BOOK
男子も女子も団子も花も。
「婦人公論・井戸端会議」を
読みませう。

第1回 眠れない人々

第2回
命がけの行為です
糸井 そもそも、ヒトはなんで
眠らなくちゃいけないんでしょう。
井上 要は、眠らないと生きられないような
生きものになっちゃったんですね。
生きものは進化の過程で、
大きな脳をもつようになりましたけど、
脳はコントロールセンターみたいなところですから、
連続運転して酷使すると、
オーバーヒートして個体の生命維持も危うくなります。
脳をうまく働かせるには、脳をクールダウンさせて、
点検し、疲れを回復させて、
さらによく動かすという機能が必要になります。
それが睡眠なんですね。
じゃあ、脳が発達する以前は、
睡眠というものはなかった?
井上 「休息」はありました。
生きものは地球上に生存するために、
昼夜のリズムや潮の満ち引きのリズムとか、
そういうものに合わせて休息と活動を繰り返しながら、
うまく生き延びてきたんですね。
糸井 休息と睡眠は違う……。
井上 休息は外部環境のリズムに合わせて
受動的に活動のレベルを下げることですけど、
睡眠には単に活動のレベルを下げるだけじゃなくて、
脳の働きを積極的に抑え込み、
それをまた積極的に戻してやるという機能があるんです。
糸井 おサルと人間とでは、その機能の差は大きい?
井上 いや、違わないです。
脳は魚にもありますけど、魚のような変温動物の場合、
外が冷えてくれば自分も冷えて動けなくなるし、
それにまかせておけばいい。
ところが恒温動物のように外が冷えても自分は温かくて、
脳自体がいつも動ける状態の場合、
無駄なエネルギーの放出を抑えて
クールダウンさせるためには、
違う状態に置き換えなきゃいけない。
その役割をするのが睡眠ですね。
井上 ええ。
だから睡眠は活動を止めるというより、
「状態を変える」ことなんです。
それによって脳を守り、よりよく働かせるようにし、
場合によっては脳をつくるという役割もある。
赤ちゃんがよく眠るのは、
睡眠が脳づくりに大事な役割をしてるからです。
糸井 ハエなんか眠ってるとは思えないし、
眠る生きものと眠らない生きものの境は
どのあたりにあるのかな。
井上 植物だとか単細胞のバクテリアなんかには
睡眠はありませんし、虫もあるかないようなレベルです。
そういう意味で、睡眠は
非常に限られた高等な生きものがもっている
新しい生存技術戦略――というふうにとらえられますね。
睡眠は、脳波の違いによって
眠りの種類が分けられていますね。
「レム睡眠」「ノンレム睡眠」と。
井上 レム睡眠とは、
「急速眼球運動(REM=英語の頭文字をとってレム)を
 ともなう睡眠」
という意味です。
閉じたまぶたの下で眼球がキョロキョロと動いたりする、
あのことですね。
体はぐったり脱力状態になっているのに、
脳は覚醒に近い状態になっている。
ノンレム睡眠とは、「レム睡眠でない眠り」という意味で、
いわゆる安らかなぐっすりした眠り。
このレム睡眠、ノンレム睡眠という
異なる役割をする2種類の眠りが組み合わさって、
1セット約90分周期、それが何度か繰り返されて、
脳は睡眠という状態をつくりだしてるわけです。
糸井 異なる役割といいますと?
井上 脳の活動を積極的に抑え込むような作業を
ノンレム睡眠が分担し、それによって
下げられたレベルをもとにもどすのがレム睡眠で、
これは覚醒のほうにつなぐ役割をします。
夢を見ていることが多い眠りです。
糸井 僕はほとんど夢を見ないのに、
今朝は夢をたくさん見ました。
夢の中で
「あっ、今、夢を見てる」
と思ってるんですよ。
そんなことあります?
ありますよ。
私は現実のことをすごく夢に見るので、
今夜あたりお二人の夢を見て
うなされるかもしれない。(笑)
井上 糸井さんの場合、メラトニンで
眠らされてる状態でしたからね。
睡眠と覚醒の間をフラフラしてて、
いくらか意識はあるもんだから、
結果として夢といっていい現象が続いてたんでしょう。
だけど夢って、なんであんなに
辻褄が合わない妙なものなんでしょうね。
井上 大脳を休ませる技術が十分でないレム睡眠では、
大脳の活動も統制がとれていないから、
現実離れのした奇っ怪な夢を見たりします。
ノンレム睡眠でも夢見は起こりますが、
眠りが深ければ深いほど、
また起きるまでの時間が長いほど、
夢を思い出すことは難しくなる。
糸井 夢と現実を混同することもありますね。
僕の知り合いで、牛が突進して来る夢を見て、
隣に寝てる奥さんの顔面に
パンチ入れちゃった人がいました。
牛っていうのが……。(笑)
井上 夢を見ているときは、
運動系のスイッチが切れてるような状態なんです。
空を飛ぶ夢を見てるとき、
脳は羽ばたいてる実感はもってるけど、
実際に手足が動いてるわけじゃない。
ところが高齢になったり、
脳の機能になんらかの不都合があると、
夢を見たときに、運動の指令が
手足の筋肉と繋がるような障害が
出てくることがあります。
私が取材したアルコール依存性不眠症の人は、
『ダイ・ハード』まがいの闘う夢をよく見て、
年中、壁が血だらけになってるんですって。
糸井 寝言なんかも、運動系のスイッチが
ちょっと繋がってるんでしょうね。
井上 そうです。
それから犬や猫が昼寝してるのを見てると、
手足やヒゲがピクッピクッと動くことがあるでしょう。
あれなんかも運動系の指令を抑えきれなくて、
瞬間、繋がってる。
完全に抑えきれないのが、睡眠の発展途上なところです。
糸井 まだ若い技術なんだ……。
先生の著書の中に、
「眠るのは命がけの行為である」
というくだりがあって、
僕、面白いなあと思ったんですよ。
井上 眠ると意識のレベルが下がり、
外界の変化を見たり聞いたい嗅いだりということが
ほとんどできなくなる。
筋肉も緩みます。
危険が迫っても急いで逃げられない無防備の状態。
生きていくのに不利な条件が押し寄せるわけで、
睡眠は危険をともなう命がけの行為なんです。
だからといって、眠らないわけにはいかない。
井上 脳を働かせたり、生命を維持したり、
ひいては種属を維持することもできませんからね。
それでなんとか睡眠をとらせるために、
危険と引き換えに「快楽」という報酬を与えた。
眠りが心地いいのはそれですね。
井上 われわれは食欲を満たしたあとに非常にハッピーになる。
それによって、食べることに挑戦し、生命をつなぐ。
セックスもそうで、危険をともなう本能行動には、
そういう報酬がついていて、
同じことが睡眠にもあるんです。
ただ、食べることが栄養補給だけでなく、
やがておいしいものを求めてグルメになるように、
現代人の場合、より大きな得難い快楽を
追求しようとする不幸も、
一方で生まれてくることになりますが。
「あの熟睡感を!」という。
井上 その熟睡感ですが、
寝不足でストレスがたまってるなんていう人は、
「眠った」という実感がほしい。
ところが熟睡だとその実感は得られない。
つまり眠りの記憶が残らないんです。
ときどき覚醒するくらいじゃないと、
自分が眠ったと感じられないんですよ。
糸井 よく言い合いしますよね、
「俺、ぜんぜん寝られなかった」
「うそ。寝てたじゃないか」って。(笑)
井上 ですから、眠りの充足感というのは、
結果として、
“眠っていた自分を意識していたかどうか”が
大事な意味をもつこともあるんです。
そういうことで
「うん、俺は眠った」
と救われる人にとっては、
浅くても眠ったと実感できる睡眠のほうがいい。
逆に、何も覚えていない熟睡なんていうのは、
質の悪い眠りという評価になるんです。
ああ、また眠れなくなってきた(笑)。
じゃあ、睡眠時間の長さはどうなんでしょう。
長く眠らないとダメな人と、
短い睡眠でも元気な人がいますが。
井上 一つは体質で、遺伝的な要素があります。
また後天的な要素としては、年齢によっても違って、
高齢者になると睡眠時間は減っていきます。
状況によっても変わりますね。
忙しければ、短く深くというふうにもできる。
そういうふうに、眠りは非常に融通がきくんです。
それなのに、いまだに
「8時間睡眠が理想である」なんてことが
言われてますよね。
井上 あれは統計的に8時間眠る人が多いというだけで、
生物学的な根拠はないんですよ。
一般的に、人間に必要な深い眠りは
寝入りばなのノンレム睡眠のときに集中して訪れますから、
長く眠ればいいというものでもない。
もともと睡眠というのは非常に多様性に富み、
個性的なものでしてね。
10時間続けて眠るほうがいいという人もいれば、
2、3時間ずつ何度かに分けて
眠るほうが調子がいいという人もいます。
だいたい人それぞれにやってることは違うのに、
夜になると人類何億人もがみな同じように
8時間眠ること自体、あり得ないことで、
眠りにも違いがあって当然。
「こうでなくちゃいけない」
というのはないんです。
糸井 “いい眠り”という場合、
「自分にとっての」ということなんですよね。
井上 睡眠時間が短くても、日常の生活に支障がなければ
かまわないんだし、結局、当人に充足感があり、
自分なりの納得のいく眠りを見いだせれば、
それがその人にとってのいい眠りです。
そうはいっても、サラリーマンのように朝早く起きて
夜には寝なくちゃいけないという生活だと、
なかなか納得のいく眠りを探せないんですよね。
会議室でコックリするくらいのもので。
女の人なんかとくに盗み寝をする場所がない。
糸井 OLはトイレで眠るそうですよ。
便器に蓋をしたまま座って、
こう、卵みたいに丸くなって。
開き直ればいいのかしら。
最近、会社で昼寝を奨励しているところがありますけど、
あれはイヤですね。
「今から寝ましょう」
って、子どもみたい。(笑)
糸井 うちの事務所は一軒家なんですけど、
「いつでも寝ていい部屋」をつくったら、
意外とみんな寝ないですね。
こうしようと言われて、
それを「守らなきゃ」となると、
どんなにいいと言われても、動機が失われる。
じゃ、今度は起きてる話ですけど、
人間はどのくらい眠らずにいられるんでしょう。
アメリカの高校生がつくった記録で、
11日間眠らなかったというのがありましたね。
井上 ただ、あのケースも脳波を調べてみると、
秒の単位で瞬間的な睡眠状態が出てくるんです。
徹夜で運転しているトラックの運転手が、
自分ではそうと気づかずに居
眠り運転してたというのも、この眠りです。
つまり、本人も自覚できないし、まわりの人も
気づかないような眠りをいっぱい出して脳を守っている。
だけど、さらに眠らせないようにすると、
やがて脳の細胞は壊れ、死に至ります。
糸井 どのくらいで死にます?
井上 10年以上前、アメリカのグループが行なった
ネズミの断眠実験では、3週間で死にました。
ただ、その実験も完全に断眠状態だったわけではなく、
脳波に睡眠の兆候が出ると刺激を与えて
起こしていましたから、
実験時間全体の10パーセントくらいは眠りもあった。
その程度では、3週間はもたなかったわけです。
ここでわかったのは、
生きものはかなり眠らなくても生きていられるが、
眠らずにいると必ず死ぬという、その両方です。
糸井 死ぬけれど、そこに至るには
かなり幅があるということですね。
今、僕の仕事は視神経を使うことに
楽しさが集中してるんです。
これを、視神経を使わない考え事とか、
耳から入る音声でしばらく仕事を続けるとか、
そういうことをバランスよく組み合わせれば、
眠りとの折り合いが
上手につけられるような仕事の仕方も
可能じゃないかと思うんですが。
井上 おっしゃる通りです。
脳はすべて同じレベルで活動しているわけじゃなく、
視神経を使うときは
“視覚野”というところだけが活発に活動している。
そして使った部分が、より睡眠を必要とする。
ですから、次には音の刺激を与えるとか、
疲れさせる部分を変えていくと、
かなり長い時間、起きていられます。
それの非常に極端な形がイルカに見られる眠りで、
イルカはずっと泳ぎながら、
右の脳と左の脳をかわるがわる眠らせてるんです。
糸井 すごいなあ。
井上 人間はそこまでいかないけど、
ある部分だけに集中して
ストレスを感じないようにしてやれば、
眠りの必要性を下げることができる。
起きてるでもなし、眠るでもなしのぼーっとした状態を
延々続けるという生き方だって可能です。
ただ現代人はそれじゃ満足できないでしょうね。
脳を使って高度なことをやるから、
ストレスを感じるけれども、
いい仕事もできる、ということですから。
糸井 こういう話を聞いていると、
「睡眠デザイナー」という職業も
成立しそうな気がしますね。
どういう眠りを欲しているかを探り、
「こういう眠りがお好きなんじゃないですか。
 しばらく試してみてください」
と提案する。
「最初は浅く、しだいに深く」なんて。
糸井 そうそう。
「夢、多めでどうですか」みたいな。(笑)
井上 実際にそういう道も開けつつあるんです。
ある遺伝子が眠りや覚醒に関わっているという証拠が
けっこうあるんですね。
その遺伝子を操作することで、
眠りを変えようと研究してる人たちもいます。

第3回 寝グルメ、提唱!

2001-01-22-MON

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