- 糸井
- 上野で石川さんにお会いしたのは、
ぼくにとって、とっても大きな事件でした。
- 石川
- おお、そうでしたか。
- 糸井
- 講演会で書の解説をなさっていて、
あの話は本当に聞けてよかったです。
- 石川
- ありがとうございます。
- 糸井
- 書の見方があるとは思ってもいなかったんですが、
まるで、催眠術にかかったみたいに
見えるようになるんです。
「あ、見えるんだ!」って思ったら、
書を見ることがおもしろくなりました。
石川さんの話を聞いた後は、
絵とかの見る目も変わったんです。
筆の速度感とか、力がどう入ったかとか、
ドラマが見えると思うんです。
書というのは、形の芸術だと思われがちですけど、
じつは、演劇や音楽を見るような、
時間の芸術の要素がとっても大きいですよね。
- 石川
- そう、そうですよ。
- 糸井
- 石川さんの見方で書を見れば、
どんなことが起こったかを追いかけられるし、
むしろ、追いかけないと
本当に鑑賞したことにならないんじゃないかって、
講演を聴いてショックを受けました。
石川さんは、書のおもしろさに
どうやって気づかれたんですか。
- 石川
- 書そのものがわかってきたのは、
自分の経験からいうと、だいたい10歳ぐらいです。
「ああ、書というのはこういうものなんだ」、
「こういうものが良いとされるんだ」
というようなことが、だいたいわかって。
中学へ入って12、13歳ぐらいですか、
当時の書家の大御所と言われる人たちが
書いているものをなぞってみると、
「ああ、こういうふうに書いたらこうなるんだ」
というようなことが、だいたい見えて、
それを書いてためしてみる、
ということをやっていました。
それから書に興味を持つようになって、
中学時代は字を書いて遊びました。
- 糸井
- はあー、中学時代に‥‥。
- 石川
- ちょっとひねりの利いた書を書いていた、
津金寉仙(つがねかくせん)という、
当時売れっこの書道家が
書くものを真似したら、先生も褒めてくれました。
子どもって馬鹿ですから、褒められたら嬉しい。
嬉しくなったらまたやるし、
やればまたできるようになって。
- 糸井
- 嬉しいですね。
- 石川
- 高校を出て、大学で書道部に入りました。
書道部では、広島とか奈良とか滋賀とか、
書の盛んな所からやってくる連中と、
いろいろな議論をしましたよ。
今まで田舎では知らなかった筆に出合い、
知らなかった紙に出合い、
硯に出合い、書き方に出合いました。
墨の濃さなんかも違ったりする中で、
書に対していろんな議論をし、
大きな書の展覧会があれば
必ず見に行って、あれこれ批評していました。
- 糸井
- うん、うん。
- 石川
- 大学に入った頃から、
書だったら何か、
物が言えているという実感がありました。
大学の書道部の仲間たちと
一緒に書をやっているだけでは飽き足らなくて、
サークルを作って、書の雑誌を発行し、
同時に展覧会を始めました。
- 糸井
- そういえば、書道の世界には、
碁会所みたいなものはないんですか。
- 石川
- いやあ、ぼくは碁会所ならぬ、
書会所を作りたいんですよ。
- 糸井
- あっ、やりたいんですね。
- 石川
- やりたいです。
硯などの道具はみんな置いてあって、
自分用の筆を預けておいて、
お勤めの帰りに寄れば少し書いたりもできる。
お互いにあれこれ批評して、
という「書会所」が、青山辺りにあればいいのに。
- 糸井
- 今は、そういう場所はないわけですね。
- 石川
- ないですね。
- 糸井
- 子どもの頃に、書道教室へ通う子はいましたよね。
だいたいは、中学あたりで辞めてしまいますが。
- 石川
- ああ、お習字はね、
10歳までやればいいんですよ。
小学校に入る頃から、基本だけはちゃんとやる。
そして、小学校3年生、10歳まで
きちっと朱を入れて添削してあげれば、
だいたい小学3、4年ぐらいで基本は終わります。
それでいいんです。それで基本がきちっとできる。
大事だと思うのは、
6歳から10歳まで筆を持って字を書くこと。
そのあとはもう、シャープペンシルでも
なんでもよろしいです。
- 糸井
- 基本を学べる場所が大事なんですね。
- 石川
- たとえば、白川静先生の出身の福井県では、
部首ごとに漢字を学ぶ勉強をしています。
草冠というものは草から由来していて、
そういうものに何がくっついている、
という形を勉強するんです。
この字にはどういう意味合いがあるか、
どういう形でこの字ができたかを教えるわけです。
- 糸井
- 成り立ちが頭に入ってくるんですね。
- 石川
- そうそう。
「こざと偏というのは、
地上と天とを結ぶハシゴだよ」
ということを教われば、
みんな、すぐに覚えられますから。
- 糸井
- ぼくは、5月の末ぐらいに、
京都の立命館小学校を見学に行ったら、
入学したばかりの1年生が
授業でひらがなを教わっていました。
そうしたら、さすが立命館、
白川先生の流れが入っていました。
先生が、ひらがなの「お」を
わざと極端に書いて見せました。
正しい「お」とはちょっと違う、
確かに丸まっているんだけど、
それじゃ大きすぎるという文字を書くんですね。
「これでいいのかな?」って先生が言うと、
子ども達が「違う!」って言うんです。
美しい「お」の形を前提にして、
ただの丸まっている文字じゃないことを、
授業でもう教えているんですよ。
- 石川
- ああ、はい。
- 糸井
- ぼくも、これで教わればよかったなと思いました。
立命館小学校の子ども達にとっての字は、
踊りの姿勢に近いんじゃないかな。
ぼくが書くような「お」は、
横棒があって、縦棒があって、
丸めておしまいっていう記号にしか過ぎません。
ぼくはもう、ガリ版を使っていた頃から、
すでに間違っているわけです。
全部の文字を上下の関係なく、マス目いっぱいに
埋めるような字を書くようにしていました。
それから、ゆるい筆圧の部分は出ないから、
筆圧が一定になってしまう癖がついてしまった。
自分の中に強弱と速度感が
なくなっちゃったんです。
- 石川
- ガリ版はデザインをやる人には大事ですよ。
「ガリガリ」と筆蝕を感じながら、
ひとつのマス目を想定して、
そこに入れていくということなので、
基本として非常に大事なことです。
ただ、何が違うかっていうと、
ガリ版の文字というのは、
印刷文字になぞらえて手で書いているんですね。
- 糸井
- そうですね。
- 石川
- 印刷文字では、明朝体でも字形を
正方形に想定するわけですよね。
そうじゃなしに、
筆の文字っていうのは
文字を45度、倒した形がモデル。
- 糸井
- なるほど、ひし形ですね。
底がペタンとしているというのは、
自然な文字じゃないんですね。
- 石川
- だって、日本語は縦に連ねるわけですから
正方形では安定してしまって、つづかない。
手で書く文字はひし形、その中でも、
右上と左下の斜めのラインを意識しながら
書くことが大事です。
書って簡単なんですよ、本当に。
わかってしまえば簡単なんだけど、
それをみんな、ある意味で傲慢に、
「わからない、わからない」
と言いながら何もわかろうとしない。
- 糸井
- ああ。
- 石川
- 書ほど易しいものはないですよ。
30日間でマスターできるんです。
ただし、1日24時間やり続ける計算で。
- 糸井
- 24時間‥‥!
- (つづきます)