同じ時代に生きているのがうれしくなるような人に
出会うことがあります。
そんな人たちの世界のおおもとは、
いったいどんなものでできているのでしょうか。
子ども時代から現在に至る足取りをうかがう
ちいさな連載です。
最初にご登場いただくのは、ずっと憧れていた
漫画家のヤマザキマリさんです。
インタビューはほぼ日の菅野がつとめます。
帰る場所は、ありません。
──
北海道、香港、イタリアで、
カルチャーショックを受けつづけた
ヤマザキさんですが、
いちばんインパクトのあったことってなんですか?
ヤマザキ
北海道で過ごしていたときに接していた、
昆虫の世界ですね。
──
昆虫!
ヤマザキ
子どもの頃、家に帰っても親がいない。
学校では友達や先生や、
自分の存在を確認させてくれる人がいるわけだけど、
家にはいない。
そうすると、なぜか家の外へ出ていって、
野原とか森とか、大自然の中にいるほうが
安心できたんです。
自分のことを「おまえはこういう人だ」とか
誰からも言われない空間。
その広大な大自然の中で、
寂しいとか寂しくないとか気にするでもなく
生きている昆虫が、頼もしかった。
空を飛んだり地面をはったり、
大きさも形状もさまざまだけど、
皆もらった命を生きている感じ、というのか。
意志の疎通もできないけど、
「毅然と同じ地球にいる生きもの」と思うと
もうそれだけで元気になれるというか。
──
たしかに疎通はできないけれど。
ヤマザキ
子どもの頃に訪れた香港でも、
言葉が通じない状況が好きだったと言いましたが、
私は基本的に、生きもの同士は
「通じ合えなくてもいい」と
思っているところがあります。
人といっしょにいることは必ずしも
「通じる、通じない」が重要ではない。
「通じないけれども共存している。
同じ時空で生きているということだけで、
リスペクトし合う」
という感覚がここちいい。
──
通じないけど共存しているといえば、
やっぱり虫が、その最たるものですね。
ヤマザキ
そうですね。
母がたまに捨て犬や捨て猫を拾ってきたんです。
団地だから飼っちゃいけないのに。
「だってかわいそうじゃないの」って。
娘たちに「ダメなんだよ!」って反対されても
「大丈夫、バレないように飼う」とか言う。
そういう犬や猫は
助けた私たちになつくわけです。
自分を頼ってくるから、
こちらも「健気でかわいいな」とか
思うわけですけど、虫はそうはいかない。
自分の存在を認識してくれる仕草などは
まったくありません。
だけど、私には虫のそこがよかった。
地球全体を味方につけているような生き方が。
じっくり観察したくて、外で捕まえてきた虫を
全部うちのなかで放し飼いにしてたりしました。
──
うわぁ。
ヤマザキ
母が帰ってきて、
カーテンにトンボやカブトムシやバッタが
くっついているのを見て
「ぎゃー!」と言ってました。
──
(笑)
ヤマザキ
だから、子どもの頃は
虫や動物の絵ばかり描いてました。
大人になったら図鑑の絵を描く人に
なれたらいいなと思いながら。
──
コミュニケーションできないものを
好んで描いていたんですね。
ヤマザキ
たとえばミツバチなんかは人間に匹敵する、
いや、人間にも勝る社会組織構造をつくって
生きている虫です。
古代の博物学者プリニウスは、
──いまちょうど
この人についての漫画を
描いているわけですが、
ミツバチはあれだけ同じ仲間同士で
密集して暮らしているのに、
お互い争ったりすることはないから、
人間よりよほど優れていると言っている。
淡々と自分たちの役割をこなして生きている。
すごい、と。
古代の人でもそう思っていた。
地球にいる同じ生物として、
実は学ぶべきことも多いんですよ、虫は。
そんなわけで、
ほかの生きものの気配を感じる野原で
寝そべっていると、ホッとしますね。
──
「ホーム感」「アウェイ感」などといいますが、
ヤマザキさんにとって
自分がほっとできる帰る場所、
HOMEはどこでしょうか?
ヤマザキ
ぜんぶがアウェイです。
ホームはありません。
どこかから帰ってきて
「ああ、ここが自分の場所だ」
というような感覚がありません。
どこに行ってもないのです。
いまの拠点はイタリアですが、
年の半分ほどは東京に来ています。
北海道に行けば母親が住んでいますが、
そこもアウェイです。
自分の国籍のある日本もアウェイだし、
家族のいるイタリアもアウェイだし、
シリアやポルトガルやアメリカにも家を持って
長い期間暮らしていたわけだけど、
どこもかしこも
「ここが自分の居場所」だと思ったことがない。
うちの息子はハワイにいるけど、
ハワイはいいところですが、あそこもアウェイ。
どこもかしこもアウェイなんだけども
俯瞰でみれば地球の上にいることには変わりはない。この惑星が私の暮らしている場所だと思えば、
ホームなんていう感覚はいらなくなる。
──
アウェイだらけだけど全体的に地球がホーム、
という感じでしょうか。
ヤマザキ
細かく地域的に区切って、
そこが自分とどう関わりがあるかとか、
そのどこかに帰属するのだとか、
そういうことは全く考えずに生きてきた、
ということなのでしょう。
子どもの頃はしょっちゅう野原に寝そべって、
青い空に包まれがら太陽の光を浴びていた。
そうしているのがいちばん安心でした。
みなさんだって、
海辺の砂浜に寝そべっていると
至福を感じるでしょう、
ああいうことですね。
もうその感覚さえあればいい。
それで以上。
──
以上。
ヤマザキ
たしかに自分の土地、自分の家、
自分の家族という囲いがあると、
守られている気持ちにはなるでしょう。
ただ、人間の社会というのはときどき、
逆に人間をとんでもない不安に陥れる場合がある。
自分と同じ生きものである
人間の集団の中にいながら、
砂漠にひとり置き去りにされたような
気持ちになることもある。
そこが帰属という社会構造の
危険な部分なんじゃないかと思います。
虫みたいに、最初から
自分はその他大勢の生きものと同じ、
地球で生きていけるものとして
この世に生息しているだけ、属性はナシ、と
腹をくくれば気楽なもんですけどね。
──
でも人というのは、
コミュニティや家族のような単位を守って、
安心したくなりますね。
ヤマザキ
人間は基本的に社会的動物だから
しかたがないと思います。
ただ、世界はけっして
自分が帰属している場所だけではない、
と思うことは大事かもしれません。
例えばうちの息子なんか
わけがわからないことになっちゃってますよ。
デルスというんですが、
黒澤明監督がかつて撮った映画の
『デルス・ウザーラ』という、
大自然を味方につけている
シベリアのじいさんの名前をつけました。
過酷な大自然や熊や虎や鹿に、
共存を認められて生きている人です。
地表上の狭いくくり、という感覚は
デルス・ウザーラには皆無。
そしてうちの子どももそんなふうになってきている。
詩人とのあいだにイタリアで生まれて、
その後日本に連れて来られて、
その後、私が中東のシリアへ行って、
イタリアにいったん戻って、
ポルトガルの学校で小学中学課程を終えて、
そして高校はアメリカ。
「毎回学校で国語と歴史が変わるのがたまらん、
国際引っ越しはもうカンベンしてくれ」
とアメリカの時点でさすがに言われましたが、
完全にどこの人間だか
わからないことになっています。
顔かたちが日本人ぽくないから、
日本にいると英語で話しかけられる。
かといってほかの国に行っても、国籍不明。
逆にどこにいても、現地人に見える。
あんたって見た目がしみじみ国籍不明だよね、
と言うと
「どこの人だっていいじゃん、そんなもの」
と言い切っています。
国境線という境界を自分たちでつくって、
「ここまでの人間、あそこまでの人間」
というのは、
ほんとうにばからしいと思います。
自分たちで生きる領域を狭くして、
それが安心の基準だと信じて、
でもその中に自分たちと
同調できない人がいると争って。
都合の悪い人間は排除して。
──
はい。
ヤマザキ
『ゼロ・グラビティ』って映画、見ました?
あれは宇宙から、
遠くに見えてる地球に戻れるかどうか、
という話でしたよね。
とにかく地球への着陸をめざす。
──
はい。重力のある地球の大地をめざす映画でした。
ヤマザキ
あの着陸は、
はっきり言ってそこが地球のどこなのか、
アメリカ大陸なのか
ユーラシア大陸なのかアフリカ大陸なのか、
どこかの無人島なのか、
そんなことはもう主人公にとってはどうでもいい。
地球上であればどこでもいい。
着陸さえできればいい。
──
ああ、そうですね、あれはほんとに
どうでもいいですね。
ヤマザキ
生きていける場所に戻るだけ。
たしかに私たちは、
宇宙におんだされたら心細いでしょうよ。
息もできなくなるわけだし。死んじゃうから。
でも、地球という惑星にくっついている限りは
生きていける。
地球はどんな生きものにも平等に
生きていける環境を提供してくれている。
それだけでもう充分だと思うわけです。
ですから、人間の社会のなかで
孤独を感じたり息が詰まりそうになったら、
どこでもいいから大自然に行く。
壮大な大自然のなかで、
自分に無関心な虫や植物と同じ空間にたたずむ。
子どもの頃からわたしは無意識にそうやって、
自分の中に溜まる不安や嫌な気持ちを
解消してきたのだと思います。
だから昆虫に対して、
勝手なシンパシーを持っているんですよ。
地球という惑星こそ、
人間を含む全生物にとっての、
本質的な「我が家」だと思うのです。
(明日につづきます)
2018-09-02-SUN
PHOTO:
ERIC
(C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN