ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

品がいい考。

なにか食べて、「品がいいね」だとか、
「品のいい味でしたね」なんていうときのことを、
ちょっと思い出してみるとね。
ほんとに、腹の底から「おいしかった」っていうときと、
ぜんぜんちがうんだよね。

けなしちゃいないわけだ。
「品がいい」ということは、悪口じゃない。
たしかに、ほめようとしているんだ。
だけど、遠いんだよね、
じぶんにとってのうれしいことじゃないという感じ。

もちろん、それは、
ぼく自身が「品のいい」人間じゃない
ということと、おおいに関係があるよ。
ぼくなんかが「品のいい味でしたね」なんて言うときは、
それなりに脳みそがしゃべっているんだろうね。
たまに、「品がいい」のと「うまい!」が、
同時に味わえることもあったかもしれない。
でも、いつ、どこの、なんだったか?
具体的に思い出してみようとしても、出てこない。
つまりは、ぼくは、
そんなものを食べたことがないのだろう。

おおむね、「品がいい」とほめるときには、
「ものたりない」を感じているように思う。
からだに打撃を受けてないのだ。
微笑みかけられただけ、みたいな感覚。
うす味で、微妙な香りがあったりして、やわらかい。
そんなものを想像する。

年をとると、そういうものを好むようになる
という話も聞くけれど、
ぼくの実感としては、
年をとると「そういうものも好むようになる」
というほうが合ってるように思う。

このへんまでの、じぶんの気持ちが、
あきらかになったのは、つい先日のことだった。
それまで、ぼくは、
じぶんが「品のいい」を好んでいると、
思いこんでいたのだった。
どうやら、そうじゃないみたいだとわかった。
「品のいい」を、認めていたというだけだったのだ。
これは、けっこうな発見だった。

食べものについての「品のいい」で言えることは、
他のさまざまなことについても言えるかもしれない。
品のいい服‥‥ああ、着てないし、似合わないだろうなぁ。

品のいい音楽?
バックグラウンドに流しっぱなしにして、
けっこう気持ちがいいかもしれないけれど、
「うわぁ」とか「いいなぁ」とか思ってはいなかったな。
クラシックの素養って、なにかのきっかけがあって、
それなりの時間を真剣に費やしたことがないと、
身に付かないものなのだろうな。
ま、それは「品のいい」ものばかりでなく、
「品のわるい」音楽やら食べものについても、
同じようなことは言えそうだけどね。
古典音楽が好きだとか、クラシックに詳しいということが、
なんとなく人間としての高級感に
つなげて考えられたりしているけど、
ほんとはなんにも関係ないことだったりする。

生活の様式にしても、
「品のいい」を採り入れてることはないなぁ。
少しそういう要素があるように、もし見えたとしたら、
それは、「バランスのよい虚栄心」の結果でしょう。

考えていることも、「品のいい」ことは、ほとんどない。
本気で考えたことが、「品のいい」という価値観と
重なることが仮にあったとしても、
それは、ぼくが「品のいい」考えの持ち主だからじゃない。

ま、こんなふうに言ってるからって、
「品のいい」なんてくそくらえ! というつもりはない。
いいじゃないですか、それはそれで。
でも、価値のピラミッドの
上のほうに君臨するものじゃなさそうだ。
広場に、いろんな価値観が集ったときに、
「やぁ、品のいいさんも、来てたんですね」
「ええ、おじゃまします」
なんて程度の平たい感じでいるのがちょうどいいね。
もちろん、「品のわるいさん」にも、
でかい顔をしてほしくないと、釘を刺しときたい。

なんか、ねぇ、だいたい、
もともと「品のいい」だの「品のわるい」なんてものは、
ひとつもなかったわけだからね。
腹の底から感じられる品なんてものは、ないはずだよなぁ。

ぼくは、このごろ、「カツ丼」的なものについて、
とても親しいものを感じている。
「カツ丼」食ってる人間というのは、
ほんとうに満足感のある顔をしているもんなぁ。

腹にずっしり重くたまるし、
一口ずつのうまさにドラマがある。

甘くてしょっぱい濃いめの味付けに、
とじたたまごの愛嬌、たまねぎの力添えね、
しかも、どんぶりにいっぱいの白いめしだ。
こういうものに支えられた豚肉、しかも、
その肉はパン粉をまぶしてすでに揚げられているんだ。
つまりすでに調理を終えているものを、
もういちど料理しているんだものな。

「品のいい」の正反対のところにあるけれど、
たぶん、とてもたくさんの人たちが、
ほんとうに好きなのは、こういうものなんじゃないか。
そう思っているんだ。
正直に言うとね、
この「品のいい」ということについての考察は、
「カツ丼」のことを考えている過程で、
副産物として生まれたものなんだ。

ここしばらく、ぼくは、
「ほぼ日」のことにしても、じぶんの考えることにしても、
「カツ丼」と対照していこうと思っている。
これは、企業秘密だったんだけど、言っちゃいます。

「それは、カツ丼に照らし合わせて、どうなの?」
ってね。

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