肉体言語で考えてごらんよ。安宅和人×糸井重里
安宅和人さんをお迎えして、
糸井重里と10年ぶりに対談をしました。

ヤフーやLINEといった会社をグループ化した
Zホールディングスで働き、
新人を積極的にチームに入れている安宅さんは、
同時に慶應義塾大学で学生に指導することも。
デジタルネイティブないまの若者を
よーく見てきた安宅さんと、
これからの時代の若い人の生き方について
糸井重里とたっぷり語り合いました。

ITの世界でデータを扱う安宅さんですが、
ご本人の育ち方は正反対な、自称「野生児」。
全身を使って体験してきたことが、
いまでも役に立っているそうですよ。
※この対談を動画で編集したバージョンは

 後日「ほぼ日の學校」でも公開します。
(5)雷が落ちる実体験。
糸井
「雷に吹き飛ばされた」って
どういうことなんですか。
安宅
そういう経験、みなさんにはないですかね。
中2の頃の話なんですけど、
当時のぼくは、真冬以外は家の裏にある海で
毎日釣りをしていたわけです。
その日も釣りをしていて、
「雷が沖で落ちてきれいだなあ」と
思いながら釣りをしていたんですよね。
けっこう遠いから、関係ないやと思って。
それで気がついたら、なんか吹っ飛んでました。
写真
糸井
竿に雷が落ちたのかな。
安宅
10キロぐらい離れていると思って、
雷が鳴っていても関係なく、
竿を投げて釣っていたわけです。
やたら雷が落ちる日だなとは思ったけれど、
空中が帯電しているとは思ってもいなくて。
糸井
そのときは船ですか。岸ですか。
安宅
岸でしたね。
吹っ飛んでいる最中に
「ああ、すっげえ簡単に死ぬんだな」
と思ったんですよねえ。
しばらくしてから
生きてるかもしれないと気づくんですが、
最初は体が動かせなかったんです。
徐々に指が動くようになるんですけど、
電気が流れたショックで
神経をうまく起動できなかったのかなって。
「あっ、生きてる!」と思って、
なるべく竿を横にしながら引きずって帰っていく。
糸井
それでも竿は捨てない。
安宅
いやいやいやあ、捨てないですよ。
そんなことやったら親父に怒られちゃうんで。
竿を立てないように真横に倒して、
金属物のリールとかは触らないようにして。
糸井
そんな経験を教えてくれる機会って
なかなかないですよねえ。
安宅
ああ、ないですねえ。
ほんとにいい体験をしたなと思います。
で、じつはその1年ぐらい前にぼくは
車に跳ね飛ばされてるんですけど。
一同
(笑)
安宅
ひき逃げされちゃってですね、
そのときも同じぐらい吹っ飛びました。
首に半年間ギプスをして、
いまだに首が悪いんで不愉快ですけど、
ああいう生体験はいいですよ。
生きている限りはね(笑)。
糸井
アフリカでサイに体当たりされたっていうのと
同じことなんでしょうね。
つまり、どの時代にもあるという。
安宅
どの時代であっても、
時代に即した何らかのリスクがありますね。
糸井
アフリカのサイが、
安宅さんは自動車になっちゃったんだ。
リスクは避けようと思いながら生きる方が
自然だとは思うんですけど、
避けきれないっていうところで
経験になっているわけですよね。
それって、いま生きている人たちに
もっと経験できる機会があるぞって
教えてあげるにはどうすればいいんでしょうか。
その機会を意識的に作らないと、
経験できないですよね。
安宅
でも、意識的に雷は落ちないですよ。
糸井
でもさ、雷が落ちかねないところに
いる可能性を増やすことはできます。
安宅
ああ、それならできますよね。
写真
糸井
まあ雷は比喩だとしても、
それはひょっとしたら、
最近の地方創生だとか、
都市と地方の話に繋がっていく可能性が
あるんじゃないでしょうかね。
安宅
おっ?
糸井
いや、ぼくもいまいいことを
言ってるんじゃないかなって(笑)。
安宅
そうかもしれないです。
糸井
ぼくは最近、地方のことを
ちょっと好きになってきているんです。
『TOKIO』って歌を作った人なんですけどね。
安宅
いや、そうですよ。
糸井
ぼくは、東京にはなんでもあるんだって
コンセプトで生きてきたんですよ。
自然だって檜原村とかもあるわけだし、
全部があると思っていたんですけど、
東京にないものが多すぎるなっていう風に
この頃になって思うようになったんです。
たとえば、安宅さんが
おもちゃとかを集めていたとして、
邪魔になってきたから整理しなきゃなと思ったら、
倉庫を借りようと思いますよね。
仮に神田界隈で倉庫を借りようとしたら、
どういうスペースだと思いますか?
安宅
神田で倉庫が空いていたら‥‥、
本が積み上がっている
古本屋のようなイメージですかねえ。
糸井
そんなにはないんですよ。
コインロッカーの1箱みたいなものだけ。
安宅
なるほど。
糸井
でも、仮に富山で倉庫ないかなって探したら、
「倉庫とか名前つけなくてもいいんだったら、
ここに置いておけよ」って言ってくれて、
その場所はタダですよね。
安宅
ええ、タダだと思いますね。
糸井
その違いってものすごいんですよ。
釣りに行こうって言ったときにも、
ここから車に乗って
どこに行こうかなってなりますよね。
でも、安宅さんのご実家であれば
海のすぐそばですよね。
安宅
釣りに行こうと思ったら、
堤防を越えたら海です。
家→庭→堤防→海なんで。
糸井
みんながそんな場所で釣りしたいと言っても、
そこの値段は上がりませんよね。
安宅
値段は上がらなくて、タダ同然です。
糸井
それってつまり、地方では
価値のやり取りがされていないんですよね。
写真
安宅
ああ、そうなんですよね。
うーん、でもぼくなんかの世代は
糸井さんや、その周りの方々が作り上げた
東京の幻想に憧れて上京してきた人なんでね。
糸井さんってシティボーイというかシティそのもの、
コンセプトシティみたいな感じなんですよ。
糸井
東京にはなんでもあるっていうコンセプトが
『TOKIO』でしたからね(笑)。
『TOKIO』の歌詞をつくれたのは、
自分がTOKIOじゃないところで育ったからなんです。
TOKIOの方を向いて
「うわあ、きれいだ!」って思えたんですよ。
TOKIOに生まれた人たちは、
普段着でその辺を歩いているんで。
安宅
東京が地元の人たちにとっては、
東京の空気が当たり前すぎるんですね。
糸井
ニューヨーカーのイメージを作った人も、
ニューヨークから離れた
郊外で生まれた人たちなんです。
安宅
ああ、なるほど。
海が近くにあって、いつでも魚が釣れるような場所の
価値を生み出すためには、
かつて、糸井さんが東京に対してされたような
抽象化してシュッと魅力的にする
ワークが必要なんですよ。
そうでないと相変わらず価値を感じられないので。
糸井
ぼくはいま、
とても興味を持ちはじめているんですよ。
安宅
ああ、それはぜひ!
(つづきます)
2023-05-23-TUE