- ――
- 門をつくられているときは
どういうことを考えているんですか?
- 荒井
- うーん、なにも考えてないです(笑)。
考えることで、新しいなにかが
降りてくるのを待っているという人もいるけど、
それだといくら時間があっても
足りないような気がするし‥‥。
「創造の神様」みたいなものを
あんまり信用してないんです。
- ――
- そうなんですか?
- 荒井
- そう。だから、いつも
自分が体験したことが出てくるだけ。
体験の積み重ねの中から
割り出される「答え」みたいなものを
俺、たぶんいっぱい持っているんです。
ワークショップの場でも
ぐっと集中して手を動かすことによって、
答えめいたものが、ワサワサって集まってくる。
腕組みして「うーん」って考えるときもあるけど、
頭でものをつくろうとしてる俺がいると思うと、
まずそこを否定しなきゃならないと
思っているんです。
- ――
- 頭で考えようとする自分を
否定するために、手を動かす?
- 荒井
- そう。なんでもいいから、まず手を動かす。
「この門を黄色くする意味は別にないけど、
まずは黄色にしてみようかな」みたいな(笑)。
何も考えてなくても、
適当なところで塗るのをやめたりできるのも、
経験が覚えているんでしょうね。
これ、「身体記憶」っていうらしいけど。
- ――
- 身体記憶。
今までの体験の積み重ねで、
ものができて、生まれていくんですね。
- 荒井
- あと、「記憶」の話でいうと
「ブルーの蛇口をひねると水が出る」って
無意識に覚えられるものを
「意味記憶」というらしいんだけど、
そういうものにも
「必ずしもそうなのか?」という、
疑いの目を持つことで、
アートが生まれるきっかけになるんじゃないかな。
「僕たちは飼い慣らされているのかも?
もし蛇口の色が緑と紫だったら
どう思うんだろう?」って。
- ――
- あぁ、たしかに迷いそう‥‥。
それで思い出しましたが、
外国に、男性のマークが赤で、
女性のマークが青というトイレがあるらしくて。
日本から行くと、みんなが間違えると
聞いたことがあります。
- 荒井
- なるほど。おもしろいね。
人の持っている「意味記憶」を
すり替えるような実験をしても
楽しいかもしれないですね。
- ――
- アートの話といえば、
荒井さんの門がたくさん展示されるという
「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2015」のことを
うかがってもいいでしょうか。
荒井さんが芸術監督を務められるそうですが。
テーマは「山をひらく」。街にはポスターが。
- 荒井
- うん、いつのまにやら。
「会議あるから」と言われて行って、
資料を渡されたら、すでに芸術監督になっていて、
「え、なんで俺?」って(笑)。
- ――
- 立候補したわけじゃないんですね。
- 荒井
- そう。だけど、監督といっても、
別に俺が偉いとかじゃなくて、
ただほかの美術展やアートフェスとは
ちょっと違う雰囲気の展覧会にするために、
俺が引っ張りだされたんだと思ってます。
- ――
- ビエンナーレって、
どんなことをされるんですか?
- 荒井
- 約1ヵ月間、いろんなプログラムを用意しています。
音楽ライブがあったり、
ワークショップがあったり。
作家のいしいしんじさんは、
俺のつくった門に合わせて小説を書くし、
山伏の坂本大三郎さんは山を歩くツアーをするし、
梅佳代さんは写真展をやるし‥‥ほかにも、いろいろ。
- ――
- 盛りだくさんなんですね。
- 荒井
- でも、後から思ったんですけど、
「ビエンナーレ」より
「2年にいっぺん祭」にしたら
もっとよかったかも‥‥。
- ――
- え?
- 荒井
- そうすれば、みんな
「2年にいっぺん来る祭りなんだな」って
わかるでしょ(笑)。
- ――
- (笑)たしかに。
わかりやすいです。
- 荒井
- もっと、「ひらいて」いかないとね。
ちょっと話は変わるんですけど、
「アートって一方通行だなぁ」と
思っている人が多いような気がするんです。
美術館で、題名から入る人も多いけれど、
人間は文字から理解しよう、させようということに
慣れすぎているのかもしれないですね。
「絵を見て感じてほしい」というけれど
「そんなこと言ったって、タイトルがあると
まず読んで理解しようとするから、
見る人も感じにくいんじゃないかなぁ」
と思うんです。
- ――
- あぁ、そういわれると
知識で見ている気がします。
「これは有名なあの人の絵だ」とか。
- 荒井
- そう。だから日本人が好きな
有名な画家の絵なんかも、
たとえばタイトルを隠して、
屋外の木にひっかけて飾ったら、
みんなどういうふうに見るんだろうかと
思うと興味があります。
なんか‥‥俺たちが山形でやろうとしていることは、
いわゆるアートからは離れてるように見える
芸術祭かもしれない。
みんなに「アートとはこうだよ」と
押し付けるのではなく
「アートってもっと身近なものかもしれない」
という提案ができればいいなと思っていて‥‥
ぼくらが思う芸術っていうふうに
理解してもらえたらうれしいです。
- ――
- 荒井さんたちが思う芸術。
- 荒井
- 「そんなの芸術じゃないよ」って
言う人がいるかもしれないけど。
でも、それは当然だと思う。
いろんな意見があって、正常なんだから。
アートってすごくおもしろいものだと思うから
一定方向だけだと、もったいないと思うんです。
見る人によっていろんな理解があるほうが
ひらかれて楽しいんじゃないかなぁ。
たとえば、美術館にあるものだけが
アートとは限らないでしょ。
「アートは美術館に行けばあるもの」って
定義してしまうと、それはそれで
ものすごく閉じてしまうことでもあるし。
- ――
- アートは自然の中とか、
いろんなところに
あるものなんでしょうか。
- 荒井
- うん、そうとも言えます。
自然に錆びたものとか朽ちたものを
カッコいいと思うことはよくあります。
でも、
「これを作品にするには、どうすればいいのか」
「どうしたらアートだって、
みんなが頷いてくれるのか?」
ということを考える人が
アーティストなんだと思うんです。
――
あぁ。なるほど。
- 荒井
- アートは、そこら中にあるように思います。
でも証明しなきゃならない。
誰も振り向きもしないことに
一生懸命になるっていうのは、そういうこと。
証明したいわけ、自分にも。
- ――
- 荒井さんは、アートを追求しながら
「わかる人にだけわかればいい」じゃなくて、
本当に「みんなに見てほしい」
という考えがあるんですね。
- 荒井
- うん、本気でそう思ってます。
難しい話は抜きにしてもね、
みんなが気軽に来てくれるように
門戸を大きくひらきたいなと思っています。
- ――
- 門戸をひらく。
あぁ、それも「門」ですね。
- 荒井
- うん、「門」だ。
- ――
- これから、山形を舞台に
どんな門がひらかれていくのか
とても楽しみです。
ありがとうございました!
(終わります)
※いよいよ本日9月20日は
山形ビエンナーレの開幕です。
みなさん、ぜひ足を運んでみてくださいね。