明けても暮れてもラーメン
第2回
サンマの煮干しに導かれて |
糸井 |
そもそもお二人はどういうわけで
ラーメンを作る人になったんでしょう。 |
小山 |
私は大学時代、工業化学を専攻していて、
プラスチックや接着剤などの
研究をしていました。
前年まで、研究室の卒業生は
ペイント会社やタイヤ会社、
化粧品会社といった
いろいろな企業にたくさん就職していたのが、
私の年は急に不況になって、
求人募集がなかったんです。
そうした中で今の会社を選んだのは、
まず家から通えると思ったのと、
もう一つ、給料が高かった。(笑) |
糸井 |
なるほどねぇ。 |
小山 |
まあ、それだけではなくて、
私が卒業する年に
「カップライス」というものを
発売してたんですね。
その作り方とアイデアを見て、
びっくりしました。 |
糸井 |
工業化学専攻としては。 |
小山 |
ええ。
「この会社はひょっとすると食品すべてを
インスタント化するんじゃないか。
面白そうな会社だな」
と思ったのが大きいですね。
最初は工場に配属されて、
3年目に研究所に移って、
麺を作り始めました。 |
糸井 |
研究所でのデビュー作は何ですか。 |
小山 |
デビュー作と言っても、
上司がほとんどやっていて、
私は単にそれを引き継いだだけですが、
「めんくらべ」という袋タイプの即席麺です。
今から23年前ですね。
それは、三層麺になっているんですよ。 |
糸井 |
三層麺と言うと……。 |
小山 |
ゆでた時に真ん中にちょっと芯が残るのが
本当のゆで上げ麺なので、
お湯を入れただけで
そのような状態にするための工夫として、
麺の外側の層はつるみのある粉を使う。
そして、中はちょっと歯応えのある層にする。
その三層麺は、「ラ王」始め、
今もずっと応用されています。 |
糸井 |
すごいなあ。 |
小山 |
でもその頃、私は失敗もしていまして。
研究所でいちばん難しいのは
手作りのものを商品として
大量生産にもっていくことなんですね。
その時の私は、工場で袋ものとカップものが
同時に流れてくるのを、
それぞれ試食しながら、
「こっちは蒸気圧をこう変えて」
「麺圧を0・1ミリ上げろ」
とか指示を与えて、
商品化できるものを作っていました。
ところが、条件を変えて出てくるものを
次々と朝から食べ続けてるわけで、
それも2種類でしょう。
そのうちにお腹が膨れて、
それ以上は食べられなくなったんで、
「もう商品化してよろしい」
と途中でOKを出してしまったんですよ。
あとで、その麺が不評で、
OKを出したのは
誰だということになって。(笑) |
山田 |
怖いですねぇ。 |
小山 |
工場では1分間に300、400もの商品が
流れてきますので、
指示を一つ間違うと、
規格外のものができて、
すべて廃棄になるわけです。
まあ、そんなことがありながらも、
長く商品開発の仕事に
関わることになりました。 |
糸井 |
山田さんの場合は、
以前、アパレルの会社を
やっていらしたんですよね。 |
山田 |
ええ、20年近く。
でも、大きく失敗をしてしまいまして。 |
糸井 |
大借金を作っちゃった。 |
山田 |
そうです、何十億と(笑)。
食わなくちゃいけないけど、
人に使われるのが
もともとだめな性格ですから、
一人でできるものは何かと考えて、
食べ物の屋台でも引くかと思っていた時、
サンマとの出会いがあった。
北海道出身の飲み仲間から、
彼の田舎では昔、
漁で獲れたサンマを煮干しにして
家で調味料として使っていた
という話を聞いたんです。 |
糸井 |
イワシやアジ、サバの煮干しは
聞いたことがあるけど、サンマはねえ。 |
山田 |
「サンマの煮干しって
どういう味がするんだろう」
という興味から、
サンマの煮干しを作ってくれるところを
あちこち探しましてね。
まだ、ラーメン屋をやろうと決める前です。 |
糸井 |
ラーメンよりサンマが先なんだ。 |
山田 |
そうです。
だけど、僕には店もないし、金もない。
断わられ続ける中で、ある業者の方が
作ってくださることになりました。
7、8ヵ月後、
送られてきたサンマの煮干しで
ダシをとってみると、
えも言われぬ面白い味がしたんです。
これまで僕が
味わったことのない香りがあって、
やさしい味がして、独特の甘みもある。
このダシを使うには何がいいだろう。
うどん? そば?
でも、うどんやそばは
どこかに修業に行かないと
一流になれない気がして、
「だったらラーメン」というのが
スタートでした。 |
糸井 |
サンマの煮干しはあるけど、
あとの材料をどう組み合わせる、などは? |
山田 |
レシピ本を見たりして独学で。
失敗を繰り返しながら、
1年後に青山に最初の店を出して、
その2年後に、
もっと広い店を新宿に出しました。
ところがこの頃、
常連のラーメン好きの人たちの評価は
悪くないのに、
予想に反して売上げがぜんぜん伸びない。 |
糸井 |
うんうん。 |
山田 |
新宿店を立ち上げて3ヵ月くらいの頃かな。
僕ら、まかない食として
毎日ラーメンを食べますが、
その時に若いスタッフに言われたんですよ。
「親方、なんかこってりしたラーメンを
食べたい」
と。
それで干しエビを使った油を
加えてみたんですね。
それをラーメンフリークの
若いお客さんたちにも食べてもらったら、
「これ、いいよ」
と。
僕自身は、サンマの香りが消えてしまうので、
あまり好んでは食べなかったので、
1ヵ月くらい悩みましたね。
サンマの煮干しでデビューした僕が、
サンマの香りを消すものを
付加していいんだろうかと。
でもいっぱい悩んだ結果、
「お客さまが満足するのなら」
という考えに行き着きました。
あっさり味とこってり味を作って、
こってりのほうは、
サンマの香りを無視しちゃっていいと。
つまり、僕のエゴじゃなく、
お客さまの笑顔を見る。
それで“エビ油“というものを完成させて
出したら、
またたくまにラーメン好きの人や
若い子たちを中心に火がつきました。 |
糸井 |
その時、本当の意味で
“ラーメン屋“になったんじゃないですか。
つまり、「俺のを分けてあげる」から、
日本中がこれを食うというイメージに
変わってきたんですよ。 |
山田 |
そうでしょうね。
とにかく僕は、負けず嫌いなもので。 |
糸井 |
負けず嫌いと言えば、
小山さんも相当なものですよね。 |
小山 |
いや、そんなことないと思いますけど(笑)。
山田さんは自分の作るものを、
「ここで完成」とは
思ってらっしゃらないでしょ。
商品開発については、
私どもの社長にもよく言われます。
組み立てて完成だと思っても、
その完成度は
絶対に100パーセントじゃないから、
さらにいいものがあれば、
それまでのものを
全否定して壊してもいいから、
どんどん新しいものを作れと。
実際、この先どうなるか
わからないものに取り組む時のほうが、
これまでの殻を破るような
エッと驚くものができます。
まあ、数年に1回くらいしか、
そういうものには出会えませんが。 |
糸井 |
小山さんが、
これまで開発にかかわった商品は
どのくらいありますか。 |
小山 |
120〜130はあると思います。
去年1年間でも30くらい。
最近は新商品が多いんですよ。
市場の競争との関係もありますし、
3年前からコンビニエンスストアさんと
共同の開発を始めて、一挙に数が増えました。
普通、長いものは
商品開発に3年くらいかけますけど、
現時点では、半年先発売のものを
今考えておかないと、間に合いませんねぇ。 |
糸井 |
新しいアイデアは
どういう時に考えるんでしょう。 |
山田 |
僕には工房がありまして。
毎日、店を回ったあとにそこに行って、
思いついてメモ書きしてあったメニューを
試作したり、レシピを書いたりしています。 |
小山 |
私も商品作りに没頭したいんですが、
現実には、生産管理上のやり取りだとか
資材の発注だとかに忙殺されてて、
商品のアイデアは会社を
離れてじゃないと考えられないです。
夜寝る前やテレビを
ボケーッと見てる時なんかですね。
味については、
私はどちらかと言ったら
こってり味の、とんこつで、
背脂がドッとのってたりする
濃い味が好きなので、
どうしてもそういう個人的な嗜好が
商品開発にも反映されます。 |
糸井 |
「武蔵」さんでは、
「季節限定」のラーメンを出していますね。
あれはどういう発想から? |
山田 |
イタリアンやフレンチ、
和食には必ず“四季”があるのに、
なぜラーメン屋には
夏の冷やし中華くらいしかないのか。
それで、春夏秋冬を
テーマにしてみたかったんです。 |
糸井 |
あ、ファッション屋さんだった経験が
そこに出てるんだ。 |
山田 |
そうですね。
春には春の素材を、という思いを
ラーメンにいっぱい詰め込みたかった。
それと、僕はラーメン屋さんとのつき合いは
あまりないですが、
イタリアンやフレンチ、和食のシェフの
飲み友達がたくさんいて、
そういう方たちから
刺激をいっぱいもらっています。
食べ物というと「モノ」ですが、
僕は単なる食べ物ではなく、
食べる「コト」をする場を
作っていきたいと考えています。
つまり、「体験」ですね。
うちの店の行列も、
とりあえずラーメンを食べるためだけなら、
あんなに行列はしない。
それ以外のものも含めて、
みなさん「武蔵」のラーメンを
体験をしたがってくださって
いるんじゃないでしょうか。
イベントに参加するみたいに。 |
|
(つづく) |