部屋が暗くなり、そしてまた明るくなるのではなく、
サッ、と何かがふしあなを覆い、
そうしてゆったりと通りすぎる。
右から来て左へと去る。
私の部屋でいえば玄関からベランダへ抜ける方向へ。
まばたきせず、タイミングをはかって注視する。
サッ、と覆った瞬間、そして通りすぎるとき、
ぴんぴんと突っ立つ真っ黒な剛毛がたしか見える。
ヒクン、ヒクン、とからだが揺れる。
毛むくじゃらの真っ黒いものの隣に住んでいるという
恐怖は不思議とまったく覚えない。
真っ黒いものはたくさんいるのか、
それともくり返し通りすぎていくんだろうか。

上下スウェットのままサンダルを突っかけて
外へ出てみる。
駐車場に回り込んで見あげると、
会社員みたいなアパートの外壁は、
一日の疲労に疲れ切って、
その場に立ったまま安らかに眠っている。
もちろん余計な外建築なんてない。
窓の位置からして、
コンクリートと内壁のあいだには
小猫一匹分の隙間しか開いていない。

ヒクン、またからだが跳ねる。
私のなかでこむらがえりが転がる。
いつものあの、真っ黒い稲妻みたいなうねりじゃなく、
リスが駆けあがるくらいの小さなこむらがえりだ。
小猫、小犬みたいな、小こむらがえり。
私は階段をのぼり、もう一度押し入れを覗き、
真っ黒いものが
また右から左へ通りすぎていくのを確かめてから、
私は、それまであまりしなかったことをする。
冷蔵庫からもう一本缶を持ってき、
押し入れのなかで開け、
黒いものが行き過ぎるたびにひと口、
またひと口と啜って、ふしあなからむくむく噴き出、
押し入れと私の口を満たしていく煙みたいな気配を、
ビールの泡で飲みくだす。
そういえば、と缶ビールの形を見なおして吐息をつく。
ビールにも穴が開いてる、
そこから噴きだしてくる、
缶だって、瓶だって。
ヒクン、小こむらがえりが軽くうなずく。
プルリングの穴に猫くちびるを近づけ、
スーと啜ると、
真っ暗闇で血をなめたみたいな後味が引いていく。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
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