地球をめぐる時間のはなし。 地球をめぐる時間のはなし。
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こんどは「時間」がテーマということで、
明石市立天文科学館の館長・井上毅さんに、
時間のこと、時差のこと、そして明石のこと、
全部まとめてうかがってきました。

なぜ世界の基準が「グリニッジ」なのか? 
なぜ明石が「時のまち」になったのか? 
地球をめぐる壮大な時間についてのお話です。
全5回、どうぞおたのしみください!
02 時のまち・明石の誕生
——
もし世界の時間の基準がグリニッジじゃなく、
パリ天文台になっていたら、
いまとは何が違っていたんでしょうか。
井上
本初子午線がパリ天文台になってたら、
日本の標準時は明石ではなく、
富山県から岐阜県、愛知県をとおる
子午線になっていたはずです。
豊川稲荷のあたりですね。
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——
日本の標準時もズレるわけですね。
井上
じつはロンドンとパリの時差って、
本当は9分21秒しかないんですよ。
——
えっ、実際は1時間ありますよね?
井上
標準時としては1時間の時差がありますが、
地方時の差は9分21秒なんです。
グリニッジとパリの経度は
2度20分14秒しか違わないので。
——
その2度ズレた分を考慮すると、
豊川稲荷くらいに、
ちょうど135度子午線が来るだろうと。
井上
そういうことです。
なので、グリニッジが基準になったことで、
ここ明石は、たまたま
「東経135度子午線の通るまち」になりました。



当時の文書を見ても、
「東経135度子午線を標準時とする」
とは書かれていますけど、
「明石」という文字はひとつもありません。
——
「東経135度」が基準であれば、
兵庫県のほかのところが
「時のまち」になってもおかしくないのに、
なぜ「明石」だったんでしょうか。
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▲明石市内の日本標準時子午線を示す案内板
井上
135度というのは人工的に決められたものですから、
当時は土地勘を持つのが難しかったと思うんです。
そういうこともあって、
「明石を通ってる」というと、
「日本列島のあのあたりか」というのが
想像しやすかったんだと思います。
——
もともと明石といえば、
歴史のある城下町ですもんね。
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井上
実際、135度子午線は、
いまのところ12の市を通っていて、
すべての市に子午線の標識があります。
——
それぞれの市にあるんですか?
井上
あるんですが、
子午線の標識を最初に建てたのが明石だったんです。
人々に世界のことを考えてほしいとの願いを込めて、
1910年に建立されました。
——
交番のところに立っているものですよね。
さっき、取材前に見てきました。
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▲1910(明治43)年に建てられた
日本で最初の子午線標識
井上
そうです、そうです。
当時の明石小学校の先生たちが
自分たちでお金を出しあって建てたそうで、
あの標識から「時のまち明石」の
歴史がはじまったとも言えます。
——
そう考えると、
ものすごく意味のある標識ですね。
井上
ただ、あの標識を建てたあと、
ちょっと位置がズレているのがわかって‥‥。
——
ええっ?!
井上
というのも、
技術の進歩によって地図が改訂され、
日本中の緯度と経度の値がすこし修正されたんです。
その結果、標識を立てたところから
100mほどズレが出てきてしまった。
——
100メートル! 
ごまかせるレベルじゃないですね‥‥。
井上
当時の地図の改訂で、
日本に暮らすほとんどの人は
影響を受けなかったと思いますが、
明石の人たちにとっては
衝撃のできごとでした(笑)。
——
いや、ほんと、そうですよね。
井上
それからしばらくして、
今度は旧制明石中学校の校長先生が旗振り役となって、
正しい135度子午線の位置を
調べ直すことになったんです。



京都帝国大学から先生を呼んで、
1ヶ月かけて学校の校庭で天体観測をして、
正確な位置を確認したのち、
標識の引っ越しを行いました。



そのあと、もうひとつ新しい標識を
つくろうということになって、
1930年に明石天文科学館の北側の場所に、
「トンボの標識」が建てられたんです。
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▲1930(昭和5)年に建てられた、
東経135度日本標準時子午線標示柱。通称「トンボの標識」。
——
トンボの標識、かわいいですよね。
井上
この標識はデザインもオシャレだったので、
教科書にも載るようになり、
「日本の時刻は明石の時間を使ってる」
という認識が一般の人にも広まっていきました。



「銀河鉄道999」を描いた漫画家の松本零士さんは、
子どもの頃に明石に住んでいたことがあって、
この「トンボの標識」を見て宇宙に関心を持ったと、
ご本人からうかがったことがあります。
——
おぉ、明石から宇宙に思いを馳せ‥‥。
井上
ほかにも作家の稲垣足穂も、
あの標識のすぐそばで執筆活動をしたそうです。
——
いろんな人に
インスピレーションを与えているんですね。
井上
そのあと戦争があって、
トンボの標識も戦災を受けました。
そして戦後復興のさなか、
1951年にあらためて天体観測をして、
より精度をあげた観測値が測定されました。
そこで、約11mだけ、トンボの標識も交番の標識も、
いまの場所に移設されたという経緯があります。
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▲1951年に行われた天体観測で使われた
バンベルヒ子午儀(明石指定文化財)。
——
じゃあ、さっき見た交番の標識は、
2回移設されてあの場所に至ったわけですね。
井上
そういうことです。
緯度や経度というものに絶対はなくて、
天体観測によるものと陸地測量によるものとでは、
どうしてもズレが出てきてしまいます。
どちらが正しいとかではなく、
測り方によって多少違ってきてしまうんです。
——
そういうのも含めて歴史ですよね。
こうやってお話をうかがってると、
やっぱり明石の人たちの
子午線への並々ならぬ情熱を感じます。
井上
おっしゃるとおりで、
そうやって東経135度子午線への
さまざまな人の思いが重なっていくなかで、
天文の博物館をつくろうという機運が高まり、
この明石市立天文科学館が誕生しました。
最初の標識が建てられてから50年後、
1960年に完成しました。
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——
明石城とならぶ街のシンボルですね。
井上
開館してから62年が経ちますが、
そんな先人達の思いを引き継いで
いまに至っているということを実感します。
——
たしか、この天文科学館も
東経135度子午線上にあるんですよね。
井上
シンボルとなる塔時計が
まさに子午線の上に建っていて、
あれ自体が標識になっているんです。
——
てっぺんに大きな時計もありますし、
まさに135度子午線の位置とともに、
日本の標準時を示すモニュメントですね。
井上
ただ、2002年に日本の地図づくりの基準が、
またまた変わったというのがありまして‥‥。
——
えっ。
井上
東京での天体観測にもとづく測量から、
GPS衛星による世界基準の測量に変わったんです。
それで緯度と経度がすこし変わってしまって、
GPSで測る135度というのが‥‥。
——
というのが?
井上
東側に120mほどズレてしまった。
——
なんとっ!! 
井上
135度ちょうどではないことがわかって、
この施設にもたくさん問い合わせがありました。
——
交番の標識とは違って、
さすがに移設できるサイズじゃないし‥‥。
井上
ただ、さっきも話しましたように、
緯度や経度に絶対はなくて、
天体観測による経度と測地学的な経度では、
どうしてもズレが出てくるものなんです。



なので、いま標識が立つ東経135度というのは、
天体測量にこだわった先人たちのさまざまな情熱と
苦労の結晶の末に決められたもので、
このズレそのものにも意味があるんですと、
みなさまにはそうお伝えしています。
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(つづきます)
2022-10-06-THU