糸井 |
会社としても、個人の存在としても、
「大きくなるということ」
を、目的にできていた時代が、
かつて、長く続いていたんですけど、
大きくなったがゆえのリスクも、
とんでもなくふくらんできています。
かと言って、
ちいさくなったほうがいいかというと、
それもわからないんですが、
そのへんに、
大きな問題があるような気がしているんです。
そんなふうなことっていうのは、
どうお考えですか? |
岩井 |
むずかしいですね。
学者でも、本がひとつ売れると、
それがチャンスだと思って、
あらゆる注文を断らずに世に出る人がいる。
確かに有名になるんですけど、
それが果たして、いいのかどうか──。
その戦略がプラスかどうかは、
わからないんですね。
まぁ、私はそういう戦略と取っていないし、
私の戦略は間違いなのかもしれません。
後にならないとわかりません。
そこそこ名前が認知されて、
何かを書きたいときに、
どこかに書けるぐらいが、学者としては、
いいんじゃないかなと思っているんですが、
それでは、社会に対するインパクトが
あまりにちいさすぎるかもしれません。
ただ、大きくなるということは、
流通する名前とその実体的な内容とが、
乖離してくることでもありますよね。
産業資本主義の時代では、
大きくなることには意味がありました。
それは機械制工場を使って
大量にモノを作っていたわけですから、
工場の規模が大きくなると、それに比例して、
さらにモノを大量に作れるようになります。
だが、ポスト産業資本主義の時代とは、
モノではなく、違いそのものを売る時代です。
そこでは必然的に市場で流通する
価値とモノとしての実体的な価値とは乖離します。
そうすると、そこで大きくなるということは、
虚名の部分が広がっていくということです。
実体と名前の乖離をどうバランスさせるかは、
非常にむずかしいですよね。
名前が実体とあまりにかけ離れると、
それはバブルですから、
いつかかならず崩壊します。
ただ、まったく流通に関して何もしないと、
そもそも実体にあまり価値がないわけですから、
ほとんどゼロですよね。
実体と名前の乖離──ポシャらないけど、
バブルにもならないバランスを探すことは、
ほんとうにむずかしいと思います。 |
糸井 |
それは、個々に探すしかないんでしょう。 |
岩井 |
正解がないんですからね。
ポスト産業資本主義を
生きていかなければならない、
すべての人間の課題かもしれません。 |
糸井 |
大きくなることがいいという時代には、
すべてを、装置産業化することが
夢だったわけですよね。 |
岩井 |
そうです。 |
糸井 |
誰も考えなくても、
自然とお金を生み出せるような
装置を作る時代。
だけど、
「その装置が、
動くチャンスを待って休んでいる」
というのが、今の時代ですよね。
じゃあ、市場にいちばん
接点を持っているコンビニエンスストアが
チャンスを持つかと言うと、
そこでの戦い方というのは、
効率が悪くなっていきますから、
利益率が、減っていっていますよね……。 |
岩井 |
そうですね。 |
糸井 |
こうなると、
それぞれの基準をもとにして、例えば
「たのしけりゃいい仕事をする」
とか、自分のサイズを探していくことが、
いちばん大きい仕事なのかもなぁ、
と思うんです。
ほんとに、大きい会社、困っていますもんね。 |
岩井 |
それは、ほんとにわかります。 |
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(明日は、松井先生の登場です。) |