じぶんで決める、じぶんの仕事。 『アルネ』の大橋歩さんに、糸井重里が聞きました。
 


第8回 『アルネ』と「ほぼ日」を2人がやっている理由。

糸井 イラストレーターって不思議な仕事で、
絵描きでもあるし、大工さんでもある。
といいますか、職人でもある。
大橋 はい。
糸井 でも、職人だけになっちゃって、
あなたの仰せの通りに描きますよ、
っていうふうには、
絶対、なれないですよね。
大橋 なれないんですね、それが。
糸井 かといって、その職人部分なしで
絵描きだけになっていたら、
また自分がこれでいいのかしらっていう、
その、何か、さじ加減の仕事ですよね。
大橋 ええ。
糸井 そういうことについてこう、
考えたりすることっていうのは
あったんですか? 悩んだりとか?
大橋 たまたま、『平凡パンチ』を7年半、
させていただきましたが、
好きに描けばよかったんです。
誰も、ああいうふうな絵を描いてくれとか、
こうした方がいいとかっていうのは、
清水さんも木滑さんも
おっしゃらなかったので。
最終的にパンチを辞めたのは──、
ある時、唇を一つだけ描いたんです。
それを、私はすごく面白いと思ったんですよ。
そしたら、新しい編集長が、
これはないでしょう、って。
それで、わがままな私はカッときて、
こんなのやってらんない、って思って。
この編集長だったらもうこれから難しいなと。
糸井 それはわかるなー!
大橋 それで「降ります」って
言ったんですけども。
清水さんは、
「いや、それは一つの時代だな」って
言ってくださったんですけど、
一応、その年、12月いっぱいまでやって。
でもその後がもう‥‥、
描いてる立場から言うと、
辞めるって言ってから、
「ちゃんとやってかなきゃ」
って思った途端に、
絵が、よくなくなってますね。
糸井 ああ‥‥!
大橋 多分、その唇一つ、を、
「これは‥‥」
って言われたときに。
糸井 もう終わっていたんですね。
大橋 終わっていましたね。
糸井 それは『アルネ』と「ほぼ日」を
2人がやってる理由ですよね。
大橋 そうですよね、きっと。そうです。

 
   
大橋さんが『アルネ』のために描いたイラスト原画。
糸井 ですよね。つまり、僕で言うと、
「大人なんだからわかるでしょ」とか、
「お互いに仕事なんだしさ」
みたいなことを言われたときに、
ぽーんと意識が飛ぶんですよ。
それに近いことを言いたがる人とか、
あるいはこの人はお金で何とかなるなって
いうのが影に見えるときがあったり、
「あんた、いつまでも通用しないんですよ」
っていうようなことをほのめかされたり、
そんなようなことがいくつかあって、
「あ、この場所で試合してたら負ける」
って、僕は思ったんです。
つまり、全戦全勝じゃない限り、
やっぱりだめなんですよ。その勢いって。
一敗したらもうおしまいなんです。
大橋 はい、はい。
糸井 だとしたら一敗する権利を持つ場所を持とう。
自分の好きにやってった方が自分なんですよ。
‥‥5割の勝率でも感謝はされるんです。
だけど、そこでやってると
自分は変わっちゃうんですよ。
だから僕ね、スーツにネクタイの時代が
あるんですよ。40過ぎてから。
大橋 え?!
糸井 だんだんと広告のプレゼンテーションが、
大掛かりになってくるんですね。
数十人ぐらいの人数を相手に
プレゼンテーションを
やることになるんですよ。
「これが通ったら、この人数が助かるんです」
っていう代理店の人たちと、
それから、たとえば自動車会社とかだったら
何なに部門の人とかがうわーっていたり。
一部屋に50人もいるようなところで
プレゼンテーションをやるなんていうときに、
俺がいいかげんな格好して行ったがゆえに
信用されなかったら悪いじゃないか、
と思うんで、スーツで行くんですよ。
申し訳ないから、そんなことで落ちたら。
で──、それをやってるときの自分って、
俺の良さの半分も出ないんです。
だからどっかのところで加減して
何か‥‥バットのスイングを
思いっきり振れるのに、
ちょうどよく当てるといいんだよねって
いうようなことをやったら
どんどん力がなくなっていくんですよね。
大橋 そうですね。
糸井 それが40代の半ばぐらいのときです。
あ、これは終わるわ、と思ったんです。
大橋 そうですか‥‥。
糸井 うん、で、もう辞めるか、
何か考えるしかないなあ‥‥つまり、
自分で決められることだったら、
力を発揮できるっていう妙な生意気さは、
まだ残ってたんです。
大橋さんの『アルネ』創刊のきっかけは、
ほんとうに詳しいところまでは
存じ上げないんですけれど、
イラストレーターとして誰かが選んでくれる、
っていうのが、いやだったんだろうな、
って気がするんです。
大橋 私の場合はまず、
年齢がどんどんいくと仕事が少なくなりました。
それから管理されるというか、
いろいろ注文付けられるようになりました。
「あなたがお描きになれば?」
というぐらいのこともあって(笑)、
もう耐えられなくなって。
糸井 心の中でむらむらしてる、
むかむかしてるんですよね。
大橋 そうですね。
それでも、広告だと
たくさんお金を頂戴するので、
事務所を運営していくのには、
それも大切かもしれないというふうに
思う時期もあったんですけれど、
でも、そのときの絵は、よくないんですよ。
自分自身、もうこれはだめだね、と、
だんだん思うようになって。
それでまあ、仕事も少なくなってきたし、
プレゼンテーションも落ちるようになって、
何か今、すごく好きなことをしよう、
と思って作ったのがたまたま
『アルネ』なんです。
糸井 うん。
大橋 たまたまね、前に糸井さんの事務所の方と
お話ししたときに、
『アルネ』はそういうふうにして
作り始めたっていう話をしたら、
糸井さんも実はそうだっていう
お話を聞いたので、
それ、聞きたかったんです、今日。
糸井 もう全く同じですよ。
もう一人、重松清さんが同じ話を
「糸井さんも同じこと言ってますね」
って話をどっかでしてましたね。
大橋 あ、そうです、そうです。
糸井 同じような時期に同じようなことを
始めたんですね。
メディアが紙の雑誌だったっていうことと、
僕はインターネットだったっていうことが
違いますけど、もう全く同じですよ。
 
(つづきます!)
2007-02-09-FRI
協力=クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン
 
 


(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN