さて、台所に立つ気力を失いつつある母に
食べることの楽しみを取り戻して欲しい
と、張り切って腕をまくってみたものの、
よくよく考えてみれば、
一緒に暮らしているわけでないので、
年老いた母がふだん、どんな食生活を送っているのか、
本当のところは、よく判らないのでした。
尋ねたところで、ご当人、
「だいじょうぶ!」「ちゃんと食べてるから!」
の、一点張りで、
なにが足りてて、なにが足りないのか、
なんとももどかしいところですが、
母の言い分を鵜呑みにして、そのままにしておくのは、
さすがに心配なので、
とりあえず折をみて、ちょっとした常備菜やおかずをつくり、
デリバリーすることにしました。
歯が弱くなっても食感や口当たりは大切でしょうし、
噛む音が脳を刺激して良いかも。
香りのよいものを判りやすく加えると、
食欲が増すかもしれません。
酸味 旨味もうまく活かして
同じ味にならないよう、ひと工夫。
柔らかくレンジ加熱したキャベツに、
ごま油、おろしにんにく、 塩を加えてよく和えます。
にんにくとごまの風味で薄味に。
茹でるよりも旨みが逃げず、キャベツの甘みを楽しんでもらえそう。
刻み昆布には、けっこう塩分が含まれているので、
味つけも濃くならないよう、砂糖、酒、しょうゆで、
さつまいもの甘味を引き立てる仕立てに。
ゆで大豆、干ししいたけ、にんじん、えのきだけを加えて、
出汁を効かせて柔らかく煮ます。えのきが歯にはさまるかしら?
鍋に梅肉、酒、みりん、もどしたひじきを加えて、
水けがなくなるまで炒りつけ、
仕上げにかつお粉、ゆかりを加えます。
塩分を高くしたくないので、
梅干しの酸味、ごまの風味、ゆかりの香りを味の補いに。
ある程度日持ちのする、常備菜的なものを
それぞれ、2~3日分タッパーに詰めておけば、
あとは自分で、ごはんを炊いて、お味噌汁をつくって、
主菜には、肉か魚でも焼いてもらえば、
それなりにバランスのよい献立になるのでは、
という心づもりです。
しかし、これがどうして、なかなか。
顔を見せれば、とても喜んでくれるのですが、
肝心のお総菜については、
「おいしかったわ」でもなく、「助かったわ」でもなく、
こちらが期待するほどの、
リアクションは得られません。
「こんなものが好きだったかな?」
と思ってつくっていっても、
あとで聞いてみると、
なんだか、反応があいまい。
口に合わなかったのであれば、そういってもらえると、
こちらでも工夫のしようはいくらでもあるのですが、
それも私に悪いと思うのでしょうか?
長く離れて暮らしているので、思い違いがあったり、
あるいは年齢とともに、
好みも変わってきているのかもしれませんが、
次に訪れたとき、冷蔵庫をのぞいてみると、
前回のものがまだ残っていたりして、
これには私もガックリ。
一応、料理研究家の端くれとして、かなりヘコみます。
食が細くなっているせいかも、とも考えてみましたが、
夫や娘と連れだって訪れ、
一緒に食卓を囲んだりすると、
なんでもおいしそうに、パクパク食べています。
かたいものだろうが、油っぽいものだろうが、全然OK!
というか、もしかしてわたしより食べてるかも‥‥?
そこで、いろいろ、しつこく聞いてみると、
「たくさんつくってもらっても、
ひとりだと、食べきる前に飽きちゃうのよねぇ。ふふっ」
と、肩をすくめてみせる母。そこですか!
それならそうと、早くいってくれたらよかったのに。
わたしとしては、量も充分に考慮して、
そんなに、どっさり詰めたつもりはなかったのですが、
やはり少しリサーチが足りなかったようです。
また、家族とともにいるときには、
旺盛な食欲を見せる母を見ていながら、
毎日ひとりぽつんと、おなじおかずを前に、
食事を取るということの
わびしさ、寂しさというものを、
わたしはちゃんと理解できていなかったのかもしれません。
もっと頭をやわらかくして、
次のアプローチを考えてみなくては‥‥。
メインになるおかず、 副菜のバリエ、
作る立場の作りやすさ、
何かきっと良い方法があるはずですね。
(次回に続きます)