- お父さんから自分に遺伝しちゃったというか、
「渡されちゃった」と感じること、ないですか?
- そうですねぇ‥‥、「好み」に関しては
あるような気がします。
- 「好み」にあるんだったら、それは
全部にあるようなもんでしょう(笑)。
- 「この人のことを、ここまでは好きだけど、
これ以上好きになれない」
とか、そういう「好み」は
生前からお父さんとすごく一致してました。
だからたぶん、死後も一致してるのかなと思う。
- ふたりとも、一見
広くウェルカムなんだけど、細かいところで
「そこはだめだよ」
というところがあるよね。
あと、人と「切れたり」「つながったり」するのが、
わりと平気ですね。
- そうですね。
- 吉本さんも、絶交してる人がけっこういたけど、
その後、また会ったりとかしてて。
- ええ、会ったりしてました。
でもたぶん、対応を変えただけで、
「好み」は変わってないんだろうな。
そういうのって、なんとなく
わかる気がしていました。
- 生きることについての話って、
やっぱりそれは「好み」の話だと思う。
「どういう生き方が好きか」ということだから。
- あぁ、そうですね。
そういう意味ではたぶん、
「ほかの人の好みも認める」
というところに、大切さがあるのかなぁ。
- そうか、そうか。
- 「自分はこうだから、みんなもこうなってね」
というんじゃなくて、
「自分はこうで、みんなは違うけど、
まぁ、それもあるんじゃない?」
というふうに思えるかどうかが
すごく大きい違いなのかなと思います。
いまの時代、それが足りない気がして。
- それは、おおざっぱに言うと、
「寛容」みたいなことなんだけど、
そんな道徳的なことじゃないですよね?
- うん。それは、言うなれば
「隙間」です。
ちょっとした隙間がないと、
何も生まれてこないと思う。
「自分はこういう生き方です」と
はっきり打ち出したとしても、
「あの人とはぜんぜん違う」ということになると、
そこに隙間が生まれます。
すると、その隙間から
急に別の、違うものが出てくるんです。
隙間がないと、
人類が進化しないんじゃないかな、と思って。
- 人と人とが英知をぶつけ合って
大討論しても、見つかることなんて
じつはほとんどありませんよね。
ただ、例えば100万年の時間が流れたとしたら、
「この間にいろいろ見つかったね」
ということになると思う。
「今日わかる必要がないんだったら、
宿題だらけにしておいていいんじゃない?」
「問題をつぶさなくていいんじゃない?」
ということなんじゃないかな。
- うん、そうですね。
隙間のない苦しさがあって、いまは
「子ども、たいへんだなぁ」と思います。
私は自分の子どもを
「立派なおばあさん」になってから産んだから(笑)、
子どもの幼稚園に行ったら、
お母さんがみんな若くてね、すごく苦しんでた。
「こんなに苦しまなくても」と思う。
「こんなにお母さんが苦しんでたら、
たぶん、子どもはもっと苦しいだろう」
と思った。
- 苦しいのが、常態だと思っちゃうよね。
- うん。
「そこまでじゃなくても」という気持ちが、
『おとなになるってどんなこと?』を
私に書かせたところがあります。
子どもには、
「実はそうじゃないんだよ、隙間あるよ」って
言ってあげたいような気持ちもある。
- なるほど。
ぼくの場合、じっさい自分の子どもには
「面倒くさいから、こうしてれば?」
というようなことを「技術」として
ところどころ教えたかもしれない。
つまり、人は、
ネクタイしているだけで信用する、
みたいなところがあって。
- うん、うんうん。
- あいさつなんかもそうで、
運動部の人たちは、みんなそれをやるよね。
だから、運動部の人は好かれます。
そういうことを省いちゃって
作りあげるのは大変なんですよ。
「声が小さいのはだめ」とか、
うちのスタッフにも言うよ。
だから、新入社員で小さい声だった人が
いつのまにか大きくなってるもの。
- すばらしいですね。
そういうことはとても大切。
- ぼくに関しては、だから、
おそらく技術の話を
してるんだと思うんですけども‥‥。
- あ、いまちょっと思い出したことがあります。
毎年夏に、糸井さんもうちの家族も、
みんなでいっしょに伊豆の海に出かけましたよね。
食事の席で、みんながダラっとなって
食べたり呑んだりしている部屋に
糸井さんが入ってくると、
みんながちょっとシャキッとなってました。
それを私はちいちゃいときから覚えてた。
- え、そうなの?
シャキッと(笑)?
- 「あ、この人は、人を
こういうふうにさせるんだ」
ということを、昔から、
すごいなって思ってました。
(つづきます)
2015-12-11-FRI