── |
すこし前に、大船渡の漁師さんの新しい船を
見せてもらったんですが、
気仙沼でも、多くの漁船が被災しましたよね。
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紀子 |
休漁していて気仙沼湾につながれていた船は
みんなダメになりました。
私、市場の上で一晩を過ごしたんですけど、
気仙沼って、火事がすごかったんです。
もう、船はもちろんですが、
気仙沼の経済の9割はダメになったと思いました。
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── |
そんなに。
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和枝 |
みんな、港の近くだったからね。
ただ、遠洋船は別。
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和枝 |
遠洋船は世界の海に出て行ってましたから。
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── |
そうか。
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紀子 |
遠洋船で被害にあったのって
おそらく、全体の何パーセントもないです。
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── |
遠洋船というのは、マグロ船のことですか。
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紀子 |
そうですね。
気仙沼の工場は9割以上ダメになったけど、
外には、遠くの海には、
世界の海で操業するマグロ船の人たちがいる。
当時、そのことが本当に、心の支えでした。
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和枝 |
紀子さん、被災したときの話して。
だって、すごいんですよ、この人。
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── |
ぜひとも、おうかがいしたいです。
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紀子 |
いや、たいした話でもないんですが、
うちの事務所は魚市場の三階にあったので、
揺れで中がメチャクチャになったんですけど
水は入らなかったんです。
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── |
ええ。
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紀子 |
つまり、銀行のハンコと通帳とパソコンが
流されずに残ったんですね。
それで、
外にいる船にエサや資材などを送ろうと‥‥。
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── |
エサ?
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紀子 |
いや、あの、遠洋船が世界の海にいるっていっても
日本の新聞のニュースが
毎日、テレックスで流れるんです。
だから、地震があったことも知っているし、
「マグニチュード9.0」「何十メーターの津波」
「気仙沼が大火事」とか、
そんな記事を沖にいる漁師さんたちが見たら
どれだけ心を痛めるだろうと。
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── |
近くにいないぶん、なおさらでしょうね。
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紀子 |
で、うちでは、ありがたいことに、
銀行のハンコと通帳とパソコンが残ったので、
震災から10日目に
それらを持って東京へ向かったんです。
それまでは、毎日毎日、
営業しているお店を探して食料を確保したり
水汲みしたりしてたんですが。
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── |
それはつまり、なんの目的で?
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紀子 |
東京の銀行へ行って、そこから
沖にいる船にエサ‥‥
つまり、マグロを獲る餌や資材を
輸送船でバンバン送って、
どんどんマグロを獲ってもらって、
がんばってお金を稼いでもらわねばなーって
もう、その一心で。
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── |
東京へ。
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紀子 |
はい。
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── |
10日目じゃ、移動も大変でしたでしょう。
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紀子 |
まず、
気仙沼から仙台行きの臨時バスが出るって言うんで、
それに飛び乗りました。
そして、仙台から新潟行きの臨時バスに乗って、
最後、新潟から新幹線で、東京へ入ったんです。
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── |
うわあ‥‥。
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和枝 |
しかも、パソコン「デスクトップ」だからね。
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── |
え。
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紀子 |
そうそう。ノートパソコンじゃないんですよ。
こーんなでっかい、デスクトップ。
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── |
それを、背負って?
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紀子 |
そう。デスクトップのパソコン本体から、
パソコンの画面から、
キーボードから、マウスから、延長コードから、
ぜんぶリュックに入れて行ったんです。
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── |
なるほど‥‥。
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紀子 |
もうほんと「オラ東京さ行くだ」の世界。
しかも、パソコンの上蓋、パカパカだったし。
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── |
動いたんですか、それ?
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紀子 |
動くも何も電気がないから、
もう、動くかどうかもわからないまんまに
背負っていったんですよ。
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── |
しかも、仙台から新潟を経由して、東京へ。
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紀子 |
震災から10日間、着の身着のままの格好で
東銀座の七十七銀行東京支店へ行きました。
私の順番が来て、
カウンターで「気仙沼の‥‥」と言ったら、
そこで、涙がぶわーっと出てきたんです。
泣きながら
「気仙沼のオノデラコーポレーションです、
外国送金させてください」
みたいな、そんなボロボロな感じで(笑)。
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── |
外国送金というのは‥‥。
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紀子 |
10日以上も音信不通になってしまった、
海外の仕入れ先への支払いですよね。
津波にあっていろいろなくしたけれども、
信用までなくしてられないと思って。
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── |
すごいなあ。
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紀子 |
まさか
三月末に入金してくるなんてビックリしたと
国内の会社さんにも言われました。
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── |
そうですよね。
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紀子 |
でも、本当にあのときは、
「沖に、気仙沼の船がいる」ってことが
心の支えになったんです。
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── |
世界のどこかに、気仙沼の漁師さんがいる。
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和枝 |
そう。どんだけ支えられたか、わからない。
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紀子 |
でも、そういう状況でも
気仙沼の漁師さんたち、ブレなかったよね。
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和枝 |
そうそう、海に相対する仕事をしていて、
海からの被害でこんなになりました‥‥と。
でも、あの人たちは1ミリも迷いがなくて
「自分たちは、また海で仕事する」って。
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── |
もう、おっしゃってたんですか。
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紀子 |
それはもう、ほんとに、すぐに。
現場の人は、ぜんぜんブレてなかったんです。
そういうところに、しびれるし
気仙沼にそういう人たちがいてくれることが
私たちの「希望」なんです。
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── |
今日のお話でも、ずっと、
「漁師さんがいないと、はじまらない」
ということを
おっしゃってますものね、おふたり。
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和枝 |
もちろん、私たちふたりだけじゃなくて、
そういう漁師さんたちのことを
「いいぞ、いいぞ!」って励ましている
地元の空気があるんですよ。
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── |
お聞きしていると
気仙沼のエネルギーみたいな人たち、です。
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和枝 |
カレンダーに写った漁師さんの顔、
震災から2年、3年時点での表情なんです。
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── |
はい。しみじみ、すごいです。
みなさん被災された方々なのに、
毅然としているし、いい笑顔をしているし、
堂々としているし、カッコいいし‥‥。
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和枝 |
今年のはじめごろに思いついた話なので
制作に関しては
けっこう、あわただしかったんですけど。
でも、どうしても、今年やりたかった。
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── |
それは、なぜですか?
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和枝 |
私たちの気持ちの上で
「5年後くらいに、余裕ができたらやりましょう」
というものでは、なかったんです。
あの方たちの「今の顔」を、撮っておきたかった。
それは、やっぱり
「マイナスからでも、やり直すんだ」って
いちはやく
スイッチを入れ替えた人たちの顔が
私たちの「勇気」になると思ったんです。
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── |
なるほど。
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和枝 |
だから、やりたかったんです。どうしても、今年。
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紀子 |
船頭さんってね、ん〜、「ただの人」なんです。
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── |
と、言いますと?
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和枝 |
船頭だけなんです、ライセンスが要らないの。
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── |
あー‥‥。
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紀子 |
船長や機関長には、「お免状」が要るんです。
勉強して試験に合格しないと、なれない。
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和枝 |
でも、船頭になるためのライセンスは、ない。
つまり「人間で勝負してる人」だから。
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── |
みんなに信頼されたり、
先輩がたに見込まれたりしてなるものだと。
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和枝 |
そう。
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── |
免許がないというのは、逆にすごみを感じます。
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和枝 |
とにかく、漁師としての実力、
男としての包容力、人間としての大きさや覚悟、
そういうものを持っているかどうか。
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紀子 |
たとえば台風が来て、大しけの海の中を
「どれくらいサンマを積んで帰ってくるか」は
船頭の腹ひとつなんです。
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和枝 |
文字どおり、乗組員のいのちを預かってるから
波をかわしながらも
まったく寝ないで帰ってくるような人たちなんです。
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── |
ふたりが「スーパーヒーローだ」って言うのも
大げさじゃなく、そうなんだなって思います。
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和枝 |
だってもう、大型船の船頭になんかになったら
「親族の譽れ」ですからね。
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── |
気仙沼の人って「コスモポリタン」なんだって
よく耳にしますけど
そういう「あかるく開かれた感じ」がするのも
漁師さんの存在があればこそ、ですよね。
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紀子 |
ええ、遠洋漁業の人たちなんかは
ケープタウンとかスペインのラス・パルマス港、
ペルーのカヤオ港などと気仙沼とを、
行ったり来たりしてるわけですからね。
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── |
スケールがでかい。
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和枝 |
気仙沼ニッティングの編み手さんたちも
「世界を目指します」って、
けっこう、ふつうに言ってるみたいです。
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── |
頼もしいなあ。
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和枝 |
それを聞いた他の編み手さんたち、
ぜーんぜん、だーれもビックリしないんだって。
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紀子 |
世界は「遠い」じゃなくて
なんとなく「海でつながってる」という感覚は
あるかもしれないです。
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── |
そうですか。
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和枝 |
気仙沼の町や人って
外から来てくれたお客さまにたいして
「よく来たね」
「はいはい、お帰りなさい」
みたいな雰囲気があると思うんですけど‥‥。
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── |
はい。感じます、それ。
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和枝 |
だから、気仙沼のそういう「いいところ」も
あの人たちのおかげ、なんですよね。 |
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<おわります> |