怪・その22
「お礼を言われた」
医者になって今年で21年目になりますが
研修医1年目の時のお話を
投稿してみようと思います。
私が研修医になって
初めて受け持った患者さんが
朝早く亡くなりました。
本当は死亡診断書は、その時すぐに
ご遺族にお渡ししないといけないのですが
朝から大きな手術に入ることになっており、
事情を話して
翌日まで待っていただくことにしていました。
その日は特に忙しくて、
その方の死亡診断書を書き始めたのは
深夜になってからでした。
今はもう新しい建物になっていますが、
その頃は、昭和の初期から建っている古い建物で
私たちが日頃休憩を取っている医局の部屋は
ちょうどナースステーションの
真向かいにありました。
当時、当直は
指導医、中級医、研修医の3人で行っていましたが
その夜はお産も緊急手術もなくて
ひっそりとしており、
当直の先生方は奥の当直室で休んでおられました。
私は一人、医局のテーブルに向かって
必死に死亡診断書を書いていました。
まだ慣れないもので、時間がかかるのです。
‥‥と、医局のドアが
とんとん、と叩かれました。
きっとナースが
誰か当直の先生を探しに来たのだと思い、
私は「どうぞ〜」と言いましたが、
誰も部屋に入ってきません。
5分ほど経ったでしょうか、
さらにとんとん、と
ドアをノックする音が聞こえたので、
私はしぶしぶ医局ドアを開け、
廊下に出ましたが
向かいのナースステーションの明かりが
煌々としているばかりで
誰もいないのです。
試しにナースステーションで
誰か当直を呼びに来た人はいないか
確認をしてみたのですが
誰もいない。
気を取り直して私は医局に戻り
あとは自分の印鑑を押して
仕上げをするだけになった死亡診断書を前に
よっこいしょと座り直したところ、
また
とんとん、
とドアにノックの音がありました。
私はてっきり誰かのいたずらかと思い、
「誰よ!」と声をかけたところ
「‥‥すみませんねえ、
わたしのために
よるおそくまで」
と、耳元で囁くような声が聞こえました。
誰の声だか一瞬分からなかったのですが
そう、その声は
今朝方亡くなった、
私の担当の患者さんの声だったのです。
私は何もかもを放り出して、
一目散に自宅に戻りました。
医者になってから、
死後にお礼にを言われたのは
後にも先にもその時だけです。
(きこなし。)