同じ時代に生きているのがうれしくなるような人に
出会うことがあります。
そんな人たちの世界のおおもとは、
いったいどんなものでできているのでしょうか。
子ども時代から現在に至る足取りをうかがう
連載シリーズ第2弾にご登場くださるのは
グラフィックデザイナーの祖父江慎さんです。
祖父江さんは、どのような子ども時代をすごして、
すごいデザイン作品をうみつづける大人に
なったのでしょうか。
インタビューはほぼ日の菅野がつとめます。
生と死のデザイン。
- 祖父江
- ぼくが色以外に恐怖を感じるのは形です。
正円が怖い。正円恐怖症なんです。
- ──
- せいえん?
まんまるのことですか。
- 祖父江
- そうそうそう。
「正円の主張」っていうやつですよね。
- ──
- ‥‥‥。
- 祖父江
- ‥‥‥‥‥。
- ──
- なぜ、正円が怖いんですか?
- 祖父江
- 正円は、あれひとつだけで
ものすごく強い形で、不変不動。
だからいわば、死の形を表しているんですよ。
その証拠に、自然のほうから、
正円をやられたら怖いですよ。
たとえば、ピパは知ってますか?
- ──
- ピパ‥‥?
知らないです。
- 祖父江
- だいたいのみなさんが嫌いなカエルです。
- ──
- だいたいのみなさんが嫌いなものですか‥‥。
(画像検索する)
- 祖父江
- 卵。
ね?
これ、嫌でしょ。
- ──
- はい、嫌です。
- 祖父江
- でも、この「嫌」という感じが
ピパの身を守るんですよ。
毒はないし、ここにあるのは卵だから
栄養価も高いのに、なぜ狙われないか?
これがどの生きものから見ても
「さわりたくないもの」だからです。
こうやって、弱い生きものは
相手に「不気味」「近寄りたくない」と
感じさせるため、
たくみに円を使っているんですね。
つまり、嫌がらせの形で身を守っているんです。
コオイムシは知ってます?
子どもをおんぶする虫。
- ──
- (画像検索する)
あああああ‥‥。
- 祖父江
- ある意味神聖できれいなんだけども、
触りたくないでしょ。
- ──
- ちょっとこれは、ちょっとこれは‥‥。
- 祖父江
- これ、数列の美学と同じですね。
子どもが数学を嫌いな理由は、
ある部分で「死に近い」からだと思います。
生命を抽象化すればするほど恐怖感は増すものです。
命と数字をつなげると、徐々に
神様に近い領域のものになっていくんですね。
次に「タガメ 卵」で検索してみてください。
- ──
- (画像検索する)
‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥。
- 祖父江
- タガメの卵の産み方って、
ものすごく神経質でしょ。ね?
ここまで神経質だからこそ、
自分の卵をそのあたりに放っておけるんですよ。
きちんと産まないとみんな嫌がってくれないから、
タガメも一所懸命でしょう。
- ──
- これ、一個一個産むんですか?
- 祖父江
- うん。
- ──
- ケーキ職人さんみたいですね。
- 祖父江
- たいていの昆虫の卵の産み方は
そうなってますよ。
ゴキブリの卵だってきれいに並んでます。
ゴキブリの卵はね、半分に割るとピーって‥‥。
- ──
- いやぁ、見たことないです‥‥‥‥、
‥‥じゃあ、もしかして、
子どもが整理整頓が得意じゃない理由って。
- 祖父江
- そうですね。
子どもが整理整頓を嫌がるのは、
そこが死の入口だからでしょう。
整理整頓すると、
「もうこれ以上変化しない」という
予感がするのでしょうね。
変化しつづけるのが生命です。
子どもは、自分のいる空間が変化しつづけてほしい。
明解な数列となって整頓され、
不動になることに対する恐怖心があるのです。
カラス避けは同心円でしょ?
以前はよく、ベランダや畑に
CDみたいなものをぶら下げたりしたものですが、
生きものはみんな、幾何形を嫌がるんです。
- ──
- あまりにも整ったものを見て
恐怖を感じるのは、
そこに死を見てしまうからなんですね。
- 祖父江
- 瞳は正円だから、
目を見開いてにらみつけたら怖い。
あれは人間が持つ死の入口の形を
見せているんだと思います。
- ──
- 目の正円をわざとくっきりさせることで
人を近寄らせないようにするんですね。
- 祖父江
- 狼男が満月を見ると
体がぞーっとなるお話、あるでしょ?
いまは正円のものが身の回りにたくさんあるけど、
昔は満月が、象徴的に正円だったんじゃないかな。
だから、デザインに正円を使うときは、
よっぽど考えないとだめ。
原則的には使用禁止と思っておいたほうがいいです。
- ──
- 祖父江さんは以前、いっしょに本をつくったとき、
文の「センターぞろえ(中央でそろえる書式)」も
よく考えてやってね、と
アドバイスをくださいました。
- 祖父江
- 文や図版のセンターぞろえも、
自分たちの身を守って
他者を近づかせないようにする形です。
「絶対的な形=死の形」で、
センターぞろえには威厳があるんです。
そういうデザインコンセプトの作品ならいいけれども、
そうじゃないときはやめておいたほうがいいです。
弱い者たちは、危険なとき、
死の形のなかにいれば、守られて安全です。
お寺や神社、教会やモスクは
そういったシンメトリーな建築に
しているところがたくさんあります。
お墓もそうです。
- ──
- 日本のお墓はたいてい左右対称ですね。
- 祖父江
- ただし日本の建築の場合は、
日光東照宮なんかもそうですが、
逆さ柱を入れたりして、
左右対称をちょっと崩すことによって
生命力を維持するようにしているものも
たくさんあるんですよ。
- ──
- コズフィッシュの
事務所の机やイスの種類や高さが
バラバラだったりするのは、
死のデザインを避けるためですか?
- 祖父江
- 単に整頓が苦手なだけです。
- ──
- わざとなさってると、
聞いたことがありまして。
- 祖父江
- まぁ、そういう傾向はありますね。
変化することが大事だという気分は
ぼくのなかにはいつもあるんです。
机や服がそろっているのは、
神聖だし威厳があります。
冠婚葬祭にもいいし、
みんなを管理するような組織づくりの場合にもいい。
制服は、みんなをピシッとさせて
個性を消していくのに向いています。
けれども、うちの場合、
個性を殺す仕事ではないんです。
どっちかというと、
きちんとならないことを、きちんとならない状態で
「ちょうどいい」や「行きすぎ」を判断して
おし進めていきます。
この事務所の状態でいることの大きな問題は、
一日じゅう「探しもの」をしないといけない、
ということです。
- ──
- そうですね(笑)。
- 祖父江
- その場所に合わせた、
「動くほどよさ」は、やっぱり大切なんですよ。
- ──
- はい。
- 祖父江
- だけど、巨大な組織を管理したり、
多くの魂をまとめる場合は、
そろえる精神が必要です。
そうすると、みんなが同じ
一個の魂になろうとしてくる。
鳥の飛び方も、ばらばらだけど
なんとなく形があるでしょ。
一人一人が存在しているように見えながら、
隣の重力によってコントロールされている。
- ──
- 隣の人と関わってる、ということですね。
- 祖父江
- そう。
そのせいで、いいかげんに飛んでるような渡り鳥も、
きれいに形になっているでしょう。
ああして気持ちを一個にしたほうが、
まとまりとして強くなるのです。
群れで泳ぐイワシもそう。
個性を大事にしてたら、バラバラになって
種が滅んじゃうちゃうかもしれない。
「ちょうどいい」について考えるときに大事なのは、
ちょうどいいことがどういう状態かを
わかっていると同時に、
ちょうどいいことが
いい場合もあれば悪い場合もあると
知っていることです。
とくにデザイナーの人は、入稿するとき、
不安なまま入稿するのが苦手でしょ?
- ──
- はい。
- 祖父江
- 安心できる形にしたいでしょう。
安心したい気持ちが
シンメトリーを生みがちなんですが、
それを印刷物にしたときにどうなるかを
考えてみるんです。
「これは単にいま、自分が
安心したいだけかもしれないな」
「使うメディアに乗ったとき、どう出るかな」
「もっと危篤状態にしたほうが活きるかな」
- ──
- 気をつけて、そのメディアごとの
「ほどよいところ」をわかること‥‥。
- 祖父江
- そして、あまりにも
「ほどよく」してると飽きるから、
あるときには、
そこまでする意味があるか、というような
無駄でヤバいこともやっちゃっていいでしょうね。
- ──
- そうするにはやっぱり、
その人が「やりすぎ」と「ほどよい」を
体験していることが大事ですね。
祖父江さんの出発点には
カエルとの歴史があることがよくわかりました。
- 祖父江
- うん。
カエルとの関わりがなければ、
ぼくはこうなってないかもしれないね。
- ──
- 今日は大切なお話をありがとうございました。
ひきつづき、本の打ち合わせを
させていただきます。
- 祖父江
- はい、また、がんばりましょうね。
よろしくお願いします。
(おしまいです)
2019-03-20-WED
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN