降旗淳平さん(日経クロストレンド副編集長)岩田さんはいつも、
「公」の人でした。
任天堂の元社長、岩田聡さんのことばをまとめた
『岩田さん』という本を出しました。
それでとてもうれしかったのは、
本をきっかけに、たくさんの人が
岩田さんについて話しはじめたことでした。
もっと岩田さんの話がしたくて、
いろんな人に取材することにしました。
岩田さんをご存知のみなさん、
岩田聡さんについて教えてください。
聞き手:永田泰大(ほぼ日)
第3回岩田さんは経営と開発の
両方のことがわかる社長だった。
自分が社長をやるのが合理的だと思った
岩田さんが
任天堂の社長になるということについては、
おそらく、取締役社長室長になったとき、
すでに、なんとなくそうなるのではないかと
予感していたように思います。
実際、岩田さんが社長になったときは、
もう岩田さんの中で、
「自分が社長を引き受けるのが合理的だと思った」と。
42歳で社長になるというのは、
ふつう、「えっ」という感じだと思うんですけど、
「お引き受けしました」という落ち着いた感じでした。
岩田さんに任せたことについて、
前の社長である山内さんに
直接取材したわけではないのですが、
山内さんは以前から
「ソフトとハードの両方わかる経営者というのは、
滅多におらんのやから、
いたらそいつを捕まえて、任せる」
とおっしゃっていました。
だから、山内さんにとっては、
岩田さんにつぎの社長を任せるというのは
とてもいいことだったのだろうと思います。
ただ、岩田さんが
こんなに早く亡くなるというのは、
山内さんにも読めなかったでしょうね‥‥。
社長になられたすぐあと、
岩田さんは、宮本さんのいる開発陣とは別の
岩田さん直属の部署をつくって、
ニンテンドーDS用のソフトを
短い期間でつくってヒット作を何本も出します。
宮本さんの時間を自分の開発に集中させるとか、
分散させることによるリスクヘッジとか、
岩田さん直属の部署をつくった理由は
いくつかあったと思いますが、
開発者としての自分をそこで解放する、
という部分もあったのではないかと思います。
やはり岩田さんは開発者ですから、
放っておくと、自分で
行きたくなっちゃうだろうと思うんですよね。
かといって、まったく触らないとダメになるし。
社長直属の開発チームがあるというのは、
不思議に思った人も、たぶんいたと思うけど、
岩田さん的には、任天堂の社長になったからと言って、
その部分、開発者の気持ちを
手放す気はなかったんだと思う。
これはあくまでも私の予想ですが、
実際にプログラムを叩くということを、
彼はなにかの形でずっと
やってたんじゃないかなと思います。
自分は開発者の気持ちがわかる、
ということは、よく言ってましたけど、
自分が実際にプログラムを叩いてるというのは、
おっしゃったことはありません。
まぁ、社長の仕事で忙しい岩田さんに、
そんな時間は物理的にないはずなんですよ。
でも、やってたと思うなぁ(笑)。
ひとつおもしろくて不思議なことは、
あの当時の任天堂には、岩田さんがいて、
宮本茂さんがいて、竹田玄洋さんがいて、
じつにいいトリオという感じなんですけど、
誰も岩田さんにブレーキかけないんですよね。
本来社長の仕事はこれですよね、と、
誰かが言ってもおかしくないのに、
それはなかったですね。
ともかく、岩田さんは、
経営と開発の両方のことがわかる社長でした。
そのころ、開発の方がおっしゃってたんですけど、
岩田さんはプログラムのことがわかるから、
できるできないの判断を見透かされてしまう、と。
だから、それはできないと答えたとき、
「こうやったらできるんじゃないですか」
みたいに回り込まれてしまったそうです(笑)。
そういう意味では、
岩田さんがいて、宮本さんがいて、
任天堂の開発陣はほんと大変だなと思います。
だって「できない」って言えないんだもん(笑)。
「できない」って言うと、
「こうすればなんとかなるんじゃない?」って。
こういう理由でできません、
って開発が言いたいときに、
できない理由をアイディアで潰してしまう。
それは、たいへんだろうなぁと思います(笑)。
たのしそうに、理路整然と話す
岩田さんを何度も取材しましたが、
Wiiを出したころ、
どうやってこれをつくっていったか
という話をしてくれたときが、
一番たのしそうでした。
日経ビジネスで、任天堂の特集やることになって、
「Wiiがどうしてできたか?」
ということを訊きに行ったんですね。
そこで、じつにたのしそうに話してくれた。
具体的に何をおもしろがっていたかっていうのは、
あんまり思い出せないんですよね。
というのも、岩田さんの話って、
すごく理路整然としていて、
ものすごい驚きがあるわけじゃないんですよ。
とくに、何度も会って話を聞いてると、
岩田さんはこういう人だ
というのがわかってくるじゃないですか。
だから、外から見ていて、
岩田さんは、任天堂は、こっち行くんだろうな、
っていうのがなんとなくわかると、
やっぱりそっちに行くんですよね。
任天堂から出てくるものには、サプライズがあるんです。
だから、Wiiみたいなものが出てくるわけで。
でも、岩田さんの話にサプライズはない。
理路整然としていて、ものすごくわかりやすいけれど。
彼がやりたいのは、こういうことなんだな、
というのはすごくよくわかりましたし、
岩田さん自身も、社員にわかるようにということは
けっこう意識して話していたと思います。
たとえば最初にWiiを開発するとき、
本体のサイズの具体的目標として
「DVDのケース3枚分の容積」って
岩田さんは言うわけですけど、
ふつうあんなこと言わないんですよ。
できっこないから。
でも、確信犯的に言っちゃう。
あえてメディアにもしゃべる。
それで、結果的にはほとんど近いものができた。
それは、ハードを開発する人たちが、
どういう目標を立てたら目指しやすいのか、
という発想の仕方で、
岩田さんがしゃべっていたからですよね。
どうしてそれができるかというと、
岩田さん自身が開発者だったからだと思います。
こう言われたらこうするだろう、
ということを、わかってやってる人だったから。
だから、岩田さんは社内で説明して、
公式サイトで『社長が訊く』をやって、
さらに、メディアの取材に答えることで
社員に自分のメッセージをつたえる。
そういうことぜんぶをよくわかってた人なんで、
まぁ、とても頭がよかったですよね。
あと、こういう言い方をしたら、
記者は絶対にこう書くだろう、
ということもわかって言ってる。
それは、とてもおもしろい人でした。