世界をつくってくれたもの。ヤマザキマリさんの巻 世界をつくってくれたもの。ヤマザキマリさんの巻
同じ時代に生きているのがうれしくなるような人に
出会うことがあります。
そんな人たちの世界のおおもとは、
いったいどんなものでできているのでしょうか。
子ども時代から現在に至る足取りをうかがう
ちいさな連載です。
最初にご登場いただくのは、ずっと憧れていた
漫画家のヤマザキマリさんです。
インタビューはほぼ日の菅野がつとめます。
ヤマザキマリさんのプロフィール
第1回
ちょっと「ふつう」が気になった。
──
ヤマザキさんのご出身は北海道ですか?
ヤマザキ
出身は東京です。
4歳くらいのとき、
母が北海道のオーケストラに移籍したので
一緒についていきました。
ですから、幼少期は北海道です。
──
お母さんはヴィオラ奏者で、
北海道のオーケストラに。
ヤマザキさんは、いったいどんな
お子さんだったのでしょうか。
ヤマザキ
変わった子でしたよ。
──
変わってた。
ヤマザキ
もちろん、自分が変わっているなんて
自覚はありませんでしたけどね。



女の子の遊びはできず、
魚や虫が大好き、自然が大好き。
いつも家にはいなくて、
日が昇っている間はずっと外にいました。



北海道の大自然の中にいたもんだから、
公園の遊具で遊ぶのが嫌いで、
木に登ったり川で泳いだりするほうが好きだった。
公園で遊ぶにしても、
すべり台はわざとすべらない。
段をかけのぼって、踊り場から飛び降りてました。
──
ひぇえ。
ヤマザキ
決められたことを崩してばかりいた
子どもでした。
──
学校はどうでしたか? 
学校って、決められたことを
やらなきゃいけない場所だと思いますが。
ヤマザキ
例えば、
ランドセルを持っていくのが嫌で、母にも
「そんな重たいもの背負って行く必要はない」
とすすめられて、途中でやめました。
当時スヌーピーの布バッグが流行ってて、
何枚も持っていたので、
そのバッグに教科書をガーッと入れて
持っていってました。



服装は、ジャージを着て通学してた子が
多かったんですが、
うちの母がジャージ嫌いだったので、
ふつうの服を着ていってました。
それだけでほかの子とちがうので、
ちょっと目立っていました。
──
ジャージやランドセルを着用しないことで、
何か言われたりしませんでしたか。
ヤマザキ
ないです、ないです、
ぜんぜんないです。
先生からも子どもたちからも、
私は最初から「変な人」と認められてましたし、
うしろめたさの気配が全くなかったです。
そのせいか誰も何も言ってきませんでした。
──
どうして「変な人」と認められたんでしょう。
ヤマザキ
自然とそうなっていただけです。
もともとうちの母親は、何をやったって
「それはおかしい」なんて
言う人ではありませんでした。
変わっていることが世間体的に問題だとは
とらえない家族だったんです。
むしろ母は、人と人をそろえるほうがおかしいという
考え方でした。
写真
──
みんなといっしょでないことが
ふつうである、と。
ヤマザキ
そう。母は、学校に行きたくなかったら
行かなくていいという方針でした。



彼女は北海道出身ではなかったので、
天気のいい日には
「うわぁ、こんな日は大自然に行きたいわね!」
といって、子どもたちに学校を休ませたりしました。
──
すごい。
ヤマザキ
学校に電話して、
「すみません、今日は天気がいいんで、
うちの子どもたち休ませます」
ガシャッ、そんな感じ。
──
では、ヤマザキさん一家の歩いているその道に、
石を置くような人は現れなかったんでしょうか。
ヤマザキ
現れませんでした。
まわりは「まあ、こういう人たちもいるんだな」と
あきらめるしかなかったんじゃないでしょうか。
母親がまず音楽家。
──
はい。
ヤマザキ
「北海道で、音楽で、オーケストラ」
ということ自体、みんなにとって、
わけがわからなかったでしょう。
「音楽で生活してるみたいだし」
「シングルマザーだし」
もう、意味不明なわけですよ。
──
「ふつうとはどういうことだろう」と思ったり、
みんなに近づこうと思ったことって‥‥。
ヤマザキ
ありますね。
──
あるんですか。
ヤマザキ
うちは母子家庭で、
母親はオーケストラでたいへん忙しく、
ほとんど家にいませんでした。
もちろん私は鍵っ子で、
玄関を自分で開けていました。



でも、ほかの家は
「おかえりなさい」と声をかけてくれるお母さんが
家にいつもいる。
3時のおやつがあったりする。
友達の家に遊びにいくと、なんかが出てきたりする。
うちはそういうことはありません。
お金が置いてあるだけ。
帰ってきたらいつもそのお金を持って
自分たちで買いものしました。



私はすぐに「少年チャンピオン」を買ったりして
お金がなくなって、
あとは肉まん1個を食べて飢えをしのぐ、
なんてことをしてました。
逆に妹はしっかり者で、つねにお金を
計画的に使ってましたけどね(笑)。



友達が家に来るときには、
うちがほかの家とは違うということを
引け目に感じちゃうときがありました。
だから、みなさんの家で出るようなおやつを
わざわざ買ってきて、
用意されていたような演出をしたり。
──
そんなふりを。
ヤマザキ
あとね、うちはもともと
代々カトリックの家だったんです。
だから家に十字架が飾ってありました。



遊びに来た友達がそれを見ると
「えっ?」となるわけです。
「この家はなにか、宗教が違うようだ」
と思ったでしょうね。
私は幼児洗礼を受けてるし、
神父さんとも交流があったので、
べつにおかしいこととは思わなかったんだけど、
それを指摘する子がいたりすると、
「ああ、うちはちょっと違うんだな」
と思ってしまうことはありました。
でも、どこかから、吹っ切れて。
──
どこで吹っ切れたんでしょう。
ヤマザキ
うーん、
どう言えばいいんだろう、それが、
いつのまにか霧のように消えてしまうんですよ。
──
霧のように?
(明日につづきます)
2018-08-27-MON
世界をつくってくれたもの。祖父江慎さんの巻