YAMADA
おとなの小論文教室。
感じる・考える・伝わる!

Lesson861
        読者の声



考えるコラム「おとなの小論文教室。」を
他の人は毎週、どう感じ、何を考えているんだろう?

きょうは、ここ3回にいただいた
「読者のおたより」をお届けする!


「反対意見の尊重」について

<上司の反対にすくんでしまわずに>

反対意見には、やる気を削ぐものがあります。
上司から言われ続けると、心細っていきます。

敵だって思った方が、心を守れるのかもしれません。

でも、そうすると言葉が出なくなります。
まだまだ尽きない反対意見を想像してなにもいえなくなる

反対意見は対峙してしまうから
一旦対峙すると、隣り合うのが本当に難しい

反対意見の方向をさらっと向ける人になりたい。

反対意見もまるっと取り込んで
話を続けられる人になりたい

(Icuteachersband)


<可能性はグレーのなかに>

反対意見を敵視して、激しく批判するのは、
何かを守らないといけない時のように思います。

守ろうとすればするほど、
壁は高くなって相手を遠ざけてしまいます。

本来、意見は賛成と反対だけでなく、
グラデーションのように多様。

相手との関係をつないだり、
お互い影響を受けて新しい意見が生まれたりと、
多様な可能性があるはずなのに、

賛成か反対かで判断すると、
その可能性が閉ざされてしまいます。

もっと可能性に賭けてみてもよいでしょう。

守らないといけないと身構える前に、
こんな自問が必要なように思います。

「本当にこれは、相手を叩かないと守れないものなのか?」

(たまふろ)



「大切な人の“戦わない”守り方」について

<守る=育てたい>

私は育てたい。

ちゃんと自分で育てるとは、
どんな辛い言葉でも

その「言葉の向きをちゃんと見る」ことだ。

うまく行かなくても
でこぼこでも
言葉の向かった方向を見て、
関わりを育てたいと思う

言いっ放し、言われっぱなしじゃなくて
言葉は光、その光が照らす方にあるものをきちんと見る

そしたらきっとぼくの中で光合成が起こる。

(Icuteachersband)



「誰かの一言で人生は変わる、か?」 について

<あがいてあがいて、やっと>

30代男性です。

私は高校時代に体調を崩してから、
長い期間苦しい思いをしてきました。
大学を卒業し、アルバイトや資格取得はしてきましたが、

人生の本筋に入れてない感じがして苦しかった。

その間にも仲のいい友人は結婚、出世等
どんどんと世界を広げ、
取り残された感じがし、

「あと少し若ければ」、と思いつつ、
実際にその時より少し若いときも、
「もう少し若ければ」、と思っていました。

動くことには何かしらの痛みを伴う。

環境は常に変わり、流れていく、
けれども変わりたくない、そこにとどまっていたい、
と思うことが、苦しみの原因の一つだなと今は思います。

「病気が治ったら色々出来るのに‥‥」
と思っていましたが、

病気が治ったら、

「自分で決める」ということに、
直面しなければならなくなりました。

どうしていくかを自分で考え、やったことがない、
他の人はもっと若い頃に経験していただろうことを、
今からやっていくことが、
自分にとって避けることが出来ないものです。

今は転職中で、

自分には経験していないことが多すぎるように感じます。
それは今後の方向性などの人生に関わるような
大きなものから、コインパーキングへの駐車の方法、
出張の準備、異性への誘い方などなどたくさんあります。

病気は苦しく、
その時の方が良かったとは絶対に思いませんが、

病気がないと、
生身の経験不足の自分が、思い切り試されます。

私はこれまで、親に判断を仰いで、
常に自分の判断に自信がなく、何かに頼りたくなる。

「これはまずい、
自分で少しずつ考えて判断する力をつけたい」

と思い、始めたことの一つがブログです。

会社でも家族関係においても、
自分の考えを外に出すことをしなければ、
自分を守れないし、
いつまで経っても自分軸の行動が出来ない、
そう思ったからです。

Lesson858「誰かの一言で人生は変わるか」の、

「出会うまでにどれだけの闇をどんな想いで持ちこたえ、
さんざん悩んで向き合って手探りで歩いて歩いて、
たどり着いた出口付近にその言葉が落ちてた。
つまりその人は乗り越えて、
自力で言葉があるところまでたどり着いたのだ。」

を読んで、自分はたどり着いたのか?
逃げてきた自分ばかりに目が行くが、

会社の人に、

「あなたは社内で一番スピーチや、説明が上手い。
2番目に上手い人とかなり差がある」

と言われたことを思い出しました。

その時は、「そんなはずない!
みんな自分より凄い人だし、
自分は準備して、紙に書いてまとめておかないと
話せないし」
と思っていましたが、

その人は気難しい人で、嘘を言うような人ではありません。
少なくともその人は本当にそう思っていた。

その言葉を受け取ろうと思えました。

ここまで耐えてきた自分を、
少しは認めることが出来そうな気がします、

「俺は苦しかった、辛かったけど、
なんとかしようとあがいていた。
そして今こういう考えができるところまできた!」と。

(yoneson)



自分に準備がないと、
褒められても、褒め言葉を受け取ることができない、
でも、ブログを始めるなど自分なりに動き出し、
あがいて、あがいて、その先に、

「褒め言葉を受け取るところまできた!」

という読者の想いに
とても共感する。

また、言葉そのものは受け入れ難くとも、
指し示す光、その言葉がどんな方向へ
自分を連れて行ってくれようとしているのかを、
ちゃんと見たいと思った。

自分に対して、日々、言葉は投げかけられている。

でも、受け取るところまでたどり着けなかったり、
敵視して、壁をつくって遮断してしまったり。

私は、いま、
どうにも受け取れない言葉にでくわしたとき、
しばらく時間をおいて、気をとりなおし、

「尊重!」

と口に出して言ってみることから始めている。
すると、これまでシャットアウトしていた
違う側面が見えてくるように感じている。

「いまの自分では受け取ることができない言葉と、
どう付き合っていくか?」

考えたらそこに、
いまの自分の枠組みを広げるヒントがある、
と私は思う。

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2018-01-31-WED

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