赤塚さんのところには 『天才バカボン』文庫版の お仕事がきっかけで行ったんです。 そこで言われたことがね! すごかったんですよ! (机をバンバン叩く) |
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ほぼ日 | へえぇえ! 何だったんですか? |
「デザインをやる祖父江です」 って言ったら、 「……デザイン???」 |
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ほぼ日 | いきなり疑問ですか? |
そう。 「マンガはね、デザインなんて要らないよ」 って言われたの! |
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ほぼ日 | でも、それまでの赤塚さんの単行本は ブックデザインは、されてますよね。 |
きっと、 出版社の編集者がやってたりすることが 多かったんじゃないかな。 |
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ほぼ日 | あ、そうか‥‥、 雑誌の扉や、書籍の表紙も昔は 編集者の方や印刷所の方が やったりしてたんですよね。 |
そう。だから、 「デザインなんて、やるとこはないよ」って 赤塚さんに言われたんです。 デザインってのが何なのか、 それはちょっと謎なんだけどもね。 「漫画は安くないといけないし たくさん刷ればいいだけだから、 デザインは要らない」 |
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ほぼ日 | ヒィエェェ。 |
「バカボンの絵があって バカボンって字が書いてあれば、 それだけでいいの」 |
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ほぼ日 | ガーン。 |
「だから『赤塚不二夫』という 名前だって要らない」 |
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ほぼ日 | なんと。 |
シェーッ! でしょ? でね、 「『赤塚不二夫』ぐらいは 入れさせてくださいよ」 と言ったらね、 「うーん。だって俺、描いてないもん」 「え? 描いてるじゃないですか」 「でも、この絵は高井(研一郎)だし、 これは古谷(三敏)だし……」 って。 |
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ほぼ日 | フジオプロの、 当時アシスタントだったみなさん。 |
全部を自分ひとりで描いたわけじゃないからね。 「それにね、 赤塚不二夫っていっても いまの人は誰も知らないでしょ?」 ですって! |
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ほぼ日 | 知ってます知ってます。 |
「だけどみんなバカボンは知ってる。 バカボンって入ってれば、 俺の名前なんて入れなくていいんだよ」 って。ね? おもちろいでしょう? ぼくね、はじめてだったんです、 そんなこと言われたの。 |
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ほぼ日 | それは第1巻の制作のときですか? |
奥付を見ればいいんだ。 どれだ! |
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ほぼ日 | 1994年頃。 |
ばっちこーん。 | |
ほぼ日 | 15年ぐらい前‥‥だけど、 15年前というと、 エディトリアルデザインというのは、わりと あたりまえなものになってましたよね。 |
そうなんだけどねぇ。 そういえば その2〜3年前に、ぼくは 石ノ森章太郎さんと打ち合わせしたことがあるの。 結局、その仕事はなくなっちゃったんだけど。 |
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ほぼ日 | 『仮面ライダー』の。 |
石ノ森さんは、トキワ荘で 赤塚さんとすごく仲がよかったんです。 赤塚さんがギャグ漫画を出すきっかけも、 石ノ森さんに勧められたことが きっかけだったらしいんですが。 で、それは、お・い・と・い・て! |
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ほぼ日 | お・い・と・い・て(笑)。 |
ぼくが、いちばん大切にしていた 石ノ森章太郎さんの作品は、 虫プロから出てた 『ジュン』っていうマンガなの。 本文用紙が全編グレーの色上質、 上製本で函入りだったんです。 |
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ほぼ日 | 豪華ですね。 |
そのブックデザインが、 すてきだったんですよ。 最初に石ノ森さんにお会いしたときに、 「グレーの本文用紙に印刷された『ジュン』は、 高かったけど、お小遣い貯めて買いました。 いまでも宝物です」 と言ったら、すごく喜んでくださって、 そのときに石ノ森さんが言ったことが、 赤塚さんと正反対の逆だったの。 |
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ほぼ日 | 正反対の逆? |
そうそう。 「マンガというのは、たくさん刷って 読み捨てられるような文化ではないと思う。 マンガもひとつの芸術だと、ぼくは思ってる」 |
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ほぼ日 | それは、また、逆ですね。 |
反対の賛成くらい、石ノ森さんもすごいんです。 でも、石ノ森さんと とても仲のよかった赤塚さんは、 「漫画は、安くたくさん 読んでもらえばいいんで、 芸術でも何でもないよ」 って言う。 そのギャップがおもしろいなぁって! ‥‥感動でしょう? |
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ほぼ日 | 「名前も要らないし、アートじゃない」 という人と 「アートとしてちゃんと出版してほしい」 という人と。 |
おもしろいんだジョ〜。 | |
(つづきます) |
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