この日は稽古で「枠」が登場しました。 学校の廊下を表したり、自己紹介のときの枠にしたり。 「マームとジプシー」の舞台には、 よく「枠」が小道具として登場します。 四角い枠が、テレビになったり、 バスの窓になったり、ドアになったり。 ただの枠が、あらゆるものに変化にする。 それが演劇なんだなあと思います。 マンガでは、学校の廊下とテレビは、 ちゃんとそのものを描かなくてはいけないですから。 マームとジプシーで共同作業していく中で、 舞台上の枠が、 マンガのコマ的な使い方をされるようにもなりました。 モノではなく、人と人の距離を表したり、 「いま、私が話しています」という目印になったり。 枠そのものを投影することも。
枠ってなんだろう? 例えば一つ目が朝、二つ目が夜、というふたつの枠が並べば、 それだけで流れが生まれてマンガになります。 その流れ、高低差、みたいなのが マンガのいちばん小さな単位である気がしています。 舞台に出てくる枠を、マンガのコマ、として考えるならば、 そこに、 「舞台全体のながれとはちがう、 もうひとつの時間やシーンやがここにはありますよ」 というしるしなのかもしれません。 マームとジプシー主宰の藤田さんとの共作マンガ、 『mina-mo-no-gram』の表紙にも、 枠を持った青柳いづみさんが登場します。 彼女の枠の中だけ、風景の色が消えています。 記憶をテーマにした作品だったので、 「遺影」のような、 じぶんだけ、過去にとらわれつづけているような、 そんな気持ちを表してみました。 舞台「cocoon」をみるときには、 ぜひ、出てくる「枠」の意味についても注目してみて下さいね! 「cocoon」の稽古場は坂の上にあります。 歩くとけっこうきついこの場所、 役者さんたちはいつも稽古前にランニングするようにしています。 オーディション時は「華奢で色白な人ばかり」という印象でしたが、 このランのおかげで、みんないい具合に日に焼けて、健康的な肌色に! 南国が舞台なので、それっぽくなってきました。 そして激しい稽古もあいまって、 だいぶ身体が「走る」仕様になってきた印象です。
そろそろ追い込みですが、 稽古場で誕生日の役者さんをサプライズでお祝いしたり (なんと原田郁子さんのピアノ演奏つき!!)、 迷い込んできた赤ちゃんトカゲを飼い始めたり (知らぬ間に『マチ子』と命名されていた!)、 厳しいけれども楽しみもちらほら。 『cocoon』に出てくる女の子たちも、 真っ暗なガマの中という厳しい状況でも、 似顔絵を描いてもらったり、空想したり、 そんなことをして乗りきろうとしていたなあ。