荒井 |
糸井さん、
ひとつだけ訊きたいことがあったんです。 |
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糸井 |
なんでも訊いてください。 |
荒井 |
あのね、オレ、よく、
絵本を描きたいとか
絵本作家になりたいとかいう人から
質問をされるんです。 |
糸井 |
はい。 |
荒井 |
たとえば、
「デッサンって必要なんですか?」
っていう質問をされて
オレは基本的には「しなくていいんじゃない?」
って答えるんです。
したいと思ったらすればいいし、
みたいな感じで。 |
糸井 |
はい。 |
荒井 |
デッサンについては、
不思議とよく訊かれるんですよ。
で、考えてみたら、絵本って、
絵だけじゃなくて、文章もあるんですよ。 |
糸井 |
うん、うん。 |
荒井 |
それで、文章の場合は、
デッサンってどうするの?
って、ふと思ったんです。
まわりの人に訊いてみてもね、
みんな、「さぁー」って言うんですよ。 |
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糸井 |
ああ、ああ。 |
荒井 |
「荒井さんは、どう思うんですか?」
って訊かれても、
「オレもわかんない」って言ってて(笑)。
それ以来、文章を書くことの
デッサンにあたる部分って
なんなんだろうって、ずっと気になってて。
いや、別に答えが出なくていいんですけど。 |
糸井 |
いや、とても考え甲斐のある質問です。 |
荒井 |
絵の場合だったらね、
まぁ、コップはコップらしく描きなさい
みたいな、基準というか
方法がひとつあるでしょ。
花は花らしく描く、というような。
もちろん、デッサンにしたって
いろんな方法があると思うんですけど、
とりあえず、それらしく描くという
デッサンのやり方がある。
で、「ことばのデッサン」は
どういうふうになるんだろう、と。
そもそもありえるんだろうか。 |
糸井 |
うーん‥‥
あるのかもしれないんですけども、
とりあえず、ぼくは知らないですね。 |
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荒井 |
うーん。 |
糸井 |
で、自分がことばのデッサンにあたるような
基礎的な修行したかっていうと、
自分にかぎっていえば、してはいない。
そもそも修行するようなことって
ぼくは、わりと苦手なんですよ。
正直にいうと、それよりは、
「あ、だいたいこういうことか」
っていうのを見つけることのほうが好きで。 |
荒井 |
うん、うん。 |
糸井 |
そういうことばっかりを
ずーっとしてきたような気がします。
だから、たぶん、なんだろう、
基礎的なことを反復練習するよりは、
0コンマ何秒でわかるようなことを
いっぱい考えるのが好きで。
文章やことばについても、
0コンマ何秒でわかるようなことを
頭の中から拾い出すみたいなことは、
もう、絶えずやってるんでしょうね。 |
荒井 |
あー、はい。 |
糸井 |
そう考えてみると、
ぼくにとっての練習っていうのは、
自分で書いた文章を
消しゴム持って自分で直すこと
だったのかもしれないなって
ちょっと、思います。 |
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荒井 |
あ、なるほど。 |
糸井 |
たとえば、ちょっとしたことで、
文章って気持ち悪くなるんですよ。
書いたものがこう、バカになる瞬間がある。
そのときに、バカになった文章自体が悪いのか、
バカにならせた前の文章が悪いのか
バカになりそうなところで、
止まっちゃったことが悪いのか。 |
荒井 |
うん、うん、うん。 |
糸井 |
っていうところで、
もう、めんどくさくてイヤなんですけど
最初から考えなおすか、とか。
逆に、この気持ち悪さを
活かせないかな、とかね。
そういうことって、
絵でもありますよね、たぶん。 |
荒井 |
あります。 |
糸井 |
やっちまった!
っていうことがあって、
そのあとに出てくる絵っていうのが
ありますよね、絶対。 |
荒井 |
うん。 |
糸井 |
それは文章やことばでもあるんで、
だから、なんだろう、
ただすらすらと書かれているような文章は、
ぼくはあまり興味がないんです。 |
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荒井 |
なるほどー。 |
糸井 |
なんだか、「ことばのデッサン」と
答えがずれちゃいましたけど、
でも、そういうことなんじゃないかなぁ。 |
荒井 |
ありがとうございます。 |
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(つづきます) |