次の日帰ってくるとまた階段の上からてん、てん、
乾いた音が響き、
一段ずつたしかめるようにドッジボールが跳ね、
私の腕めがけて飛んでくる。
ふしあなの向こうははじめの日と同じ、
暖かみを帯びた光につつまれたちゃぶ台の風景で、
なにか動きださないかと見守っているうち、
二本目の缶ビールが空いてしまった。

週末の夜は母と新宿の紀伊国屋で待ち合わせ、
三丁目の末広亭にいった。
目当ての落語家がやったのは「野ざらし」。

八つぁんが、長屋の隣を壁越しに覗く。
ノミで掘ってあけた穴。
八つぁんが覗いた向こうには、隣人の浪人と、
その腰をもむ見知らぬ若い娘のふたりがいる。
翌朝、ふだん女嫌いで通している浪人に
嫌みをいいにいったら、
あれは、釣りに行った先の草むらで
しゃれこうべを見つけ、
お酒をかけて供養してあげたところ、
その御礼に訪ねてきた幽霊だ、という話になる。
八つぁんは、自分のところにも来てもらおうと、
釣り竿を持って向島へ向かう。

私は普段なら、釣り場を八つぁんに
めちゃくちゃにされ逃げまどう釣り人たちや、
八つぁんの竿を持っての身のこなしが大好きなんだけど、
この夜は、冒頭からぼんやりしてしまい、
なにを考えていたかわからず、
まわりの音にハッとして、
慌てて拍手をはじめ、
幕が下りるのを呆然と見送ったくらいだ。
この世の穴を覗いた先には、
幽霊や、そういったものしかいないのだろうか。

ねえ、どこかさ、穴ごしに覗いたってことある、
地下道を歩きながら母にきくと、
そうねえ、少し考え、まっすぐに振り向いて、
ちくわかな、という。
母は大真面目だ。
短く切ったので覗くより、
切らない長いままで覗くのがいいのよね。
どんなもの見えるの、私がきくと、
母はまた首をかしげて考え、こたえる。
家や風景の部分部分の、
ふだん目につかないところがよく見えるかしら。

つづく
文・絵:いしいしんじ プロデュース:糸井重里 須貝利恵子(新潮社)
いしいしんじさんのプロフィールはこちら