糸井 |
映画から離れてる是枝さんしか
僕はお会いしたことないから、
この人、どっちかっていうと、
文字を書く人の感性だなって思って
話をしてました。
映画撮ってる時の是枝さんの
乱暴さみたいなのは見えてこない。 |
是枝 |
あぁ、僕はすごく
気を遣ってるつもりなんですけど。
だって、本当に(笑)。 |
|
糸井 |
梱包芸術のクリストっていう人と
対談をする機会があって、
僕、とっても好きだったのでうれしくて、
行ったんです。
で、向こうの人たちは
いい対談だったって言ってくれるんだけど、
僕にしてみると、普段やってる対談と全然違って、
まったく相手が
僕っていう車に乗ろうとしないんですよ。
なのに、会話は盛り上がって‥‥。
自分の話しかできない人なんですよね(笑)。 |
是枝 |
はぁ。 |
糸井 |
で、そのくらいじゃないと、
あんなことはできないんだなっていうことが
本当によくわかる。
そこまで含めて天才なんだろうなぁって思って、
尊敬したままで帰ってきたんです。
もし俺がクリストより優れてるところが
1つあるとすれば、相手の話に乗れること(笑)。
で、おそらく映画監督の方なんかは、
相手の話に乗れない人、山ほどいますよね。 |
是枝 |
たぶん、僕、
元がテレビのディレクターだから、
どっちかっていうと、取材する側のほうが、
気持ちがよかったりもするんですね。
‥‥まぁ、僕の話はいいですけどね。 |
糸井 |
でも、是枝さんと砂田監督って、
対比で出てくるものが結構あるよね。
つまり、彼女を見つけたのも、
是枝さんなわけで。
是枝さんが、「GO」って言わなかったら、
プライベート作品のままだったわけでしょう。 |
是枝 |
でも、あれはやっぱり、
もう見せられた時に、
エンターテインメントだったんですよ。
確実にこれは劇場公開を意識してるというか、
もう作品がそういう大きさを内包していた。
それは押しとどめようがないなって。
「いいお父さんだったね」
では済まない感じがしたんですね。 |
糸井 |
是枝さん以外の人も観て、
やっぱり(公開に)賛成って感じですか? |
是枝 |
はい。みんな、
商品になるドキュメンタリーだなっていう
印象を持ちましたよね。 |
糸井 |
(スタッフのかたに)
皆さん、同じ業界の人ですよね。
「やったね!」みたいな
気持ちがあるわけですか?
「これ、行けるんじゃない?」みたいな。
こう、スウィングの音が聞こえるっていうか。 |
スタッフ |
はい、それはありましたね。
観た後に、みんなが語れる映画なんだろうな、
というふうに思いました。 |
糸井 |
ぼくもそう思いました。
うれしそうですよね、観た人がね。
人が亡くなった話なのにね。 |
スタッフ |
「おもしろかったって言っていいのかしら」
って、おっしゃる方も多いです。 |
糸井 |
指折り数えると、映画に登場する
それぞれの人が全部おもしろいんですよね。 |
是枝 |
その出し入れがうまいんですよ。 |
糸井 |
うまいですね。分量とかね。 |
是枝 |
分量とか配分がね、
ドキュメンタリーなのに、
脚本をあらかじめ書いたみたいに。
あのお兄ちゃんの、
書類をめくる姿とかって、
ワンカットで、
「あ、長男、お父さんに似ちゃったんだな」
ってわかるような登場のさせ方してて。 |
|
糸井 |
よかったですよねぇ(笑)。
「似ている」っていう言葉、
映画全体に、1つのキーワードでしたね。 |
是枝 |
はいはい! |
糸井 |
似ているところと似てないところを、
注視してましたね。
あのタクシーのシーンで。
“本人が本人に似ている”
ところから始まるじゃないですか。
“過去の私は今の私に似ている”でしょう。
あそこでまえがきを読まされたような気がして。
で、“生きる”と“死ぬ”は似ているとかね。
そして、あのさだまさしみたいなお兄ちゃんが、
お父さんの、あの名セリフを引き出しますからね。 |
是枝 |
あれがすごいですよね。
見てて、そこまで聞くなよって、
みんな思ってる時に、
お父さんがあのユーモアで
引き受けてくれる。
すごいですよねぇ。 |
糸井 |
あそこ、よかったぁ(笑)。 |
是枝 |
あれは絶妙です。
編集点がわかってるような
オチの付け方を、お父さんがしてるんですよ。 |
糸井 |
あれ、たぶん本当に
そう思っちゃってるんですよね? |
是枝 |
あれは‥‥うーん(笑)?
どうなんだろうなぁ、あれなぁ。 |
糸井 |
ブラックユーモアとも取れるんだけど。 |
是枝 |
そういう場面はもう1か所あるんですが、
微妙ですよね。
まだまだ笑かそうとしてやっているのかな。 |
糸井 |
ひょっとしたらね。
おもしろい人って、
そのくらいやるからね。
どっちでもいいんですけどね。
あ、今のキーワードで言うと、
笑わかそうとしてることと、
笑わかそうとしてないことは似ているんですね。
心は同じですね。 |
是枝 |
あの笑い、
笑わそうとはしてないんだけど、
あの笑いが、
周りの人間を救うんですよ。 |
糸井 |
救う、救う! |
是枝 |
それがすごい魅力ですね。 |
糸井 |
救う、救う。
あのお父さんは、全体に救ってますね。 |
是枝 |
長男の「厳しさ」も
結果的に救ってますからね(笑)。 |
糸井 |
そうだよね(笑)。
だけどさ、監督は、笑いもしないで、
ずっとその状況を撮ってたわけじゃないですか。
病室でも。
「邪魔」とか言われないじゃないですか。 |
是枝 |
きっと、お父さん子なんですよね。
だから、病気になってからは、
撮ることで傍にいる必然性が
彼女の中に生まれたと思うんです。 |
|
糸井 |
そうか、そうか。うんうん。 |
是枝 |
そうは言っても、
身内を撮る時のポジショニング、
本当にむずかしいんですよ。 |
糸井 |
僕は、ちょっと前に雑誌の恋愛特集で、
恋愛っていうのは何か、
みたいな取材を受けて。
でね、長年考えてて思ったのは、
あらゆる恋愛は迷惑だ、
ってことなんだよ。
ひと組の幸せなカップルは、
横で好きになってた人にとっては、
もう不幸なわけだし。
2人が2人を大事にしてるっていうことで、
周りの人は、もっとやってほしいことを
やってもらえないかもしれないし。
あらゆる意味で、
2人でいるっていうことに
幸せはあるかもしれないけど、
周りには迷惑なんです。
だから、結婚式で、
一気に形にしちゃって、
お終い、ってやっちゃうんだよ。
つまり、葬式と似てるんです。
で、家族の物語っていうのは、
やっぱり同じで、
恋愛ものの延長線上みたいなところがある。
子ども自慢にせよ、のろけにせよ、
根本的には迷惑な話で。
だから成立しないんだよ、
っていうのがあるんだけど、
なんかそこにチョロチョロチョロっと
漏れ出す水みたいなものがあって(笑)、
成立しないと言ってみたものの、
「同病相哀れむ」じゃないけど、
迷惑同士が仲良くなるみたいな、
そういう水脈が、
地底に流れてるんじゃないかなぁ。
それをうまくすると、
ああいう映画みたいに、
迷惑じゃない家族映画が
できちゃうんじゃないかなぁ。
(次回につづきます) |