糸井 |
稲垣さんがバトンをテーマに
自分のスキルをどんどん上げてきた道筋って、
きっと、ひとりで目標を設定しては
それを超えることによって
自分を伸ばしていったわけでしょ。 |
稲垣 |
そうですね。 |
糸井 |
いってみれば、宮本武蔵が修行して
強くなっていくみたいなものですよね。 |
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稲垣 |
はい。 |
糸井 |
そのときは、自分で自分を
そうとう厳しく追い込んでいくんでしょう? |
稲垣 |
そう、そうですね。
ぼくがバトンをはじめてから
大学を卒業するときまで、
ずっとついてくれたコーチが
そういうタイプの人だったので、
ぼくにとってはそれがふつうでした。 |
糸井 |
ああ、そういう方がいらっしゃったんですね。
つまり、一種の英才教育というか、 |
稲垣 |
そうですね、小さいころから
そういうことをやってきたので、
キツいとかたいへんだというのは
あんまり感じなかったですね。 |
糸井 |
そういうときって、
具体的な目標に向かってがんばるわけですか。 |
稲垣 |
そうですね、やっぱり、
世界選手権で優勝するとか、
そういうことが目標になってました。 |
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糸井 |
それが、ここに来たら、
勝ち負けのない世界ですよね? |
稲垣 |
ああ、そうですね。 |
糸井 |
以前、『O(オー)』に出ている
シンクロをやっていた方に
インタビューしたとき、
それまで競争としてやってきたものに
勝ち負け以外の価値があると知ったとき、
ショックも受けたけど、
すごくうれしかったということを
おっしゃってたんですよ。
そのあたり、いま、稲垣さんは
どう感じていますか? |
稲垣 |
うーん‥‥そうですね‥‥。
ぼくは、シルク・ドゥ・ソレイユに
入る少しまえ、ある時期を境に、
自分とバトンの関係、
競技に対する考え方っていうのが
変化してしまったんです。
なんていうんですか、
ぼくは、バトンがあったから
いろんな経験ができたんです。
学んだこと、教えられたこと、
そこにはつねにバトンがあったんです。
ほんとうにそうだなって痛感したときから、
なんていうか、競技とか、結果は、
もういいんじゃないかって思えたんです。
こう、バトンといっしょに
充実した時間が送れてるだけでいいというか、
誰かと出会ったり、何かを経験できたりすれば、
べつに結果はいいのかなっていう
気持ちになったんです。 |
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糸井 |
ああ、それはもう、
シルク・ドゥ・ソレイユに入る
運命みたいな気がしますね。 |
稲垣 |
そうでしょうか(笑)。 |
糸井 |
ショーで演じるという道は
考えのなかにあったんでしょう? |
稲垣 |
そうですね、なにかこう、
バトンの演技をする、
そういうパフォーマンスをする
場があればいいなというのは思っていて。
そんなとき、2000年のことでしたけど、
ぼくはシルク・ドゥ・ソレイユを
はじめて観るんですけど、
やっぱり、それがすばらしくて、
「こういう場所で、
バトンがシルク・ドゥ・ソレイユによって
料理されたらどんなふうになるんだろう?」
ということに対して、純粋な興味を感じました。 |
糸井 |
ああ、なるほどねぇ。 |
稲垣 |
で、ええと、その後、
ラスベガスでやっている
『KA(カー)』というショーに
高橋典子さんという
バトントワラーが参加して、
そのステージを観て、
「ああ、いいなぁ」と。 |
糸井 |
確信を持つんだ。 |
稲垣 |
はい。 |
糸井 |
やっぱり、うかがっていると、
シルク・ドゥ・ソレイユに入る
運命だったみたいですねぇ。 |
稲垣 |
(笑) |
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(つづきます)
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