糸井 |
イラストレーターって不思議な仕事で、
絵描きでもあるし、大工さんでもある。
といいますか、職人でもある。 |
大橋 |
はい。 |
糸井 |
でも、職人だけになっちゃって、
あなたの仰せの通りに描きますよ、
っていうふうには、
絶対、なれないですよね。 |
大橋 |
なれないんですね、それが。 |
糸井 |
かといって、その職人部分なしで
絵描きだけになっていたら、
また自分がこれでいいのかしらっていう、
その、何か、さじ加減の仕事ですよね。 |
大橋 |
ええ。 |
糸井 |
そういうことについてこう、
考えたりすることっていうのは
あったんですか? 悩んだりとか? |
大橋 |
たまたま、『平凡パンチ』を7年半、
させていただきましたが、
好きに描けばよかったんです。
誰も、ああいうふうな絵を描いてくれとか、
こうした方がいいとかっていうのは、
清水さんも木滑さんも
おっしゃらなかったので。
最終的にパンチを辞めたのは──、
ある時、唇を一つだけ描いたんです。
それを、私はすごく面白いと思ったんですよ。
そしたら、新しい編集長が、
これはないでしょう、って。
それで、わがままな私はカッときて、
こんなのやってらんない、って思って。
この編集長だったらもうこれから難しいなと。 |
糸井 |
それはわかるなー! |
大橋 |
それで「降ります」って
言ったんですけども。
清水さんは、
「いや、それは一つの時代だな」って
言ってくださったんですけど、
一応、その年、12月いっぱいまでやって。
でもその後がもう‥‥、
描いてる立場から言うと、
辞めるって言ってから、
「ちゃんとやってかなきゃ」
って思った途端に、
絵が、よくなくなってますね。 |
糸井 |
ああ‥‥! |
大橋 |
多分、その唇一つ、を、
「これは‥‥」
って言われたときに。 |
糸井 |
もう終わっていたんですね。 |
大橋 |
終わっていましたね。 |
糸井 |
それは『アルネ』と「ほぼ日」を
2人がやってる理由ですよね。 |
大橋 |
そうですよね、きっと。そうです。
|
糸井 |
ですよね。つまり、僕で言うと、
「大人なんだからわかるでしょ」とか、
「お互いに仕事なんだしさ」
みたいなことを言われたときに、
ぽーんと意識が飛ぶんですよ。
それに近いことを言いたがる人とか、
あるいはこの人はお金で何とかなるなって
いうのが影に見えるときがあったり、
「あんた、いつまでも通用しないんですよ」
っていうようなことをほのめかされたり、
そんなようなことがいくつかあって、
「あ、この場所で試合してたら負ける」
って、僕は思ったんです。
つまり、全戦全勝じゃない限り、
やっぱりだめなんですよ。その勢いって。
一敗したらもうおしまいなんです。 |
大橋 |
はい、はい。 |
糸井 |
だとしたら一敗する権利を持つ場所を持とう。
自分の好きにやってった方が自分なんですよ。
‥‥5割の勝率でも感謝はされるんです。
だけど、そこでやってると
自分は変わっちゃうんですよ。
だから僕ね、スーツにネクタイの時代が
あるんですよ。40過ぎてから。 |
大橋 |
え?! |
糸井 |
だんだんと広告のプレゼンテーションが、
大掛かりになってくるんですね。
数十人ぐらいの人数を相手に
プレゼンテーションを
やることになるんですよ。
「これが通ったら、この人数が助かるんです」
っていう代理店の人たちと、
それから、たとえば自動車会社とかだったら
何なに部門の人とかがうわーっていたり。
一部屋に50人もいるようなところで
プレゼンテーションをやるなんていうときに、
俺がいいかげんな格好して行ったがゆえに
信用されなかったら悪いじゃないか、
と思うんで、スーツで行くんですよ。
申し訳ないから、そんなことで落ちたら。
で──、それをやってるときの自分って、
俺の良さの半分も出ないんです。
だからどっかのところで加減して
何か‥‥バットのスイングを
思いっきり振れるのに、
ちょうどよく当てるといいんだよねって
いうようなことをやったら
どんどん力がなくなっていくんですよね。 |
大橋 |
そうですね。 |
糸井 |
それが40代の半ばぐらいのときです。
あ、これは終わるわ、と思ったんです。 |
大橋 |
そうですか‥‥。 |
糸井 |
うん、で、もう辞めるか、
何か考えるしかないなあ‥‥つまり、
自分で決められることだったら、
力を発揮できるっていう妙な生意気さは、
まだ残ってたんです。
大橋さんの『アルネ』創刊のきっかけは、
ほんとうに詳しいところまでは
存じ上げないんですけれど、
イラストレーターとして誰かが選んでくれる、
っていうのが、いやだったんだろうな、
って気がするんです。 |
大橋 |
私の場合はまず、
年齢がどんどんいくと仕事が少なくなりました。
それから管理されるというか、
いろいろ注文付けられるようになりました。
「あなたがお描きになれば?」
というぐらいのこともあって(笑)、
もう耐えられなくなって。 |
糸井 |
心の中でむらむらしてる、
むかむかしてるんですよね。 |
大橋 |
そうですね。
それでも、広告だと
たくさんお金を頂戴するので、
事務所を運営していくのには、
それも大切かもしれないというふうに
思う時期もあったんですけれど、
でも、そのときの絵は、よくないんですよ。
自分自身、もうこれはだめだね、と、
だんだん思うようになって。
それでまあ、仕事も少なくなってきたし、
プレゼンテーションも落ちるようになって、
何か今、すごく好きなことをしよう、
と思って作ったのがたまたま
『アルネ』なんです。 |
糸井 |
うん。 |
大橋 |
たまたまね、前に糸井さんの事務所の方と
お話ししたときに、
『アルネ』はそういうふうにして
作り始めたっていう話をしたら、
糸井さんも実はそうだっていう
お話を聞いたので、
それ、聞きたかったんです、今日。 |
糸井 |
もう全く同じですよ。
もう一人、重松清さんが同じ話を
「糸井さんも同じこと言ってますね」
って話をどっかでしてましたね。 |
大橋 |
あ、そうです、そうです。 |
糸井 |
同じような時期に同じようなことを
始めたんですね。
メディアが紙の雑誌だったっていうことと、
僕はインターネットだったっていうことが
違いますけど、もう全く同じですよ。 |
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(つづきます!) |
2007-02-09-FRI |
協力=クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン |