糸井 その、「軽くていい」っていうのは、
言われてうれしいことばですね。
「軽い」ということばって、こう、
昔から悪い使われ方をしてたじゃないですか。
「軽い、軽い」っていうような。
谷川 うん。
糸井 でも、いまこの年齢になってくると、
「軽い」って言われることが
とてもうれしいんですよ。
谷川 ああ、そうですね。
糸井 もう、どうやって軽くなれるだろう?
って考えているというか、
筋肉を鍛えるかのように
軽くなりたいと思うくらいで。
なんなんですかねぇ、そういうのって。
谷川 でもね、「軽い」という美学は、
日本人は昔から、ひとつの観念として
持っていたと思うんですよ。
そのよさを知っていた、というのかな。
たとえば落語とか狂言なんて、
「軽い」という美学に属していると思うんですね。
糸井 ああ、そうですね。
谷川 で、仮に「重い」と「軽い」で分けると、
糸井さんもぼくも「重い」ほうが苦手でしょ。
糸井 苦手ですね(笑)。
ただ、敵対するわけではないというか、
自分の好みのなかには「重い」もあるんですね。
たとえば読書として接する世界には、
「重い」世界にグーッと引きつけられたりもする。
だから、いま、ドストエフスキーを
装丁だけキレイにして若い人に
紹介しようとしている人の気持ちというのは
とてもよくわかる。
谷川 うん。そうですね。
糸井 だから、
重さを否定して軽くなりたいわけじゃなくて、
重さは誰かに任せたい(笑)。
谷川 重いからこそ、軽く表現したいというか。
糸井 はい、はい。
谷川 そういうところがありますよね。
あの、「詩」というのは、
小説と比べると、絶対に軽いんですよね。
糸井 ああーー。詩は。
谷川 詩は。
糸井 うーん。
谷川 あの、みんな、詩っていうのは
なんかすごく深いもので、
たいしたもんだと思う傾向があるけど、
ぼくはね、詩っていうのは、
本当にいい加減でチョロいものだと
思っているんですよ。
だいたい枚数からして違うんじゃないですか。
700枚の詩なんてだれも書きませんよね。
せいぜい原稿用紙1枚か2枚でしょ。
だから、長編小説を書いてる人の
「重さ」に対してはね、
ぼくは、やっぱり畏怖の念がありますね。
糸井 うん。あの、なんていうんでしょう、
「もう戻れないぞ」っていう
旅をしている感じがしますよね(笑)。
谷川 そうそう(笑)。
糸井 詩って、極端に言ってしまえば、
びりびりって原稿用紙を破って
元に戻れるっていうところで
書かれますよね、やっぱり。
谷川 うん、そう。
詩ってね、なんか、わりと、
「なくなっちゃっても平気」みたいな。
水蒸気みたいに消えることができる、
っていう感じなんですよね。
それだけ人間から離れているところがあって、
そこがまぁ、欠点でもあるわけですけどね。
糸井 いいところでもあるし、欠点でもある。
谷川 うん。
糸井 あの、
「作んなかったことにしてくれる?」って、
人に笑いながら言えちゃうっていうか。
谷川 そういうところがね(笑)。
糸井 もちろん本気で書いてるんだけど、
「ゴミ箱に捨てられるかもしれなかった」
っていう軽さを、本質的には含んでますよね。
それはもう、紙1枚っていう、
物理的な軽さなのかもしれない。
谷川 うん、そうですね。
糸井 だから、こうして本にして
集まった状態になっちゃうと、
捨てられるような気がしないんですけど、
一個一個のことば、一個一個の詩は、
捨てられるんですよね、やっぱり。
谷川 うん。あとね、
詩は、覚えておくことができる。
糸井 ああーー、そうか。
谷川 小説は覚えておけないけど、
詩はもともとおぼえるために書かれている。
つまり、発生のときから考えても、
文字がない時代からつくられているわけだから。
みんな、詩をつくって、
歌ったりしてたわけでしょ。
だから、日本語の現代詩っていうのは
いまは覚えにくいけれども、
「暗記できない詩はよくない詩だ」なんて
いまだに言う人もいますよね。
糸井 なるほど、なるほど。

2008-04-21-MON



(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN