しっぽ。
2010-07-05
犬といっしょにいると、
よく、「しっぽ」っていいなぁと思う。
犬の顔面には、表情筋というものがないので、
いつでも彼らは、マジに見える。
人間の目から見たら、
ずいぶんおかしいことをしているときでも、
犬の表情はマジである。
「ふざけた性格の犬」というものが、
いないと断言するのもどうかと思うけれど、
基本的に彼らはいつも真面目である。
からだがぴょんぴょんしているときに、
ああこの犬はうれしいんだと知るし、
悲しいと名づけていいのか、
しょんぼりしているのもわかる。
でも、それよりなにより、
「しっぽ」である。
どこにこんなエネルギーが隠れているのか、
この「しっぽ」を動かすために、
どれだけの練習をしてきたのか‥‥と、
考える必要などまったくない。
先天的に、犬は、すごいパワーで「しっぽ」を振る。
あの「しっぽ」の振動を見ているだけでも、
ぼくは犬と暮らすことはいいことだと思う。
生物の進化の歴史のなかで、
哺乳類の枝に連なる人類は、
どこかに「しっぽ」を置き忘れてきてしまったらしい。
「しっぽ」がないほうがいい理由、
というのが、おそらくあったのだろうな。
「しっぽ」があると、
顔やことばでどんなに取り繕っても、
正直なこころに直結しているから、
「ウソ」や「方便」がばれちゃうのかもしれない。
人類が「しっぽ」をなくしたのは、
「ウソ」や「方便」という「道具」を、
じょうずに使いたいためだったのかなぁ。
火を使えるようになったり、
二足歩行を完成させて両手が使えるようになったり、
ことばを使えるになったことの仕上げとして、
「ウソ」や「方便」を使えるようになった‥‥。
そういうことなのかもねぇ。
「しっぽ」について、若干偏愛の傾向のあるぼくは、
作詞の仕事がきたときに、
「仔犬みたいにしっぽがあったらいいのに」
という内容の歌詞をつくって、
レコーディングまでしてもらったことがある。
松本伊代さんの『テレビの国からキラキラ』の、
B面の『PATAPATA(パタパタ)』っていう歌。
たぶん、ほとんどの人が知らないだろうけど‥‥。
「しっぽ」、ほんとに、
みんなについてればいいのになぁ。
国会でも、官庁でも、会社でも、
「しっぽ」をパタパタさせてたら、
おもしろくなりそうだぞう。