デヴィッド・ルヴォー対談 だから演劇はやめられない。 ──昔の日々と、今の日々。──  ゲスト 宮沢りえ[役者と演出家編]/木内宏昌[演出家と劇作家編]
 
[役者と演出家編]その2 演劇だけにできることがある。
宮沢 ルヴォーさんと、
イプセンの『人形の家』をご一緒した時に、
もちろん原作で舞台となっている国とは違うし、
イプセンがこれを書いた時代とも違うしで、
この芝居をどう作っていくかということを、
まず最初にディスカッションしましたね。
とにかく台本を読み進めていったんですが、
ルヴォーさん、わたしが1行読むと、
「なぜこういうセリフを言ったんだと思う?」
「このセリフにどういう意味とか思いがあるのか、
 意見を聞かせてくれ」って。


‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
『人形の家』
1879年に「近代演劇の父」といわれる
ヘンリック・イプセンによって書かれた戯曲。
宮沢りえさんを主人公ノラにむかえ、
ルヴォーさんが日本で『人形の家』を演出したのは
2008年のこと。(相手役は堤真一さん。)
当時の公演についてはこちらのページをどうぞ。
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ルヴォー ぼくは、その1行1行、1個1個のセリフから、
物事が起きる深い理由っていうのを問いかける、
ということがしたかったんです。
宮沢 ところが、わたしは、そう言われて、
すぐに答えられなかったんですね。
せりふというのは、流れの中で言うことであって、
その1行ずつに前後とのつながりとか、
自分の思いっていうものを持っていなかった。
それを1日やって、稽古場で泣いたんです、悔しくて、
もう恥ずかしくて。
次の日には、先に進むにあたってその答えをちゃんと
見つけられるようにしていきましたけれど。
いろいろな演出の方法があると思いますが、
その作業っていうのは、今まで自分が芝居をやってきて、
経験したことがなかったことでした。
ルヴォー おっしゃる通り、
芝居の作り方のアプローチはいっぱいありますね。
でも、振り返ってみるとね、
ぼくの演出のテクニックみたいなことは、
りえさんには、正直、必要なかった。
りえさんはすごい勘をお持ちだと思う。
宮沢 いやぁ‥‥!
ルヴォー りえさんは、ひとつのイメージをフッと与えただけで、
それを何かにワッと変えることができる人です。
しかも、ちょっとショックを覚えるくらいに、
観る人を圧倒することができている。
これは──、もう話しちゃおうかな、
もう30年くらい一緒にやってきてる
イギリスのエージェントがね、観に来たんです、
りえさんのノラを観に来た。
彼は、30年ほどかな、
『人形の家』をいっぱい観てきたゆえに、
すべてに斜めの目線を持ってる人になってしまっていた。
その人が何度も、
「宮沢りえのノラは、今まで観た中で一番すごい」。
宮沢 ‥‥!
ルヴォー 彼にとって、ノラという人物が
ようやくわかるようになったきっかけだったそうですよ。
宮沢 でも‥‥。
ルヴォー だから、ぼくじゃなくて、
りえさんがすごかったんだと思う(笑)。
宮沢 いえ、最初の本読みの作業が大きかったです。
本を掘り下げ、どんどん深く掘ってみたり、
何かを除けてみたり。
台本っていうのは無限なんだっていうことを
知ったきっかけでもありました。
今でも、初日が始まるまで、
「もっとできることがあるんじゃないか。
 もっと発見があるんじゃないか」って思います。
もうそれはもう、体の中で思わざるを得ないっていうか。
本番が始まって、お客さんが観に来てくれて、
感想を言ってくれて、とても喜んでくれていても、
非常に疑い深くなったというか。いい意味で。
ルヴォー うん、うん。
宮沢 人間が持っている本質ってきっとそれぞれあって、
もちろんどの役も最高のところまで
たどり着ければいいと思って演っているんですが、
その役の持っている気質と
自分がとても似ている場合があるんですね。
ノラがそうでした。
彼女については、演じていても疑問が全然なくて。
疑問というのは「なんで彼女はこれを言ったんだろう?」
「これはすごく言いづらい」とか、そういうことですが、
それがなかったんです。
本当に心と体がずっと一致し続けてた感じがします。
ルヴォー ノラが「目覚める」っていうストーリーであったことも
関係があるのかな。
宮沢 何かこう、気付いた時に、ものすごいエネルギーが
ワーッと出てくるっていう‥‥。
最後の2人だけのシーンで、
ノラは初めてひとりの人間として、相手と会話をする。
それまでは会話であっても会話じゃなかった、
っていう関係性が出るんですね。
すごく血がたぎる感じがしました。
たとえば、野田秀樹さんとお芝居をやった時に発見した、
肉体的、思考的なものを、ちゃんと具体化した瞬間も、
本当に素晴らしいお芝居の体験でしたけれど、
お芝居をしていて、ああいう体験、
体に起こる変化はなかなかないなぁと思っています。
ただ、不幸なのは、これを知ってしまうと、
そこに到達できないと、本当に嫌だということ。
それがいつも自分を悩ませます(笑)。
ルヴォー 今、起きているリアリティ。
あの時一緒に『人形の家』をやった
タイミングっていうのも、関係しているでしょうね。
女と男っていう問題を扱う作品でもあるし、
ぼくは西洋の舞台を日本に持ってきた、
みたいなことはしたくなかったし、
りえさんのような鮮烈な存在が、この物語を、
この社会の中でどう体現できるかにも
興味があったんですよ。
「優れた演技」っていうのはありますよね。
あるけれども、それとは別に、
何かを体現するっていうことは、
また別の現象だと思います。
宮沢 ねぇ!
ルヴォー 最近はもう、「芝居はこうなってほしい」、
「こう演じられるべきだ」みたいなことは
考えなくなったんですよ。
その舞台を、実際どう作っていくか、
どう見せていくか、なんていうことは、
やっていれば見つかってくるものです。
もっと大事なのは、その優れた才能が体現するための、
──ぼくは「チャンネル」という言葉を
使っているんですが──、
それを“開く”ことができれば、
あとはすべてが起きてくる。
それをすればいいんです。
それってね、本当に
「いま抱えているクッションを
 部屋の向こう側まで投げてみよう」
という動作ひとつでできたりします。
そんなつまらないことひとつだったりする(笑)!
宮沢 そうですね。
ルヴォー 思いだしてきました。すごく記憶に残ってることを。
稽古中に、りえさんが、
すごく細かい何かを見つけるんですよ。
それを見つけて、その変化によって、
結果的に他のどんな変化が起きてくるかっていうのを
ずっと見ている。それを追いかけていく。
そうしてらっしゃったのが、すごく記憶に残ってます。
宮沢 30歳の時に野田秀樹さんとお芝居をやった時に、
40歳になるまでの10年間で、
舞台に立てる人間になるための経験をいっぱいしたい、
と思いました。
そして本当に演劇の素晴らしさっていうのを知りました。
それは、たとえば、映像の仕事だと、
「あそこに海が見える」って言ったら、
そこには海がなければ、成立しないんですよね。
でも、演劇では、「そこに海が見える」って言ったら、
そこは海が広がるし、それはお客さんの脳裏にも、
映像で見る海よりも、もっと深く広い海が広がる。
あの『人形の家』の時は、
ステージはリビングルームひとつだけでしたね。
物語にはベッドルームがあったり、
彼の部屋があったりするんだけれども。
そして最初のディスカッションがあったから、
セットとしてはリビングひとつでも、
玄関がこんな感じで、ポストがあって、
今日は寒いのか暑いのかとか、
そういうことを本当に気付かせてくれました。
ルヴォー そうでしたね。

(つづきます!)
2014-06-04-WED
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