降旗淳平さん(日経クロストレンド副編集長)岩田さんはいつも、
「公」の人でした。
任天堂の元社長、岩田聡さんのことばをまとめた
『岩田さん』という本を出しました。
それでとてもうれしかったのは、
本をきっかけに、たくさんの人が
岩田さんについて話しはじめたことでした。
もっと岩田さんの話がしたくて、
いろんな人に取材することにしました。
岩田さんをご存知のみなさん、
岩田聡さんについて教えてください。
聞き手:永田泰大(ほぼ日)
第4回岩田さんは、自分も、会社も、
社会もハッピーにしたい人だった。
記者には公私の「公」しか見せない人
岩田さんは、任天堂のことや、
これからのゲームが目指すことについては、
熱心に話してくださいましたけど、
ご自分の話、岩田さん個人としての話は、
ぼくら記者にはほとんどしなかったですね。
ぼくらも訊かなかったし。
スタンスがすごくはっきりしてました。
ただ、『日経ビジネスアソシエ』という雑誌で、
養老孟司先生との対談の企画があって、
養老先生からのご指名ですと、
岩田さんにお声掛けしたときは、
二つ返事でやると言って東京に来てくれました。
そして、養老さんと岩田さんは
ふたりでひたすら虫の話をしてました(笑)。
だから、虫の話は好きなんだなと思いましたけど、
それ以外、岩田さんの趣味に関して、
ぼくらはぜんぜんわからないんですよ。
ぼくらには、基本的には
公私の「公」しか見せない人でした。
こんなエピソードがあります。
岩田さんはイタリア料理屋がお好きだと
聞いたことがありました。
あと、ニンテンドーDSの二画面の仕様を
宮本さんと話していて思いついたのが
「イタリア料理屋の駐車場だった」
という話も聞いていたので、
あるとき私は、
「岩田さん、イタリア料理好きなんですか?」
と訊いたんです。そしたら、
「そんなことはありません」と(笑)。
おそらく、イタリア料理が本当に好きかどうか
ということを答えているのではなくて、
「それを取材で言う必要がない」と
判断したのだろうと思うんです。
記者に「言う必要がない」と思ったら、言わない。
そのほかのことも、記者に対して、
社長としてどういう話をするのがいいかということを、
すごくよく考えて話されてたと思います。
ですから、ぼくが取材を申し込むときも、
任天堂のなかにトピックがあると会ってくれる。
それがないと、岩田さんも
「いま取材する必要はないんじゃない?」
とおっしゃるような、公私の「公」の人でした。
少なくとも私にはそうでした。
ぼくは、岩田さんと会うとき広報を通していましたし、
岩田さんのほうから言いたいことがあるときは、
広報の人からよく電話がかかってきましたね。
広報さんとすごく仲がよくなるぐらい。
最後にお会いしたのがいつだったのか、
よく憶えていないんです。
知らせを受けたときは青天の霹靂でした。
いつも、ふつうに会ってたし、
必要なときは会っていただけるという
確信のようなものがあったので、
これが最後だという認識がないまま
会えなくなってしまいましたけど‥‥。
人が思いつかないことをやる
横井軍平さんと岩田さんは、
言ってることは、すごく似てましたね。
「ほかと同じことしない」というところが。
ふたりに接点があったのかどうか、
わかりませんけど。
任天堂は、人の真似をしない、
ブルーオーシャン戦略でいこう、
というのは、すごくはっきりしてました。
そうしないと自分たちのマーケットは伸びないと。
山内さんが、社長に岩田さんを選んだのも、
そういう発想の人だからだったと思います。
まともに競争して戦うとか、
敵はどこだと探して戦う発想の人ではないから。
「うちはケンカは弱いんだ」と
山内さんはよくおっしゃってました。
岩田さんは、
人と違うところで、違うことをやって、
ゲーム人口を増やしたいと、
ずっとおっしゃってました。
あのサイズになるとなかなか大変だったと思いますけど、
違うこと、違うこと、人が思いつかないこと、
と、よく言ってました。
岩田さんは、若くして社長になった人ですけど、
たとえば、いま若い経営者と話すと、
売上を2倍にするとか、
株価を上げるのが目標だとか、
おっしゃるかたがいらっしゃるんですね。
もう一方で、社会に貢献できる会社になりたい
ともおっしゃいます。
ただ、具体的にどうするんですか、と訊くと、
言葉につまるケースがめずらしくないんです。
その点、岩田さんは、自分がどうだとか、
お金を儲けるという発想がない人で、
「いいゲームをつくりたい」
「ゲーム人口を増やしたい」という、
もっと具体的な話をしていました。
自分ができるのはこれで、
それをやることで、
自分もハッピーだし、
会社もハッピーだし、
社会もハッピーにすることができる。
それが彼の得難いところだったと思います。