「ほぼ日の健康手帳」が ニンテンドーDSi用のソフトになりました。  自分の健康について 考える道具。 岩田聡(任天堂社長)×本田美和子(医師)×糸井重里

糸井 岩田さん、ずいぶん前に一度、
過労で倒れて入院しましたよね。
そのときのことを少し聞いてもいいですか?
岩田 ええ、はい。
もう15年も前の話ですが。
本田 そんなご経験がおありなんですね。
糸井 そう、岩田さんも、そういう
ムチャをするしかない時代があったんですよ。
それは、任天堂に入るずっと前のことなんですけど。
岩田さん、きっと、あのころに、
からだのケアだとか、自分を大事にと言われても?
岩田 ぜんぜん考えなかったでしょうね。
糸井 そうでしょうね(笑)。
あのときって、もしあのままにしてたら‥‥
岩田 ええ、危なかったと思いますよ。
そのときの症状は、突発性難聴と
顔面神経麻痺だったんですが、
当時を思い起こすと、
まぁ、どう考えても、過労が原因だったと思います。
本田 ああ‥‥。
岩田 あのころは、何年もずっと休みなしで
働きつづけていた時期だったものですから。
本田 そうですか。
岩田 ちょっと特殊な環境だったんです。
ようするに、潰れそうになった会社を
再建するという仕事の真っ最中でした。
そういう特殊な状況では、
たとえ調子が悪かったとしても、
自分をごまかして過ごしてるんですよね。
だから、ある日突然、ドカンと来る。
糸井 典型的な、働いてる人の倒れかたですよね。
本田 ええ、そう思います。
糸井 岩田さんの場合は、
顔面の麻痺と難聴という形で現れて、
いまはこうして元気でいらっしゃいますから
本当によかったんですけど、
一方でぼくは、
そうやって突然亡くなった人も、
いっぱい知ってるんですよ。
本田 はい。
糸井 そういうときって、
気の毒だなぁとか悲しいと思いはしても、
やっぱり、都合よく「他人ごと」として
済ませているんですよね。
岩田 ええ。それが自分の身に起きるとは、という。
糸井 そうなんですよ。
本田 ああ、自分の身に起きるとは
考えられないんですね。
岩田 はい。
糸井 いつまでたっても、
「自分ごと」にならないんですよ。
岩田さんは、当時、そこまでの状態になりながら、
健康面のケアをすることを
どうしておろそかにしたんでしょうね?
岩田 目の前に、
もっと優先度が高いと思うことが
いっぱいあったからです。
糸井 必死だったんだね。
岩田 ええ。
糸井 でもそれは、長い目で見たら危険だと、
いまなら言えますよね。
岩田 長い目で見たら危険だと、いまは思いますよ。
ただ、あのときは、たとえば具体的にいえば、
この異常事態のなかで自分がそうしないと、
みんながついて来てくれないんじゃないかっていう
恐怖感があったんだと思うんです。
糸井 うん。
岩田 いついつまでにこの仕事を終わらせないと
たいへんなことになるというようなことを含めて、
さまざまなことを解決するための
「一番いい方法」を取っているつもりでいたんです。
たぶん、もっとちがう方法はあったのに、
それに気づかなかったんですね、当時は。
優先度はこれが正しいと思い込んでいたけれども、
じつはちがう優先度があって、
もっと健康的に働いて、かつ、
おなじ成果を出すような方法があったと思うんですよ。
すべて、いまとなってみれば、ですけどね(笑)。
糸井 そのときは、見えないんですよね。
岩田 見えないです。
選択肢がないと思っているから
優先度の高いものに、
がむしゃらに突っ込んでいくばかりで。
糸井 会社には健康診断という
制度があるんだけど、
見えなくなっている人は、
その健診を受けるためのたった1日でさえも、
仕事のために使ったりするでしょうね。
岩田 そうでしょうね。
糸井 ほんとは、仕事を1日休んで
健康診断を受けることで、
集団そのものの利益も確保できるんだけど。
岩田 ええ、その通りです。
糸井 そういう考えかたに
だんだん気づいていくわけだけど、
ほんとにわかんないときには、
なにを言ってもわかんないですよ。
過去にさかのぼって
自分のことを考えても、そうだもん。
岩田 そう思います。
本田 お話をうかがっていると、
そういう極限の状況では、
自分の健康を優先するという冷静な判断が
本当にむずかしいだろうなぁと感じます。
あと、それとは別に、わたしがふだん
「健康よりも仕事を優先させる」タイプの
患者さんと接していて感じることなんですが、
「いざとなったら病院に行きさえすれば
 完全なからだになって戻れる」と
思ってらっしゃるかたが多いように思うんです。
岩田 ああ、なるほど。
糸井 なるほど。
本田 たとえはよくないですけど、
「壊れても治してくれる」
「壊れたから治してよ」みたいな気持ちを
どこかでお持ちのように感じるんです。
もちろん、病気を治すために、
病院のスタッフは最大限の努力をするんですが、
かならずしもそれが果たせない場合もあるんです。
糸井 当たり前の話ですね、それは。
もっというと、
「壊れたから治してよ」っていって、
よしんばうまく治ったとしても、
もとの10のところまでは
治らないと思ったほうがいいですよね。
本田 そうなんです。
でも、それをわかっていただくことは
とてもむずかしい‥‥。
というのは、もともとが8だった人が、
3になって入院されたとして、
それが8になったとしても、
「治った」とはとらえて
いただけないことがよくあるんです。
糸井 え?
本田 つまり、もともと8だった人も、
10にならないと、治ったと感じられない。
それはほんとうによくあります。
糸井 はーー、なるほど。
本田 もう少し患者さんご自身が、
自分のからだのことをきちんとご存知だったら、
医者と患者さんとが共通の認識をもって、
じゃあ、一緒にがんばりましょう、って、
アプローチもできるんですけど‥‥。
岩田 そうですね。
本田 だから、健康ってどんなものなのかということを、
お元気で、社会的にも活躍なさってるときから、
ちょっとでも考えていただけるといいなと、
病院の中で待っている者としては痛切に思います。
岩田 さっき、この「健康手帳」について
じわじわと意味がわかってきたと言ったのは
そういうことなんです。
これを持って行くとお医者さんにとって便利、
ということはすぐわかるんですけど、
じつは、それが本人のためになるんですね。
糸井 うん、そうですね。
岩田 でも、ここのところが本当にわかるまで、
けっこう時間がかかったんですよ。
だって、「健康手帳」に自分のからだのことを
記録しておくことって、
お医者さんにかからないとしても、
ほんとうは意味があるわけじゃないですか。
本田 そうです、そうなんです。
岩田 でも、ふつうに考えるとね、
お医者さんにかかったときに
この手帳があると便利だぞ、
というところに終始するというか、
そういう場面が一度でもあると、
「元を取った」みたいにね(笑)、
多くの人がそういう発想に
陥りそうな気がするんです。
でも一番のポイントは、そこじゃないんです。
糸井 自分のことを知る、ということですね。
岩田 そう思います。
糸井 ソクラテスじゃないけど、
「汝自身を知れ」と。
本田 ええ。

(つづきます)

2010-04-20-TUE