。
奈良 どうなんでしょう。虚弱じゃないかもしれないけど。
糸井 とにかく感じるのは健康さですね。
奈良 悩んでるところとかを、
あんまり見せないからじゃないですか。
ぼく、痛みに強いんですよ。
熱が40℃くらいになっても、わりと平気でいられる。
糸井 そういうの、健康っていうんじゃないですかね。
奈良 ははははははは。

糸井 わかんないですけどね。
つまり、出口だろうと入口だろうと、
つっかえちゃったら、
人ってやっぱりそこで停滞しますよね。
でも、頭痛くても、ちょっとでも前に出ておけば、
それがすっごく気持ちよかったりするんですよ。
その丈夫さ、健全さは、うらやましいですね。
悩まないとは絶対思わないですよ?
奈良 うん。
糸井 悩まないはずがないし、病原菌もくっつくし。
奈良 けっこう、悩むときは悩むかな。
悩むけど、価値観がわりと、きちんとあるというか。
みんなが思ってる価値っていうのが、
自分にとってはなんの価値にもならない
っていうところにいつも戻っていくんですよ。
なんか、迷うときって、たいてい、
へんな欲があるときなんですよね。

糸井 失くしたくないものが増えたときは危ないよね。
奈良 そう。だから、なにかで迷ったときには、
「昔の自分がかっこいいと思ってた大人」
を思い出せばいい。
二十歳のころの自分が理想としてた大人って
どんなだったっけって思うと、もう、すぐ解決する。
糸井 ああ。うん、うん。
奈良 たとえばどっかの高級ファッションブランドが
ぼくと一緒に服をつくりたいと言ってくる。
こうやってこうやったら大成功する、って言って。
でもそんな一般人が買えない服をつくって
いったいなんになるんだ? と。
自分の作品を好きな人たちが
買える服をつくる方がかっこいいんじゃないか。
高級ブランドの服をつくることと、
みんなが買えるTシャツをつくることの
「どっちがかっこいい?」って
二十歳の自分に聞くじゃないですか。
そうすると、「そっちの方がかっこいい!」って。
だから、ほんと、悩むときは昔に戻りますね。

糸井 展覧会を見ながら、
奈良さんとニール・ヤングの話をしましたけど、
それはニール・ヤングの精神だよね。
奈良 あ、そうかもしれない(笑)。



・・・・・「13 ニール・ヤング」へ続きます
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2006-10-17-TUE

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