降りる人と降りられない人。 降りる人と降りられない人。
秋元康さんと糸井重里は、
どのくらいやり取りがあるのでしょうか?

糸井本人のことばを借りると、
「なにかの収録のときとかに挨拶したくらい」。
しかし、作詞やテレビなど、時代は微妙に違えど、
活動には重なっている部分も多く、
もちろんお互いにお互いのことを知っている。

「ほぼ日の學校」の企画として、
ぜひ会って話しませんかとお誘いしたところ、
よろこんでとご快諾いただけました。
クリエイティブの話、社長業の話、人間関係の話、
たっぷりいろいろ話して盛り上がったのですが、
おもしろかったのは、秋元康さんが糸井に、
つぎつぎに質問するかたちになったことでした。
第7回 どうしてこんなに長くやってこれたのか
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糸井
いやぁ、今日はずいぶんたくさん話して、
とってもおもしろかったんですけど、
もともと、最初にもうけたテーマは、
「どうしてこんなに長くやってこれたのか」
っていうことだったんですよ。
秋元
ああ、そうでしたね(笑)。
糸井
それは自分についても考えることなんだけど、
秋元さんは、ぼくが思うに
「じつは仕事の種類を変えたからじゃないか」
って仮説をたてたんだけど、それはどうですか?
秋元
ああ、たしかにそうだと思います。
ぼくの場合は、いろんな仕事に対して、
たとえ似たようなジャンルのものであっても、
自分の側の接触面を変えることによって
あたらしい刺激にしていたような気がします。
糸井
ああ、なるほど。
秋元
ほんとうは、糸井さんみたいに、
終わりを感じたら降りちゃえばよかったんだけど、
そうやっていろいろあたらしさを見出しながら、
降りないまま、回すお皿を増やしていく。
その状態が64歳まで続いてるんですよね。
だからもう、両手はとっくにふさがってて、
足までつかって回すみたいな曲芸になっていて。
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糸井
(笑)
秋元
でも、糸井さんがおっしゃったように、
つぎつぎに違うお皿を回し続けているから、
たぶんいままで続けて来られたんじゃないかな。
糸井
しかも、秋元さんは、おもにひとりで、
その古いお皿とあたらしいお皿を
両方回しているわけですよね。
そうすると、秋元康の仕事が増えるだけで、
なんというか、秋元康を代弁する人
というのがいないままになりますよね。
秋元
ああ、そうですね。
糸井
たぶん、ぼくはもっと会社に寄せているので、
主語が「ぼくは」の仕事ももちろんあるけど、
かなりの仕事の主語は
「ほぼ日は」だったりするんですよ。
で、秋元さんの場合、おそらく、
「秋元事務所は」って主語はないわけで、
秋元さん自身を説明するだとか、
自分の物語を語るっていうことは
誰もしてないわけですね。
秋元
そうですね。だから、
「こういう仕事したほうがいいんじゃない?」とか
「こういう能力をのばしたほうがいいよ」とか
言ってくれるひともいないままで、
けっきょくぜんぶ、じぶんでやってる。
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糸井
ほんとに大事なことは、しっかり自問自答して、
ひとりで決めていいと思うんですけど、
つぎのヒントになるようなものとか、
あれはどうなってるんだろう? みたいなことは、
誰かと話せたほうがらくですよね。
秋元
それは、そう思います。
いまぼくは自分で把握して自分でわかって
自分で決めてるような状態ですから。
糸井
それは、つらくないですか。正直にいうと、
ぼくは土日にちょっと気持ちが落ちるんですよ。
誰かがいまもいっしょに働いてるっていう
感じが途絶えるから、自分の考えだけが、
こう、頭の中でこだまになっちゃうんですよね。
そうすると、思いつめたり逃げたりが
ぜんぶ自分ひとりになっちゃう。
だから、ぼくは会社に誰かがいるとか、
会社の人たちと話してるときのほうが
ずっとらくなんです。
秋元さんはたぶん、ぼくよりももっと、
土日みたいな状態なんじゃないかな。
秋元
そうですね、ひとりでいることが多いですね。
だから、休みそのものが下手です。
お正月とか夏休みとか、
世間が止まってるときが耐えられないんです。
糸井
それはいまも。
秋元
いまも。
だから、もう正月、仮にハワイに行ったとしても、
ハワイの部屋で仕事してるか、
プールサイドで仕事してますね。
締切がなんにもなかったとしても、
なにかの企画書つくったり、
つぎになにをしようかって考えてますね。
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糸井
そこまでひとりの仕事を
ひとりのまま続けてる人って
そんなにいないんじゃない?
秋元
そうなんですかね。
糸井
たとえば会社員だったとしたら、
管理系に行くじゃないですか。
「あいつとあいつにあれをやらせてみよう」
みたいになるけど、秋元さんは
ずっと自分がプレーヤーのままなんですね。
秋元
だって、たとえば
「こういうもので、こうでこうで」っていうのを
スタッフなり誰か外部にでも
頼むとするじゃないですか。
でも、やっぱり、同じ赤でも、
ぼくのイメージする赤と
人が選ぶ赤は違うじゃないですか。
そういうのはストレスにならないですか。
糸井
‥‥なんない。
秋元
なんない?
糸井
なんない、は嘘だ。なんない、とは言わない。
でも、どうしたら
「それもいいね」と思えるか、
というほうを先に考える。
秋元
ああ、そうかそうか。
糸井
で、やっぱり、ちょっと連絡入れて、
「あれ、どうしてなの?」とか、
「時間がないんで、あれこうしてくれる?」
とか言って、手直しをして、
その問題からまた降りる。
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秋元
うーん、そうか。
なんかそういうふうに、
人とうまくできないんですよね。
糸井
ひとりが好きなんでしょう(笑)。
秋元
ほんとうは、自分の力が100だとすると、
がんばってもだいたいその
6掛けとか7掛けで戦うわけだけど、
そこに、ぼくがぜんぜんわからないもの、
たとえば仮にラップみたいなものを、
「これをやったほうがいいですよ」って
誰かが言ってきたとしても、たぶんぼくは
まったく取り合わないと思うんですよね。
そこを「わかった、お前に乗った」って言って
もしもそのラップで大ヒットが出たら、
ぼくの100が、150や200になるわけじゃないですか。
そういうことが頭ではわかってるのに、
できないんですよね。
糸井
それはやっぱり、自分の名前が大き過ぎるから。
秋元
うーん、というより、やっぱり、
自分で失敗したら、その責任取れるけど、
みたいなとこがありますからね。
やっぱりなんかクリエイティブって、
共同作業ができない気がしちゃうんですよ。
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糸井
だから、今日の話を総合すると、
1人でいるのが好きですっていう自分も
確保しておきながら、
若い人に遊んでもらう時間というのを
どうつくっていくか。
秋元
ああ、そうですね。
糸井
そういうことなんでしょうね。
秋元
いろいろ、相談みたいになって(笑)。
糸井
いえいえ(笑)。
今日は、いろいろ訊くつもりだったのに、
逆にすごく質問される日だった(笑)。
秋元
いや、もうすごくたのしかったですし、
ずっと訊きたかったことを訊けたんでよかった。
糸井
でも、なんていうか、訊かれることで、
秋元さんのことがよくわかった気がします。
つまり、秋元さんが
なにを訊きたいかわかるってことが、
秋元さんを知ることの一番近道だったんだなと。
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秋元
ぼくにとっては、糸井重里さんという人が
どういうふうに歩いてるんだろう、
っていうのが一番気になるところで。
老いについてとか、人との関係についてとか、
すぐに降りて違うことやる気持ちとか、
ほんとうにいろいろわかってよかったです。
そして、ほぼ日が、ほんとうに
糸井さんの最後の仕事なんだなと。
糸井
うん、そうですね。
秋元
たくさん訊けて、よかったです(笑)。
写真
糸井
いや、その人のことを知るにはね、
その人に質問を100ぶつけることなのかなと
みんな思ってると思うんだけど、
今日、はじめて思ったのは、
その人のことを一番よく表すのは、
その人に質問を100つくらせることだね。
秋元
ああ、なるほど。そうか、それはそうですね。
それはすごく、いい。
糸井
またあいましょう。
秋元
たのしかったです。ありがとうございます。
糸井
ありがとうございました。
いやぁ、はじめて、長くしゃべったね。
秋元
そうですね、はじめて、こんなに。
糸井
(笑)
(最後までお読みいただき、ありがとうございました)
2023-01-07-SAT