世界をつくってくれたもの。祖父江慎さんの巻 世界をつくってくれたもの。祖父江慎さんの巻
同じ時代に生きているのがうれしくなるような人に
出会うことがあります。
そんな人たちの世界のおおもとは、
いったいどんなものでできているのでしょうか。
子ども時代から現在に至る足取りをうかがう
連載シリーズ第2弾にご登場くださるのは
グラフィックデザイナーの祖父江慎さんです。
祖父江さんは、どのような子ども時代をすごして、
すごいデザイン作品をうみつづける大人に
なったのでしょうか。
インタビューはほぼ日の菅野がつとめます。
祖父江慎さんのプロフィール
第5回
生きものはみんな不安定。
写真
──
このインタビュー冒頭で
祖父江さんがおっしゃっていた、
「ちょうどいいところが見つけられない」は、
多くの子どもが感じることかもしれません。
でも、カエルの体験のように、行くところまで行くと、
自分のちからで「ちょうどいい」を
見つけることができるような気がします。
体験は危険もはらみますが、大切ですね。
子どもは残酷で冒険家だけど、
無意識でそれをやっているのかもしれません。
祖父江
そうですね。
でも、子ども時代の強烈な体験だけが
「ちょうどいい」ことを
わからせてくれるというわけでもないんです。
大人になってからの試行錯誤も大事です。
ぼくは大人になってからのカエルとのつきあいで
そうとう学びましたよ。
カエルって、温度が難しいんです。
──
温度ですか。
祖父江
オタマジャクシをカエルに育てるのはかんたん。
放っておけばいいし、エサをあげなくても平気。
お友達を食べてってくれるから、
適量の強い子が残ってくれます。



でもそこからが、難しい。
大人になったカエルは、
寒いのはわりと大丈夫だけど、
ある温度以上の暖かさになると死んじゃいます。
ごはんも、すごく難しい。
動くものじゃないと、食べませんから。
──
生きて動いているものですね。
それは難しい。
祖父江
ヒキガエルになりたての子って、
手足をのぞけば
体長が5~6mmくらいです。
たいていのカエルは自分の目の幅より
大きいものは食べないから、
2~3mmの大きさの、
動くものを用意しないといけないんです。
写真
──
そんなの、あるんですか?
祖父江
ダニ。クサダニです。
──
ダニはちょっと、手に入りづらいですね。
祖父江
意外と取れますよ。
細かい目の網で、
草むらでぐじゅぐじゅぐじゅっとやると、
何匹か入ります。
それを、フタをして逃さないようにして
カエルに与えるの。
でも、カエルが食べる前に虫が先に死んじゃうと
食べてくれない。
クサダニが死なない環境、それもすごく難しいんです。



ぼくが次に狙ったのはショウジョウバエです。
バナナを買ってきて腐らせると、
ハエ、けっこう来るでしょ? 
──
バナナでショウジョウバエを育成して‥‥。
祖父江
だけれども、ショウジョウバエって、
必要ないところには来るのに、
「どうぞ来てください」というときには、
ぜんぜん来てくれないんです。
──
来てくださいと思ったことはないですけれども、
そんな気もしますね。
なぜわかるんでしょう。
祖父江
ほんとに、難しいものですね。
そんなことをしても、
単にバナナが腐って乾燥していくだけでした。
生命のバランスって、境界が紙一重なんですよ。
ぼくはカエルのおかげで
「ちょうどいいところ」について
ずいぶん考えることになりました。
写真
──
命ってデリケートですね。
祖父江
そうなんですよ。
まず、生命は、不安定さが大事です。
なぜって? 
固まったら死体だからね。



生きものはみんな、不安定でいながら、
ちょうどいいすれすれのところで
動いているんです。
人間の体温ひとつとったって、
みんな似たような体温でいるでしょ?
──
そうですね。
36度あたりの、
1度前後のところにみんながいます。
祖父江
カエルといると、
そのあいまいな「絶好調の温度」を
日々研究しなければなりません。
冬眠させるのも、ほんとうに難しい。
温度や通気で、だいたいは失敗します。
──
そうなんですか。
祖父江
ほんの微妙な1度2度の差で、
魂は死んじゃう。
そういうことを理解すると、
「ちょうどいいこと」が、
いかに大事かがわかってきます。
写真
──
それはいま、祖父江さんのデザインにも
活かされているのでしょうか。
祖父江
デザインの場合は、
やや病気にしといたほうがいいんです。
──
病気に。
祖父江
ちょうどいいところの健康体の形態は、
アピール力が、あんがい悪い。
ときには「やばいかもしれない」と
心配をかけるくらい、
行きすぎててもいいと思います。
カエルのおなかの蛍光色には恐怖を感じるけれども、
印刷物の蛍光色にはそんなに感じないでしょ?
蛍光色は毒の色なんだけど、
みんなわりと平気で見ます。



生きものの色がすごいことになるのって、
どういうときか知ってます?
──
死ぬときでしょうか。
祖父江
生まれるとき、死んだとき、
あとは、結婚するときですね。
鳥も、生命力あふれる時期に
派手派手になったりするでしょ? 
魚だって、いつも地味な色なのに、
魂がこぼれんばかりになって興奮したとき、
「そんな目立ってたら捕まるぞ」
という鮮やかな色になります。



鮮やかな色は、命の境界に現れやすいのです。
つまり「冠婚葬祭」ですね。



鳥は種がちがうから
きれいに思えるかもしれないけど、
種がおんなじだったら
心配になるかもしれないね。
──
そうですね。人間の色が変わったら‥‥。
祖父江
急に鮮やかな色になって、
「おっ、おまえ最近嫁さん探してるのか?」
「えっ、わかります?」
「顔見りゃあわかるよ」
なんてねぇ(笑)。



生きものにとって「ちょうどいい」は
命にかかわるくらい大事だけれども、
物体にとってのPR力には機能しないこともある。
「毒」「死ぬ寸前」「生まれたて」くらいの
行き過ぎ状態の色を利用するといい。
なぜなら印刷物は、命を持っていないから。
命を持ってないものは、
こっちからピンチにしておかないと、
魂が入んないんですよ。
写真
(明日につづきます)
2019-03-19-TUE
世界をつくってくれたもの。ヤマザキマリさんの巻