書の中に流れる時間。
- 古賀
- 昔のソビエトの映画「戦艦ポチョムキン」を撮った
セルゲイ・エイゼンシュタインという監督が、
日本贔屓の人だったみたいなんです。
それで、漢字の構造とかをいろいろ知って、
「へんとつくりの関係が、映像の編集と近い」と
言っていたんですよ。
- 糸井
- へえ。
- 古賀
- 彼が唱えていたモンタージュ理論(※)とも、
すごく近いと思うんですけど、
漢字では「ごんべん」があれば、
言葉にまつわる記号だ、というのがわかる。
それが視覚的にちゃんとわかった上で、
その言葉を読み書きできるというのは、
すごいことだ、と言っていて。
(※複数のカットをつなぎ合わせて編集する映画の技法)
- 糸井
- そうか。
モンタージュ理論の考え方は
ぼくもけっこう好きなんです。
- 古賀
- さっきの、糸井さんのツリーハウスのメモでいう、
書いたことばとことばが
たまたま隣接しているのとかも、
モンタージュ理論に近いですね。
- 糸井
- うん。この手書きのメモもそうですよね。
ここを見てるとき、まわりのものも
どこかで見えてるんだよ。
それはぼくにとって、すごく大事なんですね。
- 古賀
- そうなんですよね。
- 糸井
- これは前にもどこかで
書いたことがあるかもしれないけど、たとえばね。
花が「赤い」ということを
繰り返していくとする。
赤い、赤い、
赤い、赤い、
って書いていって、
最後に「雪が降る」って書く。
そのとき、雪に赤がうつるんだよ。
- 古賀
- ああー。
- 糸井
- 赤いって、ほんとは花のことを言ってるんだよ。
でも、もう雪の中に色が入ってきている。
だから、脳の中では一緒になるし、
絵を描けるんだよね。
- 古賀
- うわあ、ほんとうだ。
- 糸井
- 「きれいな人に会いました」
って、これはふつうなんだけど。
「汚いところで」って書き足すと。
- 古賀
- (笑)。
- 糸井
- でも、「きれい」が残ってるんだよね。
ずーっと。
- 古賀
- ああ、残ります。
- 糸井
- いま前川清さんと作っている歌も、ぜんぶそれで。
歳を取ってから恋をする話で、
春の花だの、夏のまぶしさだの、って歌ったあとで
ぜんぶ「~でもなく」って、ひっくり返すの。
そうすると、歌を聞いてる人のなかには
春の花や、夏のまぶしさっていうのは残って、
「秋に~」っていうところと
くっついちゃうんだよね。
そういう、ちょっと、
いやらしい歌なんだけどね(笑)。
- 古賀
- これも、モンタージュですね。
- 糸井
- うん。
さっきの、へんとつくりみたいな。
やっぱり、モンタージュが
好きなんだね、ぼくは。
思い浮かべられるイメージを
できるだけ使いたいと思うんです。
- 古賀
- うん、うん。
- 糸井
- だから、目に見える具体物に、
ぼくの考えも寄っていくんですけど、
困るのは、量子力学的な視点なんだよ。
- 古賀
- 量子力学的?
- 糸井
- 壁にボールをぶつけてるときは、
跳ね返ってくるという前提でぶつけてるんだけど、
量子力学的には、
ボールが壁をすり抜けて
向こう側に行くという可能性があるんだよね。
タイピングだけであらゆる文章を
つくっちゃうというのは、
壁の向こうにボールをやれちゃうのと
いっしょなんだよ。
- 古賀
- なるほど、そうですね。
- 糸井
- それに慣れちゃうと
体感が失われるんですよね。
- 古賀
- 言い方は難しいんですけど‥‥
年配の書き手のかたや作家さんで、
「手書きじゃないとダメなんだ」と言う人も
いらっしゃいます。
- 糸井
- いますね。
- 古賀
- ぼくからすると、それは違うんじゃないかな、
という気持ちもあるんですよね。
それはあなたの世代がそうだったからで、
パソコンを覚えるのが面倒だから
言ってるんじゃないのかな、と。
で、ぼくも決して
「手書きじゃないとダメだ」と
言いたいわけではないんですが。
- 糸井
- うん。
- 古賀
- さっきの、書くと描くの違いみたいな感じで、
糸井さんが以前、
書がわかるようになったきっかけとして
「軌跡をなぞって鑑賞するようになった」って、
おっしゃっていたんです。
- 糸井
- ああ、そうですね。
石川九楊さんの講演で聴いたんですよ。
- 古賀
- それと近くて、
書いている軌跡とか、
つい筆圧が強くなったところとかを
大事にしたいと思うし、
メモを取るときも、
どの位置に何をどうやって書くかっていうのは、
自分の中ですごく大事なんです。
- 糸井
- うん。
書を見るとき、自分の中で
書いた人の速度とか筆圧とか
ぜんぶを再現しながら見ることができる。
こう書いていて、「ハッ!」って筆を払って、
「あー、しまった!」と思ったから
ここで修正した、とかっていうのが、
人の字の中に入ってるんだよ。
そこに、物語がある。
- 古賀
- ええ。
- 糸井
- 「そうか、書は時間芸術なんだ」って
気がついたら、
今度は絵を見ることができるようになった。
横尾(忠則)さんの絵を見ていても、
「あ、ここで一回、違うと思ったんだな」とかね。
- 古賀
- はぁー‥‥なるほど。絵もですか。
- 糸井
- 横尾さんはずっと
「自分がやってることは未完だ」
って言ってるんですけど、
未完のままだと思うからこそ
いくらでも自分がやり続けられるし、
元気でいられるわけですよね。
「書の中に時間がある」と気づいたことは、
ぼくに、またあたらしい視点を
くれた気がするんです。
(つづきます)
2018-06-02-SAT