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糸井 |
モントリオールでくらいついていく毎日を終えて
ラスベガスに来て、ずっとショーをやっている。
気が緩んだりすることはないんですか?
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河邊 |
あります、長くやっている私は特に(笑)。 |
糸井 |
それは、あって普通だと思うんです。
人ってそういうことがあるもんだという
その仕組みが、シルク・ドゥ・ソレイユでは
できている気がするんですよ。 |
北尾 |
でも、ミーティングで、
「ショーの最中は、気、抜かないで」って
みんなでよく言ってるんです。
楽しんでもいいけれども
やることはしっかりやろう、と
話し合ってます。
‥‥英語だからよくわからないけど(笑)。 |
糸井 |
「オー」に出演していくうちに
技術は上がっていくものなんですか? |
河邊 |
上がる? |
糸井 |
もしかして、ここでは
「上がる」「下がる」って言い方が変なのかな? |
北尾 |
「変わる」って感じかな。
私の考えでは、技術は上がらないと
思うんです。
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糸井 |
技術は上がらない。 |
河邊 |
ショーは毎日、ある程度は進行も同じ、
振りも毎日ほぼ一緒ですから、
自分が経歴と違うことをやらない限りは
技術は上がらないと思います。
ただ、アーティスティックな面や見せ方など、
そういう能力は上がっていくと思います。 |
糸井 |
技術よりも芸術面が。 |
河邊 |
ショーの中で何が必要かというと、
そっちのほうだと思うんです。 |
糸井 |
昨日「オー」を観させていただいたときに、
まずはシンクロを観ている目のまま、
観客席に座ったわけです。 |
北尾 |
はい、はい。 |
糸井 |
シンクロの試合に比べると、
揃い方が最初は緩かったりするわけですが
決めるところでは
ピシャッといくんですよね。
これは、毎日やってることの
すごみだなと思いました。
あんまりピタピタそろってたら
かえってだめなんじゃないかとも思えたし。 |
河邊 |
もちろん合わせなくちゃいけないところも
ありますが、
このショーのおもしろいところは、
もっとほかのところにあると思います。
シンクロのパフォーマーといっても、
指ひとつひとつが違います。
競技だったら、そのあたりが揃っていないと
すべてポイントに
反映されてしまうんですけれども。 |
糸井 |
うん、うん。 |
河邊 |
でも、この舞台はそうじゃなくて、
ひとりひとりが表現を担っているんです。
表現というのは、指ひとつでもできる。
手の指と一緒で、足の指も使える。
足だっていろんな動きができるんですよ。 |
北尾 |
シンクロでは、足を高くするときに
「いかに高いか」を問われるんですけど、
シルク・ドゥ・ソレイユは、例えば
足首以上は出しちゃいけないよ、と
言われたりします。
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糸井 |
競技では避けなければいけなかったことでも
「こんな可能性があるんだ」というふうに
なっていくわけですね。 |
河邊 |
違う世界です。まったく。 |
北尾 |
それがすごくおもしろい。 |
糸井 |
それはうれしいですか? |
河邊 |
うれしかったのが半分で、
あとの半分は、ショックを受けました。
自分は何をしてきたのかと。
決まった形しか知らなかったから、
いろんなものが出てくる「箱」を
自分は持ってないんですよ。
ワーッと、混乱しました。
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糸井 |
シンクロの「高いほうがいい」みたいな価値観で
やりこんでいけば、
受験勉強と同じことで、高さなら高さが
天井知らずで求められるに決まってますよね。
それを懸命にやっていた人が
そうじゃないと知ったらショックでしょう。 |
北尾 |
きっと「点数の表現」をショーでやっても
おもしろくないんだと思います。
みんなが「あれは高いね」と
言っているばかりになったとしたら。 |
河邊 |
そうそう。 |
糸井 |
トップの選手を上から集めても、
ここでは「だからどうしたの?」ということに
なっちゃうんですね。 |
北尾 |
ここではみんな、技術を見てるんじゃないんです。
高さを出せない場合には
低い位置でどういう表現をすればいいのか、
ということのほうが大切です。
最初の頃は、そこがわからなくて
怖がりながら周りを見てました。
キョロキョロしましたよね?
ここに来たときは。
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河邊 |
うん、うん(笑)。 |
糸井 |
‥‥やっぱり、楽しそうに話しますね(笑)。
(続きます)
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