ダーリンコラム

糸井重里がほぼ日の創刊時から
2011年まで連載していた、
ちょっと長めのコラムです。
「今日のダーリン」とは別に
毎週月曜日に掲載されていました。

しっぽ。

犬といっしょにいると、
よく、「しっぽ」っていいなぁと思う。

犬の顔面には、表情筋というものがないので、
いつでも彼らは、マジに見える。
人間の目から見たら、
ずいぶんおかしいことをしているときでも、
犬の表情はマジである。
「ふざけた性格の犬」というものが、
いないと断言するのもどうかと思うけれど、
基本的に彼らはいつも真面目である。

からだがぴょんぴょんしているときに、
ああこの犬はうれしいんだと知るし、
悲しいと名づけていいのか、
しょんぼりしているのもわかる。
でも、それよりなにより、
「しっぽ」である。

どこにこんなエネルギーが隠れているのか、
この「しっぽ」を動かすために、
どれだけの練習をしてきたのか‥‥と、
考える必要などまったくない。
先天的に、犬は、すごいパワーで「しっぽ」を振る。
あの「しっぽ」の振動を見ているだけでも、
ぼくは犬と暮らすことはいいことだと思う。

生物の進化の歴史のなかで、
哺乳類の枝に連なる人類は、
どこかに「しっぽ」を置き忘れてきてしまったらしい。
「しっぽ」がないほうがいい理由、
というのが、おそらくあったのだろうな。

「しっぽ」があると、
顔やことばでどんなに取り繕っても、
正直なこころに直結しているから、
「ウソ」や「方便」がばれちゃうのかもしれない。
人類が「しっぽ」をなくしたのは、
「ウソ」や「方便」という「道具」を、
じょうずに使いたいためだったのかなぁ。

火を使えるようになったり、
二足歩行を完成させて両手が使えるようになったり、
ことばを使えるになったことの仕上げとして、
「ウソ」や「方便」を使えるようになった‥‥。
そういうことなのかもねぇ。

「しっぽ」について、若干偏愛の傾向のあるぼくは、
作詞の仕事がきたときに、
「仔犬みたいにしっぽがあったらいいのに」
という内容の歌詞をつくって、
レコーディングまでしてもらったことがある。
松本伊代さんの『テレビの国からキラキラ』の、
B面の『PATAPATA(パタパタ)』っていう歌。
たぶん、ほとんどの人が知らないだろうけど‥‥。

「しっぽ」、ほんとに、
みんなについてればいいのになぁ。
国会でも、官庁でも、会社でも、
「しっぽ」をパタパタさせてたら、
おもしろくなりそうだぞう。

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