松井 |
更に言えば、この宇宙は、
物質からできてるんだけど、
そのことだって、特殊なんです。
この世界に、何で物質が残ったかって言えば、
当然、いわゆる
素粒子論的な世界の法則のように、
十億分の一位の非対称性が、ありますからね。 |
糸井 |
(笑)いや、わからないけど。 |
松井 |
十億分の一くらいの非対称性が、
物質からなる宇宙を生み出している。
しかもある物理定数が決まっている。
この宇宙って
そういうものですから、特殊なんですよ。 |
糸井 |
そういう個性、ですよね。 |
松井 |
うん、この宇宙には個性がある。
だからそこでいくら
普遍性を言ったって
しょうがないんじゃないかとも思ってしまう。
マルチユニバース的な意味での
普遍では、ないんです。 |
糸井 |
それはもう、哲学の領域ですよね、ほとんど。 |
松井 |
そうですよ。
もともと、自然科学だって、哲学ですから。 |
糸井 |
こんなにはっきりと、
「科学が哲学の領域だ」とわかると、
今までやってきたことは何なんですかねぇ。 |
松井 |
わかるということを、
非常に限定して定義していましたから。 |
糸井 |
つまり、野球場の中のルールみたいなものですね。 |
松井 |
自然科学は、
それを採用してやってきたわけです。
外の世界を脳のなかに
投影することが認識なんだという
人類の認識の方法が、
正しいかどうかは問わずに、それを
受けいれちゃいましょう、っていうのが、
自然科学の、ルールなんですね。 |
糸井 |
それは、やっぱり、特殊ですね。 |
松井 |
みなさん誤解していると思うのは、
自然科学が問題にしているのは、
正しいとかまちがっているとかではなくて、
「有効かどうか」なんです。
ある見方を取ったときに、
自然が今まで以上により深くわかる。
その場合は、
「有効」だということでやってきた。
有効だったから、そのように認識する。
そのくりかえし、なんですね。 |
糸井 |
「ほら、虫眼鏡の方がよく見えるよ」
っていうのと、同じようなことですね。
だけど、見えるっていうのの限度は、
どこまでも無限にあるわけですよね。 |
松井 |
その通り。
性能をあげれば
細かく見えるだけのことです。
だけど、それが、
全体としての普遍的な事実を
知ったことになるかというと、そうでもない。 |
糸井 |
それは、アタマ痛いなぁ。
まちがってるかもしれないんだ? |
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(明日に、つづきます!) |