肉体言語で考えてごらんよ。安宅和人×糸井重里
安宅和人さんをお迎えして、
糸井重里と10年ぶりに対談をしました。

ヤフーやLINEといった会社をグループ化した
Zホールディングスで働き、
新人を積極的にチームに入れている安宅さんは、
同時に慶應義塾大学で学生に指導することも。
デジタルネイティブないまの若者を
よーく見てきた安宅さんと、
これからの時代の若い人の生き方について
糸井重里とたっぷり語り合いました。

ITの世界でデータを扱う安宅さんですが、
ご本人の育ち方は正反対な、自称「野生児」。
全身を使って体験してきたことが、
いまでも役に立っているそうですよ。
※この対談を動画で編集したバージョンは

 後日「ほぼ日の學校」でも公開します。
(3)まずは何で食っていく?
糸井
若い人の方が問題の本質を掴む感覚が、
まだないんじゃないかなって思ったんです。
というのも、若い人たちのほうが
「夢を持て!」と言われているもんだから、
大きいサイズで語った方が
本質的じゃないかって思う癖がついてるんですよ。
安宅
それは思い当たることがありますねえ。
先日、学生から人生相談を受けまして、
フランスの交換留学から帰ってきた彼女が
「私は一生をかけて、
自分は何をやるべきかわからないです」と。
いや、そんなの一生わからないから。
そもそもの問いが間違っているんです。
糸井
ああ、そうだ。
安宅
大学を卒業するにあたって
学生がまず考えなきゃいけないことは、
しばらく何でメシを食っていくかです。
それに尽きるのであって、
何だったら安定的に食っていけるのか。
自分の割と得意で、無理せず稼げる方法を
発見することがいちばん大事なんですよ。
それが得意なことだといいけれど、
得意じゃなくても、熱中できてもできなくても、
どっちでもいいからとにかく食っていける方法。
これしか考えなくていいんです。
安定的にそれが回るようになったら、
その間にでも、その後にでもいいから、
好きなことをやればいいんです。
写真
糸井
ああー、いいですね。
その考え方がきっと、人からすると
ビジネスマン的発想なんですよね。
安宅
そうそう、ビジネスマン(笑)。
その学生からは
「えーっ、間違った問いだったんですか!?」
と驚かれたんですけど、
それが間違ってるって思わないとダメなの。
答えなんか、わかるわけないんだから。
糸井
たとえば、ぼくなんかでも
「いつもクリエイティブな発想をするためには
どうしたらいいですか」
という質問を受けることなんかはありますよ。
安宅
まあ、糸井さんを見ていて
そう思うのはよくわかりますけど。
糸井
いやいや(笑)。
そうは言っても問題が大きすぎるでしょう。
あらゆる問題を地球温暖化にしてしまうのと
同じぐらい無茶な話ですよね。
最近よく言っていることで、
皮肉っぽく聞こえちゃうんだけど、
夢は小さい方がいい。
安宅
夢は小さい‥‥。
あっ、いいーですねぇ!
糸井
建設的ですよね?
安宅
ものすごい建設的。
そのフランス帰りの女の子に言ったことと、
まさに同じ話です。
糸井
小さい夢だと実現する方に向かっていけるから、
実現する喜びと手応えを感じられて、
それをやれていく能力がつくうちに、
夢のサイズは自動的に大きくなるんですよ。
できることが増えれば、
夢が大きいとかって考えないのに、
自然に君は大きくなるんだから。
そういった意味で、夢が小さいっていうのは
ぼくは素晴らしいことだと思うんです。
安宅
素晴らしいことですね。
(手元のほぼ日手帳にメモしながら)
ちょっと赤枠を書いておきます。
はい、ほぼ日手帳に赤く囲みました。
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糸井
あはは、ありがとうございます。
たぶん似たことで『イシューからはじめよ』も、
小さなサイズで考えることだってできますよね。
安宅
ちょっとしか考えなくても
いいようにしたかったので、
「夢は小さく」とは同じかもしれません。
糸井
あまりに視野が狭くなっている人には、
ちょっと目を離せっていうこともあるし。
安宅
逆に遠すぎる人も多いですけどね。
さっきのフランス帰りの子にしても、
なんでぼくだとか、ぼくの連れてくる
いろんな人たちの人生を見ていて、
「何をやるべきか」なんてことに
答えがないって気づかないんでしょう。
誰ひとりストレートな生き方を
していないじゃないかって言いたいですよ。
糸井
あっ、いま初めて考えたんだけど、
遠すぎるっていう問題は、
肉体感覚が失われているからじゃないかなって
思ったんです。
安宅
ああなるほど、
特にコロナ後の生活で。
糸井
遠すぎる問題は、
全部を情報処理として考えているからじゃないかな。
最初にぼやっと明るいものとして見えますよね。
星は何万光年と遠くにあっても、
光として認識できて方向性は見えます。
輪郭は見えないけれども、
あっちが光ってるなあって
肉体感覚としてはわかりきってることなんで。
遠くの問題だったら、方向だけ把握して
「あっちか!」ってなるだけでもいい。
近くの問題なら、そこの影の描き方が
間違っているんだったら直そうとします。
近いものなら手で触れて直せることも、
肉体で知っていることですよね。
安宅
確かにそうですね。
だから質感を感じられないことは、
ぼくらは考えられないんですよね。
糸井
安宅さんの肉体感覚が
養われた要因は思い当たりますか。
安宅
ぼくは野生児のような育ち方をしてまして。
糸井
ご出身は富山でしたっけ?
安宅
青年期よりもっと前から、
富山の漁村みたいなとこで育ちました。
米騒動発祥の地なんですよ。
小学校で米騒動について習うときに、
この街で始まったと教科書に書かれていて、
窓の外を見ながら「あの辺だ」って言われるんです。
「お前たちのお母ちゃんたちが
怖いのはもうしょうがない、血筋である」
と教えられるような土地だったんです。
父はもう亡くなりましたけど、
ぼくを無人島でも生きていける人間に
育てたかったらしいんです。



小学校に入ったぐらいの時に
その日生まれたひよことか連れてきて、
お前はこれを育てなさいとか。
蚕を連れてきて養蚕をしようとかですね。
父は釣り道具とかも全部作る人で、
糸と針とか、釣ってきた魚の皮を干して、
サビキもいっしょに作っていました。
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糸井
はあー!
安宅
小屋とか納屋とかも自分で木を削って
ホゾを作って組んで納屋を作るとか、
いっしょになんでも作る人でした。
だから、ぼくも小学校5年ぐらいで
ノミだろうがなんだろうが
だいたい全部の道具を使えました。
糸井
えっ、お父さんの本職はなんなんですか?
安宅
本職は車を修理する人でしたけど、
地元の釣りの会で会長をやっていて、
釣りばっかりやってまして、
夏とか週4日ぐらい船を出していました。
ぼくも小学校や中学校に行く前の
朝4時半ぐらいから船に乗って釣りをして、
朝釣ってきた魚をそのまま食べていました。
今日はタイです、今日はメバルです、
今日はフクラギですという。
あっ、フクラギっていうのは
30~40センチぐらいのブリのことですね。
とまあ、そういう感じの生活でした。
糸井
すっごい“全体感”に溢れてますね。
安宅
溢れてましたねえ。
庭に食べたいものを植えて育てて、
「あっ、山椒が必要だ。庭からとってこい」
みたいな感じで山椒の木から葉をちぎって
パーンっと叩いて食べる、そういう家なので。
(つづきます)
2023-05-21-SUN