第3回 現実的な細部から出発して抽象に至る。
糸井 あの、この本は、
ぼくが書いたものではありますけど、
ぼくの手の中から生まれた本ではないので、
じつは、いままで、この本について
語ることはあまりなかったんです。
谷川 うん。
糸井 で、そういう本がこうして2冊出て、
あらためて思うのは、
じつはやっぱりうれしいんですよ(笑)。
なんだろう、あの、自分の記念写真を、
みんなに見てもらっているような
不思議なうれしさがあるんです。
あの、「柱のきず」ってあるでしょう?
いわゆる、背丈を柱に刻んでいく、きず。
紹介ページの文章にも書いたんですけど、
ぼくにとって、この本のことばは
「柱のきず」なんですよ。
ひとつひとつのきずにはなんの表現もなくて、
それは、刃物の跡にすぎないんだけど、
きずを見る側には、その意味がわかる。
むしろ、時間が経つほど、
きずの意味は大きくなる。
谷川 うん、うん。
糸井 自分でこの本を開いて読むとき、
そんな、柱のきずを見るような気分になるんです。
単に書いたときの気持ちを
思い出すというのではなくて、
書いた人を思いやりながら読む自分がいる。
でね、それを、ぼく以外のたくさんの人たちが、
やってくれてるんだと思ったら、
ありがたくて、ちょっと申しわけなくて、
なんだか夜更けに、感極まりましたね(笑)。
谷川 (笑)
糸井 だれかが、ぼくの柱のきずを見て、
なにかを思ったり感じたりしてくれている、
っていうこと自体が、なんか、もう。
谷川 でもね、糸井さん。
ここにあるひとつひとつのことばは
もう、柱のきずじゃなくて、
本当に自立していることばだからね。
みんな、そんなふうに、
「これはどういうつもりで書いたんだろう」
っていうふうに、書き手を思いながらは、
読んでいないと思いますよ。
糸井 ああーー。
谷川 おそらく、ことばは、
直接自分の中に入ってきて、
それこそ悩みに答えを出してもらったり、
人生の道しるべのように感じられたり、
「ああ、そうなんだよな」って、
自分が表現できなかったことを
表現してもらったように感じたりね。
もう、誰が書いたとかじゃなく、
箴言とか、格言に近いものになってる。
糸井 そういう使われ方になってる。
谷川 うん。いわゆる、アフォリズムですよね。
要するに、短いことばで人生観を述べるという。
萩原朔太郎の作品なんかにも
アフォリズムがあるんですけど、
糸井さんのこの本よりも、
具体的な生活から離れて書かれているんですね。
生活という拠り所がないところで
直接、人生について教えを垂れる、
みたいなところがあって。
ところがこの本は、そうじゃないですよね。
そこがぼくはすごく好きなんですけど、
つねに、非常に具体的な人生の、
現実的な細部から出発しているでしょう?
そして、ある抽象にまで至る。
ふつうの人生論の本というのは、
わりと抽象から出発しちゃうんです。
そういうのってね、年をとってくると、
読んでてもあんまりおもしろくないんです。
糸井さんのこの本は、
アフォリズムの系統にありつつも
具体的な生活や細部を語っている点で、
ぼくは名著だと思っているんですよ。
糸井 もう、ありがとうございます、本当に(笑)。
谷川 また、糸井さんって、
「おもしろい細部」とか「細部のおもしろさ」を
発見するのがものすごくうまい人だからね。
その、「おもしろい細部」というのは、
読んでて、もう、ほとんど
詩に近いと感じることもあります。
なんというか、発想はすごく詩的で、
でも文体としては明快な散文で。
だから、妙な人生論なんかを読まないで、
こういうのを読んだほうがいいと
ぼくは思うんですけどね。
こういう散文がちゃんと読めないと、
人として、本当はまずいと思うんですよ。
糸井 散文的だったり、詩に近寄ったり、
たんなる口語だったりとふらふらするのも、
もともと一貫性を持たせてないというか、
本にするためではなく、毎日、あるいは毎週、
そのときどきで読んでもらうために書いてるから
そうなるんだと思うんですよね。
具体的な細部の集まりなのに、
大きなかたまりとしては抽象的になっているのも
たぶんそういうことなのかなと。
谷川 ああ、そうですね。
だからぼく、
編集もすごくうまいと思っているわけ。本当に。
糸井 うまいですよ(笑)。
谷川 選び方、編集がすごくうまい。
糸井 愛されている気がするもん。
一同 (爆笑)
谷川 そうです。愛されていますよ、ほんとに、うん。
糸井 その、こういう愛情、ありますよね。
谷川 ああ、ありますよ、当然。
糸井 自分の中にも他人に対してあるけど、
この愛され方は、一ジャンルとして
「ああ、ありがたいなあ」と思いますよ。
谷川 それからもうひとつ、
ぼくが感心しているのは、
やっぱり造本、装丁、デザイン。
これがまたね、本当にいいと思う。
ひとつひとつのことばの
書体も、大きさも、行間も変えて
ああいうふうに組むという発想はすごいと思う。
これまでに出ている人生論の本はね、
だいたい同じ活字で同じ調子ですからね。
糸井 過去の人生論の本は、やっぱり、
書き手が、自分の人生論としての一貫性を
表現したいんじゃないかと思うんですよね。
谷川 ああ、たぶんね。
糸井 ぼくは真逆ですから。
もう、お願いだから、
一貫性を表現しないでくれっていう(笑)。
谷川 (笑)
  (続きます)

2008-04-22-TUE



(C)HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN