この日もまる一日立ち通しで、
けれどもからだはくるくる動く。
お昼の弁当も胃の奥底へ
かわらけ投げみたいに落下していく。
陽が落ちる前に出られたので、
演芸ホールにいって夜の部の落語を見る。
落語が好きっていうより、最年長くらいの、
ひとりの落語家が好きなんだけど、
今夜その落語家が思いがけなく演じた
「粗忽長屋」をきき終え、
絨毯敷きの階段を下りていきながら私は、
やっぱこの噺すごい、落語ってものすごいな、
とあらためて感じいった。
粗忽長屋、思い返せば私がはじめて寄席できいた落語だ。

往来で死んでいる、
といわれて見に行ってみるとたしかに自分そっくり、
いや、自分そのひとが倒れていて、
こんなところで行き倒れるなんて情けない、
さあ家に帰ろうと、友達と一緒に死体を担ぎ、
歩き出して、そのうちふいに考えつく、
この抱かれてる俺はたしかに俺だけど、
抱いてるこの俺は、いったい誰だろう。

誰でも知ってそうな有名な落語だけれど、
ほんとうにおもしろく演じるのは難しく、
今夜みたいに特別な一席にたまたま立ち会えると、
落語ってたのしみのとんでもない広さがよくわかる。
その感じは、自分がここにいる、ってことの不思議さに
関係しているかもしれない。
そして今夜みたいな一席だと、
その「ここ」がホールどころか、
ぐんぐん真っ黒く果てのない空間にまで広がっていって、
自分が生まれていまこうしていることまでが
ちょっぴり怖いくらいになる。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
いしいしんじさんのプロフィールはこちら