── |
「参拝に行く」という口実で、
男性は吉原へ、女性は歌舞伎見物へ。
浅草はそういうことができる
場所でもあったわけですね。 |
沓沢 |
ええ。ですが女性が参拝を口実にして
浅草で芝居見物をできるようになったのは
江戸の後期になってからなんです。 |
── |
といいますと? |
沓沢 |
歌舞伎の三座は、天保の改革で
浅草に移転させられたのです。
1842年のことですね。 |
── |
天保の改革‥‥。
風俗粛正ということでしょうか。 |
沓沢 |
そうです。
歌舞伎も吉原と同じように移されます。
歌舞伎はぜいたくすぎるし、
庶民の娯楽としてはやりすぎだから
一時期は廃絶という話もあったんですが、
それはさすがにやりすぎだろうということで、
江戸でいうとちょっとはずれにあるような、
浅草の地にぜんぶ移されるんですね。
そのあたりのことについては『浅草今昔展』の
歌舞伎のゾーンに展示いたしました。 |
── |
はい、拝見しました。
猿若町に集まった芝居小屋の地図をみましたが
あれは、無理矢理に集められたのですね。 |
沓沢 |
ええ。
これが芝居小屋がくる前の様子です。
▲芝居替地小出勢州中屋敷之図 個人蔵
※各画像は、クリックすると大きくなります。 |
── |
なんだか、庭園のような‥‥。 |
沓沢 |
もともとここは、大名屋敷だったんですよ。
小出家下屋敷という。 |
── |
ああ、なるほどお。 |
沓沢 |
ただ、大名屋敷といっても、
中をみると浅草の伝承にまつわるようなものが
たくさん置いてあって、どうやら接待用の
テーマパークのような場所だったんです。
それをつぶして、江戸三座を入れると、
この地図になるわけですね。
▲三座猿若細見図 館蔵
|
── |
おおー、いちばん左に中村座が。 |
沓沢 |
中村座、市村座、河原崎座とありますが、
本来ここにくるはずの森田座が
この地図がつくられた1850年に休業中で、
かわりに河原崎座が入っているんです。
森田座は1856年に興行をはじめていますね。 |
── |
なるほど。 |
沓沢 |
猿若町という名前は、江戸歌舞伎の創始者、
猿若(中村)勘三郎にちなんで
名付けられています。 |
── |
江戸のすみっこに追いやられたわけですが、
それによって歌舞伎はさらに人気が出た、と。 |
沓沢 |
そうですね、江戸歌舞伎隆盛の場として、
大いに人を集めました。 |
── |
これは、歌舞伎の看板ですか?
▲狂言猿若の人形額
二代目猿若(中村)勘三郎/奉納 浅草寺所蔵
|
沓沢 |
いや、こちらも浅草寺さんからお借りした
絵馬のうちのひとつです。 |
── |
これも絵馬! すごい、立体的になってる。 |
沓沢 |
これが、二代目猿若勘三郎、
要するに二代の中村勘三郎ですね、
その人が浅草寺に奉納したとされているもので、
かなり古い、350年ぐらい前の絵馬です。 |
── |
さすがにそれだけ年月が経つと
腕が欠けたりしていますが、いやぁ、すごい。 |
沓沢 |
ここの真ん中のタテの字が、
さるわか勘三郎とどうも読むらしいんですよ。 |
── |
んん? ああ、はい、ちょっと読めます。
ひらがなで、さるわか。漢数字の三も。 |
沓沢 |
この前、18代目の勘三郎さんが、
こちらにいらしたときに、
「いま、サインをこういう字で書いてる」と、
そういうようなことをおっしゃってました。 |
── |
へええ〜。 |
沓沢 |
猿若町の歌舞伎といえば欠かせないのが、
河竹黙阿弥の存在ですね。 |
── |
歌舞伎狂言作者の。 |
沓沢 |
はい、幕末江戸に名作を数多く残しています。
この5枚、おわかりでしょうか?
▲青砥稿花紅彩画
歌川国貞(三代豊国)/画 国立劇場所蔵
|
── |
ええと、
あおとぞうし、はなのにしきえ‥‥?? |
沓沢 |
「白浪五人男」ですよ。 |
── |
ああ! 「白浪五人男」ですか!!
これは有名な名乗りの場面ですね、
「さぁて、どんじりにひけぇしはぁ」という。 |
沓沢 |
こうした名作の登場で、江戸後期の歌舞伎は、
大いに盛り上がっていたようです。 |
── |
これはサイン色紙のようなものですか?
歌舞伎の隈取りが‥‥。
▲九代目市川団十郎の隈取りと俳句
九代目市川団十郎/筆 金屋竺仙所蔵
|
沓沢 |
押隈(おしぐま)というんですけどけれど、 |
── |
ああ、顔を紙に押しつけて! |
沓沢 |
横に直筆で俳句が書かれていますね。 |
── |
かっこいいなあ‥‥。 |
沓沢 |
貴重な資料です。 |
── |
それにしても、すごいですねこのころの浅草は。
奥山、吉原、猿若町。
娯楽という娯楽を一手に集めてしまったような。 |
沓沢 |
そうですね、江戸庶民文化の拠点として、
大きな役割を果たす場所だったと思います。 |
── |
そしてそれは、近代にも脈々と‥‥。 |
沓沢 |
はい。
それでは、近代に入ってからの
展示にまいりましょう。 |
|
(つづきます) |