あのタモリさんが、とくに意義も目的もなく、
ただただ糸井とむだ話をする。ああ、ぜいたく。
たいへん早熟だった幼稚園時代、江戸時代のこと、
高田純次さんのこと、博多の人たちのこと、
サングラスについて、偽善について‥‥。
いつまでも読んでいたいと思える対談。
あははははは!
サングラスをしてない人は、
それを自然にいけるっていうんですよ。
なるほど!
タモリさんのゆるくて深い話がとっても面白い!読めば読むほど、タモリさんてすごく深く考えて行動してるのか、結局とくに考えてないのかわからなくなるところが、魅力的! (AO)
出だしから何だ?!と思うような内容。確かにタモリさんといろんな話をしてみたい。 (ko)
漠然と思っていた理想の生き方が、ここにあった‥‥!タモリ先生!でした。「ねばならない」を避けて生きる、ただ生きる。素晴らしい。 (kk)
「人類はみんな、ほんとは変態である」という言葉をかみしめながら生活しています。格言です。 (ST)
「なんとか生き延びるってことが最優先」という言葉に目からうろこが。当時、なにもかもに迷っていた時期だったので、この言葉にかなり勇気づけられました。今でも心に留めています。 (AS)
東日本大震災の直後、いち早く組織としての
支援活動をスタートさせたクロネコヤマト。
会社としての判断だけでなく、現場の社員が
自発的に独自の判断で物資を運んだりもした。
ヤマトホールディング社長の木川眞さんと、
なぜヤマトはそれができたのかについて話す。
うちの社訓に、
「ヤマトは我なり」ということばがあります。
「ひとりひとりが会社の代表である」
という意識を持ちなさい、という意味です。
ヤマトと自分がイコールである、と。
ええ。ですから、それだけに‥‥
「被災しているヤマトの社員が
自発的に救援物資の配送をはじめている」
という事実を最初に聞いたときは、感動しました。
ほんとうに涙が出ました。
被災地を走る1台のトラックの写真を見た時、鳥肌が立ち、目頭が熱くなった事を今でも思い出します。素晴らしいクロネコヤマトのDNA、未来に続いて欲しいと願います。 (KS)
数ある対談の中でも特に、何度も読み返している対談です。身近でかつグローバル。日本がつながっているという勇気を読むたびにもらっています。 (YI)
あのとき、すごくナイーブになっていたから読みながら涙が出たのかと思ったけど、いま読んでも涙が出る。すばらしいです。 (YK)
震災に対する対応ももちろんですが、普段の社員皆さんのお仕事ぶりも垣間見えて、同じ社会人として脱帽です。毎日うちの職場に来るヤマトの方が、何だか素敵に見えるようになりました。 (AA)
会社に言われるからではなく、考え、動いたということ。大切なのはキモチと勇気なんだと思い知らされた対談。読み返し、また背筋を伸ばしていかなくては‥‥と思っている。 (SY)
就職活動に行き詰まりを感じてる一人の大学生が
「ほぼ日」に宛てて、メールを出しました。
「糸井さん、ぼくを面接してください」と。
最初のメールから1年4ヵ月をかけて、
彼はようやく最初の一歩を踏み出す。
多くの就活生に共感された、異色対談コンテンツ。
あのさ、志谷さんってさ、自分のことを
「正円」みたいなイメージでいる?
「まんまる」でありたい、みたいな。
それは、はい。できるなら。
僕は、学生と社会人のあいだに何か差があるとしたら
「まんまる」なのか「ごつごつ」してるか、
その差だと思ってるんです。
まんまると、ごつごつ‥‥。
つまり、ここにいる人たちって、
みーんな「ごつごつ」してるんですよ。
糸井さんの大人な対応、志谷くんの純粋な変化、読んでいくうちにどんどん頭に入り込んできました。私自身、就職活動をしていた時に中途半端なことしかできなかったのですが、その理由が分かった気がしました。 (KA)
いろんなことに悩んだり足踏みしたりしながらも、前に進もうとしてる志谷さんがすてきでした。 (SI)
「ふつう」といわれて傷つくところ、読んでいるわたしも「あいたた」と思った。でも、これを言ってくれる大人と出会えたこと、20年くらい後に、わたしと同じように息をのんで思い起こしてほしいなと思った。 (KM)
志谷さんと似たように「痛みに弱くて、怖がり」な自分。自分の気持ちや考え方と向き合うきっかけをくれたと思います。涙が自然と流れ、くすりと笑える場面もあったり、とにかく素敵な対話でした。 (YK)
面接の前日に読ませていただきました。この対談を読んで、心が軽くなりました。私なりの大切にしていることを面接で伝えられた気がします。 (sk)
作家であり、エッセイストであり、ロシア語の
通訳でもある米原万里さんと糸井の対話。
ことばに対する米原さんの造詣の深さと
真剣さが読む者を圧倒する。
ことばに限らず、人が何かを学ぶときの
さまざまなヒントが散りばめられている。
ロシアは「言葉があらゆる学問の基礎体力だ」
という考え方なのね。
だから、これを徹底的にやるんです。
そのメソッドは、今、考えても、いいものだった?
非常にいいですね。
日本人が外国語を勉強する時に苦労するのは、
結局、私たちは日本語の、自分の国の言葉の文法を、
ちゃんとやってないからなんですよ。
つまり、客観的に一つの体系を、
自分の国の言葉を持ってないんです。
だから、もう一つの体系をやるときに
ゼロからやらなくちゃいけないんですね。
ひとつの体系をきちんと把握していれば、
次の体系を身につけるのは、はるかに楽になるはずなんです。
だから、母国語でそれをやる方がいいんです。
母国語を、きちんとやった方がいいんです。
もうこの世にいない米原さんの言葉が残っているのは、とても不思議な気がするけど、いろんなことを自分の内側に引き受ける、とにかく強い人だったんだ、と思います。 (ty)
これがきっかけで米原さんの著書にハマり、貪るように読みました。体に残るものがある、そんな作家さんに出会えた対談でした。 (ry)
男前。 (YO)
ことばと文法、創造性と記憶の話‥‥ボディーブローのようにお腹に来る対談です。「創造性」や「学び」に対するへのヘンな幻想を打ち砕いてくれました。 (YS)
亡くなってもう6年が過ぎました。翻訳、異文化理解、教育、コミュニケーション、記憶と創造・・・こういうお話ももっとたくさん聞かせてもらいたかったと改めて思います。 (NK)
3月に亡くなった、思想界の巨人、吉本隆明さん。
糸井重里とのつき合いはずいぶん古く、
「ほぼ日」にもたくさんの対話を残しています。
亡くなる数年前から、糸井はしばしば吉本さんの
ご自宅を訪れ、おしゃべりを重ねてきました。
さまざまなテーマで語られる、吉本隆明さんの考え。
自分がしゃべっても、鼻歌をうたっても、
やっぱり、なんとなく、悲しいです。
悲しみじゃないことは、なんでもないことと同じだって、
そういう感じもします。
そうですね。笑いにしても、根っこにあるのはきっと、
吹き飛ばしたかった悲しみだという気がします。
だから、極端に言うと、喜劇的なことやたのしいことは、
必ず、悲しいものなんだと思うし、
悲しいものがどこかになければ、
それはそういうふうにはならないはずです。
なんだって、全体の雰囲気を言えば、
それは悲しいことだよと要約されてしまいます。
だから、社会というのは、漠然とした
悲しみみたいなものが満ち満ちてるところなんです。
それをなんか、ちょっと変えたいな、と思うときに
言葉が発せられるんであって。
糸井さんと吉本さんの対談は、読むたびに新たな発見があり、「ああ、読んでよかったな」とうれしくなります。この「ほんとうの考え」は、そのうれしさがいちばん詰まっている対談だと思います。 (IK)
わたしの杖。転んだときに起きる用。 (KO)
こころの深いところに種をまかれたような気持ちになる対話でした。芸術の回は、何度となくよみ返していました! (at)
めちゃめちゃ影響受けました、吉本隆明さん。こんな風に考えが至ることってあるんだ‥‥なんとまっすぐな深さだろう。 (YT)
行き詰まったときに、なんども振り返って読ませて頂いています。心が落ち着きます。 (yj)
みうらじゅんと話をしてておもしろかったのが、
サングラスしてる男っつうのは、
エッチのときにものすごい気にしてることがある、と。
そのサングラスを取るっていうと、
「あ、この男、やる気なんだな」
っていうのが相手に‥‥(笑)。