夢か馬鹿か。
水中考古学って、知ってますか?

第28回
タイタニック号へのツアーがあるのを
知っていますか?
〜「タイタニック」2004


第2回目の『夢か馬鹿か』で、
深海に眠るタイタニック号の発見に
果敢に挑んだ人たちついて話をしたことがあります。
今回は、その「タイタニック」へのツアーが題材です。

タイタニックは、マサチューセッツ州ボストンの真東
1,610キロメートル、ニューファウンドランド、
セント・ジョンズ沖604キロメートルの海域に
沈んでいます。
この付近だと、もう氷山や鯨の群れを
まぢかに観察できる位置にあります。

タイタニックは、深さ3,800メートルの海底に
静かに横たわっています。
ちょうど富士山の高さに匹敵する、
気が遠くなるほど深い海底です。
僕の友人は
「君は潜れるんだから、タンクを背負って潜ってみたら?」
と、なかば冗談交じりに勧めてくれますが、
とても素潜りやスキューバで行ける距離ではありません。

タイタニックへのツアーは、
ロシアの大型海洋調査船ケルディッシュ号で現場まで行き、
そこから、おなじロシア所有の
三人乗り潜水艇で海底に潜るコースとなっています。
潜水艇ミール1号とミール2号です。
タイタニック号を訪れることのできる潜水艇は、
世界中でたったの4隻しかないといいますが、
そのうちの2隻がこれらのミール号です。
建造費も1艇で2,000万ドルはするという高価なもので、
日本円に換算してもざっと20億円はする代物です。
これらの艇は、映画「タイタニック」製作の時にも
チャーターされ水中撮影でも活躍をしました。

僕の恩師で水中考古学者のジョージ・バス博士が
このツアーに参加しました。
母船のケルディッシュ号には、
タイタニックに関するたくさんの本やビデオが
山のように積まれているそうです。
博士曰く、それらを読んだり見たりすることによって、
タイタニック号へたどり着く前に、
タイタニックにまつわる逸話や
彼女が発見された後の出来事について、
完璧といっていいくらい、
理解し慣れ親しむことができたそうです。

通常ですと、北大西洋の天候は不順で、
荒天の日が多いと聞いています。
が、幸い天気にもめぐまれ、
タイタニックが沈む洋上にいた10日以上もの間は、
風もわずかでうねりも穏やかな晴天がつづき、
信じられないほどの絶好の気象状況だったようです。

タイタニック号の沈没地点での最初の朝、
ケルディッシュ号の乗組員の一人が、
カーナビでおなじみの
GPS(衛星利用測位システム)を使い、
タイタニックの回りに4個の自動応答機を沈めました。
自動応答機とは、
信号を受けると自動的に応答を送る装置です。
この装置は、潜水艇のナビゲーションを
容易にする働きをしてくれます。

1912年の早春の夜にあえなく沈んだタイタニック号の
まさにその真上にある船上のデッキに立ち、
静かな海を眺めていると、
口々に助けを求め、溺れ、寒さで死んでいった
1500人もの人たちの悲鳴や叫び声が聞えてくるような
幻想に襲われたと聞きます。

いよいよ潜水の日がやって来ました。
バス博士がケルディッシュ号上にある
ミール号のはしごを登り始めました。
靴を脱ぎハッチを開け、狭い船室に体を縮めるようにして、
乗り込みました。
直径7フィートほどの球形の鋼鉄製のキャビンです。
耐火性の青色の落下傘降下用に使う衣服に着がえると、
まるで宇宙飛行士のようでした。

ロシアの操縦士ニキタと乗組員のクレイグが
案内役をしてくれます。
ニキタは英語を少し話せますし、
クレイグの方は、動物学と法律学の専門家で、
しかもプロのヘルメット潜水士としての経験も併せもつ
ユニークで印象的な人物です。

潜水艇の重さは、なんと18トンもあります。
ケルディッシュ号の巨大なクレーンが、
甲板上のミール号を引き揚げ、
船尾から水中にゆっくりと降ろし始めました。

さて、つづきは、次回をお楽しみに!

井上 たかひこ



「水中考古学への招待」
井上たかひこ著 成山堂書店
2000円(税別)
ISBN4-425-91101-6

2005-01-16-SUN

BACK
戻る