ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

あらかじめなるほどを禁じられた場面。

総理大臣の麻生さんと、
野党を代表する小沢さんが、
白熱する討論をくりひろげたら、
それを中継するテレビ局は、
「うまくいった。いい番組ができた」
というのかもしれない。

つかみ合い寸前のヒートアップなんかあった日には、
番組制作者一同が、麻生さん小沢さんに
感謝状を贈りたくなるくらいうれしがるかもしれない。
対立するふたりが、
たがいに、相手のいちばん痛いところを突きあって、
たがいの弱点があらわになっていくと場面などあったら、
プロデューサーは「内容のある番組になった」と、
大喜びするかもしれない。

対立。
白熱。
戦略。
打撃、防御。
矛盾。
勝敗。

そういうものをドラマだという。

「正」があって、「反」がぶつけられて、
「合」という新しいものが生まれるという。

しかし、そうやって対立やら白熱やらのあげくに、
なにが生まれたというのだろう。
麻生vs小沢が白熱したら、おもしろいのだろうか。
正邪の判断が下されるのだろうか。
片方が、むぎゅうと言って倒れるのだろうか。
そんなことは、ありゃしないのだ。

しかも、ほんとうに彼や彼が言いたいことは、
すでに本で書いてあることばかりなのだし、
相手の弱点を突きたいがあまりに、
じぶんの言いたいことを過剰に加工したりすることもある。
そんなの、ほんとはおもしろくないだろう?

ほんとに麻生さん小沢さんが出演して、
おもしろい番組をつくろうと思ったら、
(なぜかあり得ないのだけれど)
麻生さん小沢さんが、たがいに
じぶんの非があったら認め、
相手が納得できることを言ったら認め、
たがいに協同的に、
あるテーマについて語り合えばいいのだ。
知らないことは知らないと言い、
もっといい解決の方法を探し、
時には、さらに別の他人を呼び込みながら、
「ほんとうの解決」を考える。
党派的な要素を抜きにして、
ほんとうに「どうしたらいいか」を考えるなら、
そうやるほうがいいに決まっている。

そんなことあるはずがない、と思われるだろう。
それだけはしないのが政治家だから、と言われそうだ。
たしかに、ぼくも、そんな場面を見たことがない。
相手のほうがどう考えても正しいだろう、
ということがあっても、
話をすり替えたりしながら、認めないのが
政治家だったりしてきた。
そして、それが当たり前だと、誰もが思ってきた。

しかし、おかしいのだ、ほんとうは、それ。
「いちばんいい方法」を考える人々、のはずが、
そうなってないのは、おかしいだろう?
対立したり白熱したりしていれば、
「よかった」ということなのだろうか。
ぼくには、不思議でたまらない。

「なるほど」ということばを、
あらかじめ禁じているのが討論番組かもしれない。
企業や、目的のある組織で、
協同的に仕事を進めていかざるを得ない会議では、
「なるほど」は当たり前のことばだ。
じぶんの意見が方向転換させられたときこそが、
組織にとっては、
「いちばんいい方法」にたどり着く兆しだ。
ほんとうは、そういう話し合いが
いちばんクリエイティブでおもしろいはずだと、
ぼくは思ってきた。
このかたちでの白熱なら、きっとおもしろい。

どっちが勝つか、どんなふうに殴り合うのか。
そういう限定されたフィールドのなかの
格闘技みたいな見方で、
討論番組をドラマ仕立てにしようとするのは、
ものすごく古臭くて、
おもしろくない方法だと思うんだけどなぁ。

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