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── |
ブライアンさんが、シルク・ドゥ・ソレイユの
クラウンになるまでの経緯を教えてください。 |
ブライアン |
じつは、私の家系はみんな、
サーカスに関わっているんです。
父もサーカスのクラウンでした。 |
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── |
へぇーー。 |
ブライアン |
私は、最初からクラウンだったわけではなく、
綱渡りをメインにやっていたんです。
そして、同時にコメディの勉強もしてましたから、
綱渡りとコメディを組み合わせた
出し物をやっていました。
そんなとき、ロンドンで幸運にも、
シルク・ドゥ・ソレイユの創設者である、
ギー・ラリベルテとジル・サンクロワに出会い、
彼らのショーに参加することになったんです。
その後、もう12年前になりますが、
彼らにとってはじめての
ヨーロッパツアーがはじまることになり、
私は綱渡りをやめて、シルク・ドゥ・ソレイユの
アーティスティックコーディネーターという役割で
ショーにかかわっていくことになります。 |
── |
それは、パフォーマンスをするわけではなく? |
ブライアン |
違います。
ようするに、机に向かう仕事ですね(笑)。
なかなかクラウンにならないでしょう? |
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── |
(笑) |
ブライアン |
その後、ラスベガスの常設ショーがはじまります。
そこで、「オー」の
アーティスティックコーディネーターを
やってくれないかと頼まれたんですが、
そのときは私の中で、
もう十分にやったような気がしていたものですから
もう、仕事をやめてもいいと思ってたんです。
そしたら、今度は「ミステール」のショーで
クラウンをやってくれないかと言われた。
それで、クラウンをやることになったんです。 |
── |
じゃあ、生まれついてのクラウン、
というわけでもないんですね。 |
ブライアン |
そうですね。
いろいろやったすえに、クラウンになった。
そして、両方を経験したからこそわかるのですが、
机に向かって働くよりも、
私にはこっちほうが合ってるんです。 |
── |
クラウンのほうが(笑)。 |
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ブライアン |
うん、クラウンの方がほんとに合ってる。
だから、いまはたのしいです(笑)。 私は、いま76歳なんですが、この年齢で、
こういうことができているのは
本当に自分でも幸運なことだと思っています。
私には、娘と息子がいるんですが、
娘はアクロバティックをやったあと、
ダンスのほうに転向して
いまはニューヨークにいます。
そして息子は、同じシルク・ドゥ・ソレイユで
クラウンとして働いているんです。 |
── |
へぇーー! |
ブライアン |
これは、ものすごく
幸運なことだと思ってます。
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(続きます!)
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