糸井 |
「ほぼ日」を始めるとき、
若い人に戻らなきゃって
気持ちがあったんです、僕は。 |
大橋 |
あ、そうだったんですか。 |
糸井 |
そのことに気づいた理由の一つは、
釣りでもあるんです。
釣りって平等なんですよ。
つまり、ビル・ゲイツが釣ろうが、
そこらへんの中学生が釣ろうが、
地位やお金では
魚は食ってくれないんですよ。
釣りに夢中になった時期に、
「あ、俺、もしかして、
一人で生きていけない体に
なりそうだったな」って気づいたんです。
つまり、黒い車がお迎えに来たところに、
開けられて乗っていたら、運転忘れますよね。 |
大橋 |
はい。 |
糸井 |
それと同じようなことが
いっぱいあると思ったんですよ。
僕はそっちに行かないタイプだったんで、
あんまりないんですが、
ない、とは言っても、あるんですよ。
つまり電話しといてって言ったら
誰かがしてくれるわけなんです。 |
大橋 |
はい。 |
糸井 |
本当はできるのに、した方がいいのに、
人に譲っちゃったことが、いっぱいあって。
たとえば典型でいうと引っ越しです。
たとえばね。
僕、今でも引っ越しの手出しは、
何にもしない。
邪魔だからっていうことが
一番大きいですけど、
引っ越しのこと考えるだけで
頭がもう、いっぱいになっちゃうんですね、 |
大橋 |
はい(笑)。 |
糸井 |
で、全部任せてると、できちゃうから、
それでいいやと思ってるんですけど、
若いときの引っ越しは
全部自分でやりましたよね。 |
大橋 |
はい。 |
糸井 |
引っ越しができる自分というのは、
引っ越しのそのめんどくさいことを
お金で買えるようになってからは、
失われたんですよ。 |
大橋 |
はい。 |
糸井 |
で、釣りをすると、
そのことが痛いほどよくわかって。
僕は主に河口湖とか、
芦ノ湖とか行ってましたけど、
運転してでかけるのも、
前の日に準備するのも、ボート出すのも、
釣りをするのも全部自分でやんない限り
誰もやってくんないんですね。 |
大橋 |
はい、そうですね。 |
糸井 |
で、全部やることが面白いんですね。 |
大橋 |
はい。 |
糸井 |
ですから、大学生の、
毎日さぼって釣りばっかりやってる
お兄さんと一緒に朝の5時半の受付に並んで、
ゼッケンを貰って、2000円払って、
みんながどう釣って勝つかみたいな
話をしてるところに、
オヤジが一人混じってるわけです。
で、ヨーイドンで出てって、
ルールを守んなければ失格。
で、そういう120、130人出る大会に
年に6回出て。 |
大橋 |
へえー! |
糸井 |
それで年間の答えが出るんですけど、
ある時、8番になったことがあるんですよ。 |
大橋 |
はい。 |
糸井 |
で、8番になったとき、
俺、泣いたんですよ。嬉しくて(笑)。 |
大橋 |
(笑) |
糸井 |
で、そのときたまたま、
かみさんも来てたんですけど、
「俺さー、8番‥‥」って言ったら、
ぼろぼろ涙が出てきて。
その何て言うんだろうな、
自分が体ひとつでできることっていうことの、
釣りにおいての一番上が8番なんですね。
で、そういうことを俺、
全部、譲り渡してたなって
実感があったんですよ。 |
大橋 |
ああ。わかります。 |
糸井 |
で、その分、お金で買えたり、
地位で通せたり、っていうことで、
けだものの持ってる強さが
全部失われたなあと思って。
これ、全部なくなったときに、
僕はどうだろうっていうのを
釣りで試したかったんですね。
で、それをやってるうちに、
一方でうちに帰ってからやってることは、
仕事、あんまりしたくなくて。
ちょうどインターネットが
始まった頃ですから、
アメリカの大学生が仕事として
スタートしてるっていうことをいっぱい見て、
あ、そうか、釣りで大学生と
一緒に列に並べるんだったら、
スタンフォード大学の列に、
インターネットで何かを始めた学生の列に、
僕も並べばいいと思ったんです。
英語わかんないですから、
日本でやるんですけど、ゼロ同士ですから、
ハンデもなければゲタもはかせてもらえない。
そこでやる限りは潰れちゃっても一人だし、
ネクタイも締めなくてもいいし、
代理店のやつが何かいろんなことを
都合つけてくれることもないし、
「全部やろう」と思ったんです。 |
大橋 |
ああ! |
糸井 |
そうしたら何かができるなと思って、
大橋さんの、あの、何ていうんだろう、
レイアウトのメモ、ありますよね、
あれと同で、僕も目次を書き始めたんです。 |
大橋 |
あ、そうなんですか。
|
糸井 |
うん、で、目次書いてたら、
楽しくてしょうがないわけ。
で、そんな目次の本なんか
どこにも見たことないんですよ。
たとえば当時で一番典型的なのは
大瀧詠一さんのインタビューをやるって、
一つの僕のアイデアだった。
大瀧さんはその頃、
どこにも出てきたことなくて、
歌はあんなにかかってて、
みんながCDを持っているのに、
当の大瀧詠一さんは福生から出て来ない。
年にいっぺん、お正月だけ
ラジオをやるんですね。 |
大橋 |
あ、そうなんですか。 |
糸井 |
それで、食えてるってこと自体が
不思議じゃないですか。 |
大橋 |
不思議ですね(笑)。 |
糸井 |
一回どっかですれ違い程度に会ったときに、
「俺は10年食えるレコードを
作ったつもりだから」
って言ってるんですよ。
つまり「A LONG VACATION」
っていう、自分を十年分食わせてくれる
アルバムを作って引っ込んだんです。
‥‥かっこいいでしょ。 |
大橋 |
すごい。 |
糸井 |
その話、聞いてみたいじゃないですか。 |
大橋 |
はい、はい。 |
糸井 |
CDの売り上げランキングがどうの、
っていうなかで、
大瀧さんは10年食える仕事をして、
楽しく暮らしているらしいぞとか、
いまはこういうことをしているらしいよ、
っていう話が、都市伝説のように
聞こえてくるんです。
自宅に衛星用の巨大なアンテナがあるだとか、
信濃町のソニースタジオで
コンセントにこっそり何かを刺してるやつが
いると思ったら大瀧さんで、
いよいよ次のレコードを作るのか、
みたいなうわさ話が。 |
大橋 |
えー! |
糸井 |
その話は『平凡パンチ』にも『文芸春秋』にも
『週刊ポスト』にもどこにも載らないですよ。
でも、俺がお願いしたらもしかしたら
喋りに来てくれるかなって思ったら、
もうワクワクしますよね。 |
大橋 |
はい。 |
糸井 |
で、実現したんです。
あるいは昔会ったアップルコンピュータの
部長だった原田さんていう
すごく元気のいい人がいて、
新聞読んでたら、
その人が社長になったらしい。
部長になったときに知り合ったから、
社長になっても取材できるかもしれないな、
と思って、ちょっとツテをたどったら、
原田さんはうちの何だかよくわからない
会社に来てくれて、
社長としての初めてのインタビューを
うちでやってくれたんです。 |
大橋 |
へえ! |
糸井 |
今、マクドナルドの社長、
やってるんですけどね。
今でも仲良くしてるんですけど、
そんなの、どこの雑誌にもないですよね。 |
大橋 |
ああ、わかりました。あのかた。 |
糸井 |
ええ、あの人なんですけど。
原田さんは実は大型トラックの免許を
持ってたりするんです。
おっかしい人なんですよ。
なんで大型トラックの免許を
持ってるかっていうと、
それで仕事してたからなんです。
そういう、
「あの人のこういうところが面白いな」
とか、あるいは
「こういう企画を考えたら、
実現したら面白いぞ」
っていう目次をどんどん作ってたら、
もうね、引っ込みがつかなくてなって。
まさしく大橋さんが『アルネ』のために
毎号、作っているメモ帳と同じです。 |
大橋 |
同じですね。 |
糸井 |
全く。 |
|
(つづきます!) |
2007-02-11-SUN |
協力=クリエイションギャラリーG8/ガーディアン・ガーデン |