地球をめぐる時間のはなし。 地球をめぐる時間のはなし。
世界の時刻やタイムゾーンを表示できる
アースボールの新コンテンツ「世界時計」。
もうお試しいただけましたか? 

こんどは「時間」がテーマということで、
明石市立天文科学館の館長・井上毅さんに、
時間のこと、時差のこと、そして明石のこと、
全部まとめてうかがってきました。

なぜ世界の基準が「グリニッジ」なのか? 
なぜ明石が「時のまち」になったのか? 
地球をめぐる壮大な時間についてのお話です。
全5回、どうぞおたのしみください!
01 日本にも「時差」はある
——
きょうは「時間」について、
いろいろお話をおうかがいしたく、
東京からやってまいりました。
井上
ようこそ明石へ。
お役に立てればいいんですけど。
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▲明石市立天文科学館館長の井上毅さん
——
さっそくですが、
日本の時間というのは、
「明石の時間」が基準なんですよね。
井上
そうです。
——
東京と明石の時差って、
本当はどのくらいあるんですか。
井上
東京と明石の時差は、約20分です。
太陽が真南に来たときを12時とすると、
東京のほうが明石より
20分早く12時を迎えることになります。
——
明石より西へ行くと、
時間はもっと遅くなるんですよね。
井上
そうですね。
明石と長崎でも20分ぐらい差があります。
——
ということは、東京と長崎で40分。
井上
さらに、長崎と沖縄の石垣でも
20分ほど差があります。
——
つまり、東京と石垣では1時間‥‥。
井上
もっと言うと、
日本の一番東の南鳥島から
一番西の与那国島を比べると、
だいたい2時間の時差があります。
——
けっこうあるんですね(笑)。
そうやって聞くと、
日本国内に時差があっても
いいような気がしてきました。
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井上
実際に東京と大阪で、
別の時計を使っていた時期もあります。



明治の初めの頃、
大阪は大阪で、東京は東京で、
それぞれの地域の天文台で時刻を計って、
正午になるとドーンという
大砲を撃って時報にしていました。
——
昔は日本にも時差があったんですね。
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▲明石市立天文科学館・時計塔の
展望室にしつらえられた、主要都市の時刻を示す時計
井上
それぞれの地域で観測して、
太陽が真南に来たときを12時とする。
そうやって決めた時間を「地方時」と言います。



19世紀のはじめ頃までは、
世界中この地方時を使っていたんですが、
鉄道や通信技術が発達すると、
地方時ではいろいろな問題が起こりました。



とくに問題になったのは、鉄道です。
同じ時刻を基準にしていないと、
最悪、列車の衝突事故が起きてしまいます。
——
それは深刻な問題ですね。
井上
鉄道を正しく運行するために、
19世紀のイギリスでは
グリニッジ天文台で時計を合わせて、
その時計を鉄道に乗せて運び、
各駅ではグリニッジ天文台の時刻を
表示するようになりました。
——
基準になる「時間」を、
グリニッジ天文台にしたわけですね。
井上
アメリカでは、もともとは都市ごとの時刻があって、
それぞれの時刻表を使っていたんです。
異なった時計を持った運転手がいたことが原因で、
衝突事故が起きてしまいました。



そんなアメリカでは、
鉄道を中心に標準時導入の動きがすすみます。
グリニッジ天文台を基準として、
西側から4時間、5時間、6時間、7時間と、
経度に応じて時差を設定していったんです。
——
そこで時差が生まれたわけですね。
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▲現在もアメリカ本土は4つのタイムゾーンに分かれています
井上
そもそも時間というのは、
その社会(コミュニティ)が共有する約束事ですから、
コミュニティの範囲が広がると、
どうしても「共通の時間」が広がっていきます。
標準時はそれぞれの国で導入されていくのですが、
国際的には統一されていませんでした。
というのも、グリニッジ天文台以外にも
フランスにも立派なパリ天文台があったんです。



それで世界の時刻の基準を決める
「国際子午線会議」というのが
1884年にアメリカのワシントンで開かれました。
明治17年のことで、日本もこれに参加しています。



その会議では、
グリニッジを基準にするか、パリを基準にするか、
水面下で激しい争いがありました。
結局、グリニッジが勝利して、
グリニッジ天文台を通る子午線が「本初子午線」となり、
世界の時間の基準に定められました。
——
けっこう最近なんですね。
時間の基準が決まったのは。
井上
もちろんグリニッジ天文台自体は、
もっと古くからありますけど。
——
日本はグリニッジ標準時から
9時間の時差がありますけど、
これはどうやって決まったんでしょうか。
井上
地球は24時間で1回転しますから
360度を24時間で割ると、
経度15度ごとに1時間の時差が生まれる計算です。
それで、グリニッジを基準として
15度ごとに1時間ずつ違う時刻を使いましょう
ということになっています。
——
15度で1時間ということは‥‥。
井上
15×9で135ですね。
それで135度の子午線の時刻を、
日本の標準時にしようと決まりました。
1886年、明治19年のことです。
——
それで135度の子午線上にある、
ここ「明石市」の時間が
日本の基準になったというわけですね。
井上
はい。
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▲明石市内の路面に貼られた
日本標準時子午線を示すステッカー
——
ちなみに、世界の時間の基準が、
パリになる可能性もあったわけですよね。
井上
もちろんありましたが、
大勢はグリニッジ天文台基準に決まっていました。
フランスは投票を棄権して
グリニッジの標準時を受け入れたのも
20世紀に入ってからです。



かつてのフランスの法律では
「グリニッジ標準時」のことを指すのに
「グリニッジ」という言葉を使わず
「パリの標準時刻を
9 分 21 秒遅らせた時間」と定めていたくらいです。
当時のフランス人の気持ちを感じることができます。
——
徹底してますね(笑)。
井上
ただ、時間に関するグローバルスタンダードは
イギリスに軍配が上がりましたが、
空間のグローバルスタンダードは
フランスが持っています。
——
「空間」のグローバルスタンダード?
井上
メートルという単位がありますけど、
もともと1メートルの定義は、
「北極点からパリ天文台を通って、
赤道までの距離の1000万分の1」
というものでした。



つまり、メートル定義に関しては、
パリ天文台が基準になっているんです。
こうした観測ではパリ天文台は
昔から大きな役割を果たしていたんですね。
——
パリに軍配があがったと。
井上
痛み分けというんでしょうか(笑)。
逆にイギリスはしばらくはメートル法を採用せず、
ヤード法を使ってましたよね。
やはりその時代その時代の、
グローバルスタンダード争いがあるんでしょうね。
(つづきます)
2022-10-05-WED