糸井 |
原稿を書くことをおやめになって、
これから、岩井さんには、
不思議な時間が流れていくんでしょうね。 |
岩井 |
ただ、学者の生活というのは、
自宅でゴロゴロしているというか。
「日中でもスーパーで買い物に行って、
奥様方から不審な目で見られる」
そういう生活が、基本的なものですからね。
これからは、本来のかたちになるんです。
学界で出世しようとすると大変ですが、
出世コースを外れると、あとはほとんど
自分でコントロールができるんですよね。 |
糸井 |
学者は、よく、
「研究費用を取ってこないといけない」
と言いますけど、そういうことも、
経済学者の先生は、
じょうずだったりするんですか? |
岩井 |
得意な人はいます。
ただ、私なんかは、
パソコンがあればできてしまう研究ですから、
研究費を、そんなには要らないんです。
経済学でも、コンピュータを使う人は、
予算を取れるかどうかが、
研究成果が出るか出ないかの
分かれ目になってくる場合もあるんです。
工学や理学では、もっとシビアで、
取れるか取れないかで、
どれだけの業績をあげられるかが
決まってしまいます。
その場合には、教授の仕事は、
ほとんどプロデューサーといってよい。
研究チームの予算獲得係です。
費用のかからないところでも、
個人のアイデアなんて、すぐに
陳腐化してしまうから、そういう分野でも
チームを組む必要がありますけど。 |
糸井 |
ひとりの人間の「旬」の寿命って、
実は、短いですよねぇ。
それは、研究なんかにも、言えることですか? |
岩井 |
結局、そうですね。
研究には、ふたつの要素があります。
一方では、あたらしいことを
やらなきゃいけない。
もう一方では、やっていることが、
あたらしいかどうかを知るために、
過去に何がやられていなかを
知らなきゃいけない。
つまり、あたらしいことをするためには、
何があたらしくないかを、
知らないといけないんですね。
よく巷に学生起業家なんていますけれど、
ぼくはあんまり信用していないんです。
学生が起業したいと言ったって、
かれらの言うあたらしいアイデアって、
ふつうの陳腐なものがほとんどなんですね。 |
糸井 |
(笑) |
岩井 |
ある程度、業界のことを知らないと、
ほんとうにあたらしいものは、
生むことができない。
ひらめくときって、
自分が何をひらめいているか、
わかっていないといけませんから。
ただ、あんまりひとつの世界に長くいると、
古い習慣に漬ってひらめくことがない。
その点では、
まったく若いというわけではないけど、
ある程度若い、まだ人生をやり直しがきく、
四〇代あたりが、いちばん、
仕事のできる時期なのかもしれません。
たとえば、若いひらめきが
一番必要とされる数学の研究者でさえ、
「いちばんいい仕事をしたのはいつですか?」
と聞くと、五〇歳や六〇歳と言うんですね。 |
糸井 |
へぇー。岩井さんのなかでは、
それはどうなんですか? |
岩井 |
私が会社について
本格的に研究しはじめたのは、
四五歳のころです。
まったくあたらしくはじめたものですから、
いまだに新人のつもりで、やってきています。 |
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(明日に、つづきます!) |